ベストセラー『言ってはいけない』などで、人間の持つ非合理性に鋭く切り込んできた橘玲氏。現代日本社会が抱える病理とも言える「管理職の無理ゲー化」について、独自の視点から話を聞いた。(取材・構成:村尾信一)
※本稿は、『THE21』2025年7月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
――昨今、「中間管理職=無理ゲー」と言われ、管理職になりたがらない若手社員が増えています。これには社会的背景や企業の問題など、様々な要因が考えられます。本日は橘さんの視点でこのテーマについて、大いに語っていただこうと思います。
【橘】まず、日本の会社はものすごく特殊です。人はみな、ステイタス競争をしています。自らのステイタスを上げ、相手のステイタスを下げようと争っている。
それが健康にどういう影響を与えるかを解明するために、イギリスで大規模な研究が行なわれました。対象はロンドンの国家公務員です。最上位の管理職から最下位の事務員まで、健康状態を調べたところ、管理職の死亡率は全体の約半分なのに、事務員は全体の2倍だとわかりました。驚くべきことに、両者の差は4倍にもなる。簡単に言うと、ステイタスが低いと死んでしまうのです。ではこれが世界中同じかというと、そうではありませんでした。
――結果の想像がつきますね。
【橘】ご想像の通り、日本では、最も健康状態が悪くなるのが中間管理職だったんです。厳密に言うと、死亡率の高い順に、1位農業従事者、2位管理職、3位肉体労働者です。
欧米は地位と権限が一体化していて、地位が高いほど威張れる。ところが日本では、管理職になっても権限はついてきません。面倒な揉め事を仲裁する役割だけを担わされて、上からも下からも文句を言われて疲弊する。地位が上がるほどストレスが減っていく欧米に対して、日本では逆にストレスが増えてしまう。これでは誰も管理職になりたいと思わないでしょう。
――日本で当たり前だと思っていることが、実はそうではない、ということでしょうか。
【橘】アメリカの交通整理員は、相手がどんな高級車に乗っていても、「ストップ」「ゴー」と言うだけで、ものすごく威張っています。これに対して日本では、ドライバーに対して「ありがとうございます」と最敬礼している。そうしないと、「何を偉そうに」となるからです。
ムラ社会の日本では、「みんな対等」が前提です。対してアメリカでは、交通整理員という地位に命令する権限がついているという理解なので、どんなに威張っても反発されない。
例をもう一つ。私はサッカーが好きなのですが、海外の試合を裁いたことのある日本人審判が、座談会で「日本語は難しい」と語っていました。例えばセットプレーの際、「ステップバック!」と言えば、メッシやロナウドのような有名選手でも、みんな言うことを聞いて下がります。ところが日本だと、「下がれ!」と言うと、選手が「何を偉そうに」と反発して試合が荒れるんだそうです。審判としての権限を行使しているだけなのに、おかしな話です。
――選手に気を遣って、「お下がりください」なんて言う審判のほうが、試合の進行上よっぽど良くないと思います。
【橘】その通り。地位があるということは、その分重い責任を背負っている。それなら、せめて地位に見合う権限が与えられるべきというのは、当たり前の理屈です。
にもかかわらず、「みんな対等」の日本では、責任ある者が、責任のない者の顔色を窺わなければならない。これでは、管理職などバカバカしくてやってられません。
――権限がないと、根回しや会議といった調整業務が多くなるので、中間管理職は大変ですね。
【橘】日本の会社は全員一致が原則なので、会議ばかりが多くなって、生産性を低下させています。誰か一人が「そんなこと聞いてない」というと、話が止まってしまうので、リモート会議の参加者の数もどんどん増えていく。
「地位の高い者が決定し、結果に対して責任をとる」という共通認識がないから、調整ばかりに時間がかかって、ものすごく効率が悪くなっているのです。
ある大企業の調査では、就業時間8時間のうち、会議や打ち合わせに使っているのはなんと6時間にもおよんだそうです。そうなると、社員は平日の残業時間や休みの日に自分の仕事をするしかない。「日本の会社の生産性はなぜこんなに低いのか?」がしばしば議論になりますが、「そんなの会社の実態を見ればわかるだろう」と思います。
――「ムラ社会」の組織構造を変えない限り、中間管理職の苦悩は続きそうですね。
【橘】日本の会社は、いわば正社員の運命共同体です。だから調整が得意な人が重宝され、管理職に昇進する。そしてその中でも、一番面倒見の良い人が社長になるんです。
また、日本では社長にすらたいした権限がありません。リストラしようとすると反発されるので、赤字部門の清算もできない。社長でいられる期間も4年とか5年とか決まっているから、何もせず大過なく過ごすことが最優先になります。
――では、日本の企業で一番強い権限を持っているのは誰でしょう。株主などでしょうか?
