
日本では「欧米は労働時間でアピールしない」というイメージが広く知られています。しかし近年の研究は、海外でも早朝出勤や残業を通じて熱意を示す行動が存在することを明らかにしています。本稿では、海外企業の実態と日本のイメージのズレについて、書籍『社内政治の科学 経営学の研究成果』より紹介します。
※本稿は、木村琢磨著『社内政治の科学 経営学の研究成果』(日経BP)より内容を一部抜粋・編集したものです
ワーク・ライフ・バランスを支援する制度の導入に関しては、イギリスやドイツ、スウェーデンなどの企業の事例がモデルケースとしてしばしば挙げられます。また、残業という概念を事実上なくす裁量労働制の導入が議論されたときは、欧米の制度が比較対象として挙げられていました。そのためか「欧米では労働時間を使って熱意を示すことはない」と思っている人は少なくありません。
確かに、成果主義が浸透している欧米では、「何時間働いたか」よりも「どんな結果を出したか」が重視される傾向があります。しかし実際には、欧米の企業でも労働時間を使って熱意をアピールする行動が見られます(Bolino, 1999)。
かつての日本ほどではないかもしれませんが、たとえば早朝出勤や遅くまでの残業などによるアピールです。長時間労働で仕事への真剣さや責任感を示そうとする動きは、海外でも見られるのです。
たとえばアメリカでは、誰よりも早く出社する社員が「やる気のある人」「信頼できる人」として評価されることがあります。特に、大企業の管理職候補を選ぶ際には、このような「仕事に対する姿勢を印象づける行動」が実際の評価に影響を及ぼすこともあります。成果主義の環境でも、処遇のすべてが成果で決まるわけではありません。努力している姿を見せることで、昇進や重要な仕事を任されることにつながる場合があります。同じくらいの能力であれば、一生懸命働きそうな人に仕事を任せたいと思うのは万国共通です。
スペイン企業を対象とした研究では、忙しくないのに忙しいふりをしたり、早朝や週末に出勤したりする従業員の行動が確認されています(Bolino et al., 2006)。筆者も参加したスペイン企業の最近の研究では、こうしたアピールは「媚びている」と見られて評価が下がる場合があります。一方で、うまく行えば上司に好かれ、高評価につながることも示されています(Bande et al., 2024)。
労働時間で熱意を示す行動は、日本特有のものではありません。自分の評価を意識し、行動を調整する心理は、国にかかわらず共通しています。もちろん、その行動がどのように評価されるかは文化ごとに異なります。ただし、出社や退社の時間を使って働く姿勢を印象づける行動は、多くの国で見られます。
このような個人的な自己アピールを社内政治とみなすかどうかは人によって異なります。また、状況によっても変わるため、一概には言えません。以上の例から言えるのは、日本特有と思われがちな自己アピールの中にも、海外でも広く行われているものがあるということです。
では、なぜ日本では「欧米は労働時間でアピールしない」ということが広く信じられているのでしょうか?
その理由の一つは、日本と欧米の人事制度や慣行の違いに関する認識です。日本でも、成果主義の人事制度は広く導入されるようになりました。しかし現在でも、成果にかかわらず地道な努力が美徳とされる傾向があります。「結果よりもプロセスが大事」と語られる場面も少なくありません。上司や同僚も「一生懸命働く姿」を見て評価する傾向も残っています。特に評価基準が曖昧なときには、労働時間が努力の証とみなされてきました。
一方で欧米では、「成果重視」「職務の明確化」が重視されていると言われます。特にアメリカでは、職務記述書(ジョブディスクリプション)に基づいて業務が割り当てられます。そして、その目標達成度によって定量的に評価されます。そのため、日本人の間では「海外では労働時間が評価に影響しない」というイメージが広まりやすいのです。
「欧米では長時間働いても評価されない」「欧米企業では労働時間の長さにかかわらず成果さえ出せば評価される」という認識があります。こうした見方は、日本の働き方改革やメディアでも繰り返し紹介されてきました。そのため「欧米には労働時間でアピールする文化がない」と多くの日本人が信じています。しかし実際には、欧米でも早朝出勤や残業を通じて熱心さや責任感を示すことがあります(Bolino, 1999)。
また、実際の労働時間の違いや、それに関する報道や啓発の影響も考えられます。たとえば
・ 欧米ではワーク・ライフ・バランスの考え方が浸透していて︑早めの退社や長期休暇を大切にする姿勢が見られる。
・ ドイツや北欧諸国では、夕方にはオフィスが閑散とする。これらの国々では︑勤務時間内に効率的に仕事を終えることが評価される。
こうした姿が、メディアや研修などで「理想的な海外の働き方」として紹介されてきました。
そのため、「海外では長時間働かない」という印象が形成されてきたのです。一方で、日本では電通の過労自殺事件をきっかけに「長時間労働=悪」という認識が広がりました。その対比として「欧米=健全な労働文化」という構図も生まれました。この対比は、日本の働き方を変える必要性を強調する目的では効果的でした。しかしその結果、実際には海外にもある「労働時間を使った熱意のアピール」が見過ごされてきたとも言えます。
最近の学術研究として、ギリェルモ・オルファオらは、欧州の国々でもサービス残業(unpaid overtime)が蔓延していることを明らかにしました。そのような国には、日本では「残業しない国」のイメージがあるドイツ、イギリス、さらには北欧のスウェーデンやデンマークなども含まれます。
オルファオらは、特に若手社員たちが、意欲や忠誠心をアピールするため、そして将来の見返りとしての昇給や昇進を期待してサービス残業をすることを指摘しました(Orfao et al.,2024)。残業、特にサービス残業による熱心さアピールは「昭和の遺物」のように見えるかもしれません。
しかし、若年失業率が高い欧州では、不安定な立場に置かれた若者たちは、キャリア戦略として長時間労働による熱心さアピールをせざるを得ない状況に置かれているようです。
更新:12月17日 00:05