2016年04月15日 公開
2023年05月16日 更新
AKB48の新たな姉妹グループとして、1月に劇場デビューしたNGT48。新潟から全国へ、そして世界へと羽ばたくためには、ダンスと歌以外にも学ぶべきことはたくさんある。
48グループの未来を担う若きメンバーたちが、異分野のプロ、エキスパートに教えを請うこの連載。第3回のテーマは、あらゆる職業人が無関心ではいられない社会貢献。将来の夢は「世界平和」と明言する山口真帆さんと、読書家で社会問題に関心を持つ西村菜那子さんが、ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗先生から「社会の変え方」を学ぶ。<取材・構成=鈴木初日、写真撮影=永井浩>
「人権を守る活動をしているというと、すごく遠い感じがするかもしれない」と言う土井氏。たしかに、ノーベル平和賞まで受賞した団体の日本代表と言われても、どんな活動をしているのかピンと来ない読者が多いだろう。ヒューマン・ライツ・ウォッチとはどんな団体なのか、土井氏はどんな経緯で活動を始めたのか、対談の始めにお話しいただいた。
土井 私はヒューマン・ライツ・ウォッチという組織の日本の代表をしています。ニューヨークに本部があって、世界90カ国で活動している団体です。地雷を禁止する条約を作ったことが評価されて、他団体と一緒にノーベル平和賞をとったこともあります。
山口 ノーベル平和賞は、何年に受賞されたのですか?
土井 1997年です。
西村 私が生まれた年です。
土井 ヒューマン・ライツ・ウォッチの主な活動は、戦争の中で罪のない人が殺されないようすることがひとつ。そして、日本のように戦争がないところでも、人権を守る活動をしています。特に子ども、女性、マイノリティや周辺化された人たちが差別されたりしないようにする、といった活動ですね。
こういう話をすると、すごく遠い感じがすると思うんです。お2人は高校生くらいでしょうか?
山口 私は20歳です。
西村 高校3年生です。
土井 私も中学、高校、大学と、普通に学生をやっていました。難民の問題や南北問題(北半球に多い先進国と、南半球に多い発展途上国との経済格差から生じる問題)にもやもやした興味はあったのですが、特別に何かをやるということはありませんでした。ちょうど今の山口さんくらいのときに、「もやもやを形にしよう」と思って、突如アフリカにボランティアに行ったのです。
山口 すごいですね。
土井 そこからこういう活動にだんだん入っていきました。
山口 私は、アイドルになる前は「自分はなんのために生きてるんだろう」って思うくらい、何をすればいいかがわからなかったんです。生まれてきたからには人のためになりたい、じゃあ、何をしよう? と思っていて。
私は青森出身なので、震災で津波の被害を目にしたり、実際に家族も危ない目にあったりしたことで、「人はいつ死んでしまうかわからない。そして、世の中に困っている人はすごくたくさんいる」ということに気がつきました。それをきっかけに、いくつかのボランティア団体に参加して、東北を中心にボランティア活動をしていました。
でも、参加すればするほど、「自分は今なにができているんだろう」という考えになるし、「本当は何が求められているのか」というのもよくわからないままでした。
そんなときに、AKB48グループが定期的に被災地でイベントをやっていることを知ったんです。アイドルが被災地復興なんて全然想像できなかったので、とても感動して。それがアイドルになりたいと思ったきっかけです。
西村 私は母の影響で姉と一緒に幼稚園から中学生くらいまでガールスカウトにずっと入っていて、そこで難民のことを学びました。それがきっかけで、難民支援のことが気になっています。難民を積極的に迎える国と、そうじゃない国がありますよね。日本はあまり受け入れていない印象を持っています。
土井 なるほど。いま西村さんが話題に出してくれましたが、実は私も最初は難民から入ったんですよ。
私が中学生だった25年前には、アフリカでは飢餓や紛争があって、多くの難民が悲惨な目にあっていた。私の周りにはもちろん難民はいません。「こんな人たちがいるんだ」と衝撃を受けて、それからは難民問題、飢餓問題、南北問題といったことについて本を読んだりするようになりました。
以来、ずっと難民問題が気になってはいたんです。大学4年のときに一念発起してアフリカにいくまでは特別な行動を起こしてはいないんですが。
ちなみに、その当時は「日本社会はなぜ難民を受け入れないんだろう」という問題意識まではありませんでした。日本に難民が来ているという報道さえなかった。一般社会としては「日本には難民はいない」という認識です。だから私も「難民を助けたいからアフリカに行かなきゃ」という感じだったんですよね。
その後、司法試験に合格してから、私はアフリカで独立したばかりのエリトリアという国へ行って、刑法づくりを手伝うボランティアとして仕事をしました。ちょうど私がいる間に、その国はまた戦争になって、多くの難民が命がけで国境を越える状態になってしまった。日本にも偶然、エリトリア系の人が助けを求めてくるようになり、難民として受け入れるように日本政府とかけあったりする活動を始めました。その中で、日本にも数は少ないけれども難民がいるということ、年に数人程度しか受け入れられていない「狭き門」だということなどがわかったりしてきた。そうして徐々に活動に入っていったんです。
西村 難民のために、日本はお金の支援はしていますよね。なぜ受け入れないんだろうというのが疑問です。
土井 そうですね。難民支援のためのお金を出している額でいえば、世界でもアメリカの次くらいです。ところが難民の受け入れ数だと、アメリカが数万人に対して日本は2014年が11人です。
難民を支援しようという考え方は日本人の中に一般的にあると思います。ただ、外国人である彼らと「お隣さん」として一緒に生きていこうという考えが政府にないし、一般社会にもあまりない。助けてあげたいけれど、私のそばには来ないで──というメンタリティなのかもしれません。
外国人と一緒に暮らしたくないという人に強制することはできません。ただ、難民は別だと考えられないか。自分の国にいたら爆弾が降ってきて、スナイパーに撃たれる。だから、自分と家族の命を守るために仕方なく、命からがら逃げてきた人たちです。その人たちは特別受け入れてあげましょうよ、と。
移民を受け入れるかどうかは日本人の選択の問題だとしても、難民の受け入れは人類としての義務だと私は思っています。命からがら逃げてきた人と、一般の外国人を同じレベルで考えてしまっているのが今の日本社会、政府なのかなと思います。
更新:11月24日 00:05