【橘】いいえ。株主なんて、「変なことを言う面倒くさい人たち」くらいにしか思われていません。
日本企業で一番強い力を持っているのは正社員です。先に述べた通り、日本では、責任のある者もない者も対等であることが良しとされます。そのため、責任当たりの権限で考えると、平社員が最強なのです。
――今後、日本の会社がグローバルスタンダードに変わっていくことは可能でしょうか。
【橘】これも難しいと思います。なんだかんだと言いながら、日本人自身が「ムラ社会」に安心を求めている。「グローバルスタンダードに変えていこう」なんて口先だけで、本音では変わりたくないんだと思います。
有能なトップの指示に従うより、生産性が低くてもみんなで仲良く話し合って決めたい。給料が上がらなくていいから、簡単にはクビにならない待遇で細く長く勤めたい。そう考えているのではないでしょうか。
100年企業がもてはやされているのなんて日本だけです。競争社会では、古い会社が淘汰されて新しい会社が出てくるのが当たり前です。長く続くほど良いのなら、リスクをとる理由なんてないですよね。結局、みんなで「ムラ社会」を守ろうとしているんだと思います。
その結果、中途半端にグローバルスタンダードを取り入れようとすると、組織や人事がどんどんいびつになっていって、そのしわ寄せが管理職に向かうわけです。
――地位と権限の不一致が、管理職を苦しめているんですね。
【橘】それだけではありません。日本の管理職は、地位と権限、さらには能力も不一致です。
――一体どういうことでしょうか。
【橘】日本の会社にいると、色んな部署を転々としますよね。これは、すべての社員をゼネラリストとして養成しようとしているからです。これまでの仕事とまったく関係のない部署に異動するなんて、欧米では経営幹部候補くらいです。私はこの制度が、中間管理職がメンタルを壊して、鬱になる要因だと思っています。
考えてみてください。営業から、これまで何の経験もないプログラミングの部署に管理職として異動したとしましょう。部下は明らかに自分より能力のあるプログラマーたち。そんな部下たちにどう指示したら良いかなんてわかりません。
そうなると、部下の言うことに従うか、パワハラして押さえつけるか、どちらかしかありません。そんな環境に居続けるうちに、精神を病んでしまうのも当たり前です。「鬱になって出社できません」というほうが、「自分には能力がないのでこの仕事はできません」と認めるより、まだマシですから。それに対する会社の対策が「残業時間の規制」ですから、的外れもいいところです。
――会社が社員の能力を正しく評価して、成長を支援しているとは言い難いですね。
【橘】私の知人の女性は、長年専業主婦をやっていたのですが、子どもの大学進学を機に一念発起して、派遣で働き始めました。職場は通信教育の大手企業で、答案採点の仕事でした。何年か経ち、彼女はその部署で頼られる存在になっていました。そうすると、別の部署から異動してきた管理職が、わからないことを彼女にばかり聞きにくるようになったといいます。年下の部下に教えを乞うよりも、年上の派遣社員を頼ったたほうが、プライドに傷がつかなかったのでしょう。
そうやって面倒を見てあげていたら、60代にもかかわらず、一部上場の大企業から「正社員になってくれ」と言われたそうです。彼女は面倒だと断ったのですが、経験も能力もない社員を年次だけで管理職にしている日本の会社では、時としてこんなおかしなことが起きるんです。
――いわゆる「ジョブ型」雇用も、日本は後れを取っています。
【橘】社員の能力や個性に合った仕事をさせるのではなく、仕事に合わせることを社員に求めてきたのだから、当然と言えば当然です。
新卒を一斉に採用し、全員に同じ教育を施し、同じようなジョブローテーションを経験させ、同じ年齢で定年退職を促す。この同質集団を維持するために必要とされたのが、能力を伸ばす機会も与えられず、ただ調整するだけの管理職です。
