
「あの失敗があったから今がある」──
※本稿は、本田健 著『自分に聞いてみよう 人生を選び直す49の質問』(きずな出版)の内容を一部抜粋・編集したものです。
いままで生きてきた中で、いちばん打ちのめされた経験を、思い出してみてください。時間がたって、痛みがもう薄れてきたものもあれば、いまも生々しく残っているものもあるでしょう。
仕事で、大きな失敗をしたこと。
信頼していた人に、裏切られたこと。
大切な人を、失ったこと。
自分の力では、どうにもできなかった出来事。
人前で、ひどく恥をかいたこと。
長く頑張ってきたのに、報われなかったこと。
家族やパートナーとの関係で、傷ついたこと。
自分自身に、深く失望したこと。
あなたの場合は、どんな経験だったでしょうか。思い出すと、いまも少し胸のあたりが重くなる経験です。誰にも、人生で一度や二度、そういう経験があります。
ただ、その経験とのつき合い方は、人によって違います。その経験を、見ないようにして生きてきた人もいます。思い出すのがつらいから、心の奥にしまい込んで、ふだんは出てこないようにしています。あるいは、その経験を、自分への評価と結びつけて生きてきた人もいます。
「あんなことが起こったのは、自分がダメだったからだ」
「自分は、失敗する人間だ」
自分の中でそう結論づけて、いまもどこかで、その評価を引きずっています。なんとか言葉にして、整理しようとしてきた人もいるはずです。でも、整理しきれないまま、いまに至っている人も多いはずです。ここで、少しだけ勇気を出して、思い出してみてほしいのです。
そのとき、あなたは、何歳でしたか。まわりには、誰がいましたか。どんな気持ちでしたか。その経験を、誰かに、ちゃんと受けとめてもらえましたか。
多くの場合、いちばん打ちのめされた経験は、その場で誰にも十分に受けとめてもらえずに、自分の中に閉じ込められたままになっています。その閉じ込められたものが、いまも、心のどこかに残り続けています。すぐに整理しようとしなくても構いません。
ただ、思い出すことを自分に許してあげる。
「ああ、自分はあのとき、本当にしんどかったな」
いまの自分が、当時の自分を認めてあげる。その小さな認知から、過去との関係は、ゆっくりと変わり始めます。
そうやって見つめてみると、その経験を乗り越えようと必死だった自分の姿も見えてくるかもしれません。傷つきながらも、その日々を生き抜いてきた自分がいたことに、気づくでしょう。打ちのめされた経験は消えなくても、その経験を生き抜いた自分への見方は、少しずつ変わっていくのです。
前の項で、打ちのめされた経験を思い出してもらいました。その中には、あなたの中で「失敗」と呼んでいる出来事もあるはずです。ここで、少し問いかけてみたいことがあります。それは、本当に「失敗」だったのでしょうか。
その出来事が起こった瞬間は、確かにつらかった。その時点では、失敗としか感じられなかった。いまも思い出すと、失敗の記憶として残っています。でも、時間がたって、改めて見直してみると、その評価が少しだけ変わってくる経験はないでしょうか。たとえば、こんなふうに。
あの仕事を辞めなければ、いまの場所には、たどり着けていなかった。
あの人と別れなければ、いまの大切な人とは、出会えなかった。
あの病気をしなければ、健康のありがたみに、気づけなかった。
あの挫折がなければ、別の方向に進んでいたかもしれません。
「失敗だと思っていたけれど、いま振り返ると、そこから別の道が開けていた」
そう感じる経験が、いくつかあるのではないでしょうか。失敗というのは、その瞬間に決まるものではありません。
時間がたってから見つめ直して、ようやく評価が確定するものです。その瞬間には失敗に見えても、5年後、10年後に振り返ると、それが転機だったとわかる出来事は、たくさんあります。反対に、その瞬間には成功に見えても、あとから振り返ると、別の道のほうがよかったと気づくこともあります。
人生における出来事の意味は、その後の生き方によって、何度でも書き換えられるものです。
ここで、一つ、考えてみてください。あなたが「失敗」だと思っている経験を、いま改めて見直してみると、そこから何かが始まっていた可能性はありませんか。
失敗のおかげで、出会えた人。
失敗のおかげで、見えた景色。
失敗のおかげで、気づけたこと。
失敗のおかげで、磨かれた感覚。
そう考えてみると、その「失敗」は、本当に失敗だったのでしょうか。
もちろん、すべての痛みが、すぐに意味を持つわけではありません。いまもまだ、つらいだけに感じる経験もあるはずです。
それもそれで、構いません。ただ、過去の出来事の意味は、いまの自分の見方によって書き換えていけるものだということを、覚えておいてください。
失敗の中に、必ず、種が埋まっています。その種がいつ芽を出すかは、人によって違います。すぐに芽を出すものもあれば、何十年かたってから、ようやく芽を出すものもあります。
「あれは失敗だった」と決めつけてしまうと、その種は、土の中に埋もれたままになります。決めつけずに、もう一度、丁寧に見つめ直してみてください。その作業の中で、過去の出来事が、少しずつ違うものに見えてきます。
もう少し、踏み込んで聞いてみたいと思います。そのときは、本当に失敗だと思っていたかもしれません。でも、いま振り返ると、「あれがあったからよかった」と思える経験はありませんか。
ある人にとっては、不本意な転職が、人生の転機になっていました。会社を辞めたくなかったのに、退職することになってしまった。そのときは、悔しさと不安でいっぱいだった。
でも、そこから別の道に進んだから、いまの自分の場所にたどり着いた。「あの退職がなければ、ここにはいなかった」と気づくとき、その出来事の意味が変わります。
ある人にとっては、失恋が、本当の出会いへの扉になっていました。大好きな人と、別れることになった。長い時間、立ち直れなかった。でも、その後、本当に大切な人と出会えた。あの別れがなかったら、いまの相手とは出会えていませんでした。
ある人にとっては、病気が、人生の見直しのきっかけになっていました。突然の病気で、生活が一変した。仕事のペースを大きく変えなければいけなくなり、絶望的な気持ちでいた。でも、その経験があったから、自分の生き方を根本から見直すことができたのです。いまは、病気をする前よりも、自分らしく生きています。
ある人にとっては、家族との対立が、自立への入り口になっていました。家族と、深いところで意見が合わなかった。離れた時期があって、ずいぶん寂しい思いもした。でも、その時期があって、初めて、自分の人生を自分で選ぶことができるようになりました。
こうした「結果的によかった経験」は、しばらくたってから過去を振り返ってみないと、見えてこないものです。その瞬間には、わかりません。1年たっても、まだわからないかもしれません。5年、10年とたって、ようやく見えてくるものです。あなたの中にも、そういう経験はありませんか。
「あのときは本当につらかったけれど、いま振り返ると、あれがあってよかった」そう思える出来事を、いくつか書き出してみてください。
一つでも思い出せたなら、それは、あなたにとって大切な発見です。そして、その発見は、一つのことを教えてくれます。
いま、つらいと感じている経験も、いつか、「あれがあってよかった」と思える日が来るかもしれない。すべての痛みが、そうなるとは限りません。
でも、過去にそういう経験が一つでもあったなら、いまの痛みにも、その可能性はあります。そう思えるだけで、いまの苦しさへの向き合い方が、少し変わります。
更新:09月25日 00:05