
カリスマ経営者が去った後、組織はどう変わるのか。鈴木敏文氏退陣後にセブン‐
※本稿は、村尾信一 著『鈴木敏文の遺言』(ビジネス社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
2016年4月7日、取締役会において鈴木が発議した人事案が否決された。前述のとおり、鈴木はその日に辞任を表明。会社は慌ただしく新体制に移行した。空位になったセブン&アイ・ホールディングス社長には井阪が就任。セブン‐イレブン・ジャパン社長には古屋が昇格した。
この当時の心境を古屋はこう語っている。
「あまりにも突然のことで、鈴木さんの辞任には驚いた。だけど、私たちは鈴木イズムをしっかりと受け継いでいるから不安はなかった。これまでどおり、上手くいくと信じていたよ」
だが、古屋の想いとは裏腹に、以後セブン‐イレブンに押し寄せる荒波は予想を超えるものだった。
2019年、東大阪の加盟店が人手不足を理由に24時間営業を拒否。これを発端として訴訟問題となり、社会的な議論にまで発展していった。
さらにセブンペイの二段階認証の未実施により不正利用が発覚。セブン&アイは決済事業からの撤退を余儀なくされ、グループの信用は失墜した。
この年は受難続きだったが、一連の問題の詰め腹を切らされる格好で古屋をはじめとした鈴木チルドレンたちは姿を消す。もしくは影響力を失っていった。このときの社員たちの心境は複雑だった。
もはや誰かが責任を取らなければならなかったのだが、経営陣の世代交代と相まって、鈴木色が薄れていくような奇妙な違和感を覚えたからだ。
ともかく、2020年以降のセブン‐イレブンは名実ともに井阪体制となった。だが皮肉にも苦難はとどまることを知らなかった。訴訟問題の後続対応、海外アクティビストからの圧力、SNSによるバッシングなど、「守り」に注力せざるを得ない状況が続いた。
鈴木時代は「攻め」を得意としていた会社が、ひとたび「守り」に徹した瞬間、弱点を晒していくことになる。
従来は泰然自若とセブン‐イレブンの威風を示しておけばよかったものが、「黙して語らず」は、「上から目線」と逆効果になった。
「上げ底弁当」の問題などが典型例で、完全に説明不足が招いた悪手になった。いつしかセブン‐イレブンに対する負のイメージが定着して、新経営体制への批判的な見方が世の中を覆っていくことになる。
「リスクを優先するばかりで、新しい発想のイノベーションが起きない組織だ」
「トップの意向が強すぎて、社員たちの自由な発想を封じている」
「会社は加盟店やお客様より株主を優先している」
「トップの好き嫌い人事が横行している」
社内外から、あること、ないこと、風聞が広まっていった。2023年、アメリカのアクティビスト、バリューアクトがそごう・西武、イトーヨーカ堂の分離と井阪の退陣を要求した。
同年、フォートレス・インベストメントへのそごう・西武売却をめぐって、西武池袋本店で労働組合がストライキを決行する。きわめつきは2024年、カナダの流通大手アリマンタシォン・クシュタールから、総額7兆円にも及ぶ買収提案(2025年に買収提案撤回)。好むと好まざるにかかわらず、井阪はこれらの対応に追われた。
混迷をきわめた2025年。井阪と伊藤創業家が導き出した結論は、経営体制の全面刷新だった。セブン&アイ・ホールディングスでは、井阪が社長を退任。後任社長には社外取締役のスティーヴン・デイカスが就任。創業家の伊藤順朗が代表取締役会長に就いた。
一方のセブン‐イレブン・ジャパンでは、68歳の永松文彦が社長を退き、54歳の阿久津知洋へと大幅な若返りが敢行された。併せて若い役員陣に刷新された。これら一連の混乱劇は、本書のテーマから逸れるので論評を差し控える。
2016年以降、鈴木は名誉顧問という立場であったが、経営に対して口を挟むことは一切していないし、メディアの取材に答えて、何か公にコメントを発信することもしていない。それも含めて、実に鈴木らしい。
だから、2016年以降鈴木に去来した想いを、私が軽々と文字にすることなど、できようはずもない。
更新:08月12日 00:05