――お話を伺っていると、日本は能力の代わりに、年齢で区別をする傾向が強いように感じます。
【橘】日本では先輩、後輩、同期をものすごく気にしますよね。あの人は一個上だとか、あいつは二個下だとか......。先輩は目上、後輩は目下、同期は同格、これが前提です。体育会系と同じカルチャーです。
リベラルの人たちは「差別をなくそう」と言いますが、定年制は典型的な年齢差別です。60歳、65歳になったら、個人の事情は無視して強制的に解雇するのですから。
退職金制度も同じです。退職金とは「今働いた給料の一部を30年後に払う」ことで、「中途で辞めたら払ってやらないぞ」という脅しです。
リベラルな欧米の会社には、社員を会社に囲い込むための退職金制度はありません。新卒一括採用も立派な年齢差別ですよね。雇用対策法で「年齢制限の禁止」を義務化しておきながら、厚労省は「日本の社会が混乱する」と適用除外にしている。
要するに日本社会は、近代のふりをした身分制社会なんです。
あらゆるところに重層的な差別が隠されている。その象徴が日本的雇用ですが、「差別とたたかう」はずの日本のリベラルは、この差別を容認するばかりか、積極的に守ろうとしてきた。
定年制、年功序列、退職金、新卒一括採用、すべて英語にはない言葉です。日本では正規と非正規の間に厳然とした身分差別がありますが、北欧やオランダでは、フルタイムとパートタイムには勤務時間の違いがあるだけで、どちらもまったく同じ資格の正社員です。
親会社の社員と子会社の社員もそう。同じ労働でも待遇が違います。「同一労働同一賃金」なんてほど遠い。日本社会の中核にいるエリートは、こうした差別構造から利益を得ている既得権層です。
――橘さんが、もし現代で中間管理職をするなら、どんな働き方を心がけますか。
【橘】私は、「管理職なんてやってられない」と思って会社を辞めた人間なので、その質問は答えづらいです(笑)。ただ、若い人たちには、どんなかたちであれスペシャリストを目指すことを勧めたい。
世の中にたくさんあるものは価値が低く、少ないものは価値が高い。超高齢社会では、たくさんいるのは高齢者、少ないのは若者です。当然、若者の価値が高くなって、自由に転職できるようになった。そんな時代だから、部下に辞められると困る中間管理職はますますつらい立場に置かれます。
一方で、若い人たちの労働市場に流動性が出てきたのは良いことです。30代半ば、40代でもまだまだキャリアアップできる世の中です。だったら、それを利用したほうが良いですね。
――スペシャリストを目指すうえで大事なことは何でしょうか。
【橘】人生100年時代では、年金だけに頼っているか、いくつになっても働いているかで、高齢者のあいだで経済格差が拡大していきます。会社を離れても収入を得るには、専門性が必要です。シニアの面接で「あなたは何ができますか?」と問われて「部長ができます」と答える笑い話がありますが、これが日本の会社の現実です。70代、80代でも生涯現役を目指すなら、「部長ができます」は通用しません。
そう考えれば、人生の時間は限られているのだから、部下の面倒を見るより、好きなことに挑戦したほうがいいと考えるのは当然です。まさに自分がそうでしたから。
私は、金融資本は分散し、人的資本は一極集中することを提案しています。世の中には私よりも優秀な人はいくらでもいるでしょうが、そのほとんどは会社や役所、あるいは大学という組織に閉じ込められ、1日6時間も会議をしている。それに対して私は、本を読むか、文章を書くか、この二つしか、やっていません。
人的資本を一つに集中させている人間と、会議などで時間資本を無駄に浪費している人間が競争したら......勝負は明らかでしょう。これが私の人生設計の基本で、最近は若い人たちの間でも、それが当たり前の考え方になってきました。時代も変わったな、と感じます。
更新:06月26日 00:05