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銀行を買うのではなく、自ら銀行をつくる。その大胆な決断は、
※本稿は、村尾信一 著『鈴木敏文の遺言』(ビジネス社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
1990年11月12日、日本経済新聞の一面トップで「ヨーカ堂 銀行参入へ」と報じられた。
社員は皆、寝耳に水だった。それまで社内では一切の噂すら聞こえてこなかったからだ。報道を見た加盟店オーナーからOFCは説明を求められたが、「私たちは何も聞かされていないので、今はお答えできません。確認のうえ、あらためてご説明しますので、それまでお待ちください」
そう答えるのがやっとだった。上司からは、「報道に対するオーナーの反応を報告するように」という指示は受けたが、それより「本部からの声明が先だろう」、そんなことを思った。
決してネガティブな報道ではないのに、なぜか本部は混乱しているようだった。
今思えば、問い合わせが殺到し、さまざまなステークホルダーへの説明に追われていたのだと思う。
だが、後年、『私の履歴書』で初めてその舞台裏を知ったときは、無理もないことだと思った。金融庁も巻き込んで、ギリギリの攻防が展開されていたということだ。セブン‐イレブン創業の瞬間という偉業を知らない私たちが、鈴木敏文の真の凄さを実感した出来事だった。
1999年のある日、「日債銀の買収にヨーカ堂も参加しませんか」ソフトバンクの社長・孫正義氏から、鈴木宛に入った一本の電話がはじまりだった。
詳しく聞くと、国有化されていた日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)をソフトバンク、オリックス、東京海上火災保険(当時)が共同で買収するので一緒に出資しないかとの誘いだったという。
折しも当時の鈴木は、セブン‐イレブン店舗へのATM設置を検討している真っ最中だった。
1987年から開始した公共料金などの収納代行サービスは、利便性がお客様から評価されて取扱額が増加の一途を辿っていた。1999年時点の受付件数は約6億4000万件、取扱額は約860億円に達していた。これらを銀行で支払おうと思ったら、営業時間内に行かなければならないが、コンビニではそれを心配する必要はない。
「店舗にATMを設置すれば間違いなく、お客様に喜んでいただける」
鈴木にとっては確信とも言える仮説だった。
銀行各社とATM共同運営会社を設立するか、既存銀行を買収して主体的に銀行ビジネスにかかわっていくか。孫氏からの誘いは、鈴木がまさにその決断を迫られている只中だったのである。
実は当初構想したATM共同運営会社は、いくつかの難題に直面していた。
設置場所の選定や、手数料の設定において、銀行サイドとの交渉が難航した。全店舗に均一な利便性をもたらしたい。加盟店に手数料収入が充分還元されるようにしたい。そう考える鈴木の意向は、必ずしも銀行側の意向と一致するものではない。
きわめつけは、金融庁から「現行の銀行法では預金の取扱いは免許を得ている銀行にしかできない」という判断が示されたことだ。既存銀行の買収案を並行して探っていたのは、そんな背景があったからだ。
実は、孫氏からの誘いの前に、日債銀の子会社・日債銀信託銀行の買収が候補に挙がっていたという。
資本金50億円、買収コストは大型スーパー1店舗分相当。
「日債銀に出資する気はないが、日債銀信託なら欲しい」
孫氏の誘いに鈴木はこう答えると、返す刀で「ならば、買収後に分離してはどうでしょうか」と提案してきた。
このとき、鈴木の気持ちはほとんど日債銀買収に傾いていた。ところが、日本経済新聞がこの一件をスクープした。
1999年11月12日の紙面には、一面トップに大見出しが躍った。
「ヨーカ堂 銀行参入へ/日債銀買収名乗り ソフトバンクなど3社と」
ATM共同運営会社構想がまだ生きていただけに、セブン‐イレブン・ジャパン社内は混乱した。だが、鈴木の腹は決まっていた。共同運営方式では店内ATMは各銀行の出張所でしかなくなる。鈴木はあくまで、主導権を握ることにこだわったのである。
ところが事態は急転する。日債銀買収後の分離に5年以上かかることが判明。孫氏の提案も断念せざるを得ない状況になってしまった。
時間をかけて準備を進めてきたふたつの構想は、ほぼ同時にあえなく霧散したのである。並みの経営者なら、ATM構想はここで頓挫したことだろう。だが、ここからが鈴木の鈴木たる所以だ。自社で銀行免許を取得し、あくまで独自で銀行参入の道を目指す決断をした。見事な決意と覚悟である。
更新:08月10日 00:05