
「物価上昇率を上回る賃上げ」は、本当に実現できるのだろうか。会計学の視点から、その難しさと理由をわかりやすく解説してもらった。
※本稿は、榊原正幸 著『60歳までに億り人になる思考法 なぜ富裕層は好んで借金をするのか?』(PHPビジネス新書)の内容を一部抜粋・編集したものです。
※本稿は2026年7月時点の情報に基づき、投資に対する著者の考え方を示したものであり、個別の金融商品を推奨するものではありません。金融商品の価値は状況によって変動しますので、購入を含む投資の判断はご自身の責任で行なうようお願いいたします。
2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、日本においても物価上昇が始まりました。その後、耳にタコができるほど言われてきたのが、「物価上昇率を上回る賃金上昇率を目指そう!」という言説です。
最初に結論を申し上げますと、「物価上昇率を上回る賃金上昇率」というのは、理論上はあり得ないのです。世の政治家は、受けの良いことを言っているだけで、経営学や会計学の視点、しかも非常に基礎的な視点から考えれば、「物価上昇率を上回る賃金上昇率は、あり得ない」というのは明白なのです。
ただ、理論上、「物価上昇率と『同じ率』の賃金上昇」というのはあり得ますし、「あり得る」どころか、理論上は、一定の時間が経てば必ずそうなります。
問題は、「物価上昇率を『上回る』賃金上昇率」はあり得ない、ということです。
「物価が上がる」ということは、理論的に考えれば、企業の売上高が物価上昇率の分だけ上がるということですし、仕入価格も物価上昇率の分だけ上がります。また、諸経費の額も物価上昇率の分だけ上がります。そして、人件費(みなさんの給料)も物価上昇率の分だけは上がるのです。
このことを、簡単な「損益計算書」でお示しします。「損益計算書」といいましても、会計の知識がゼロの方にもおわかりいただけるように書きますので、ご安心ください。
まず、「損益計算書」がどんなものなのかを簡潔に説明します。
下図のように、真ん中の縦線の左側に「費用」を、右側に「収益」を書き並べたものが、「損益計算書」です。そして、収益と費用の差額が「利益」です。

「損益計算書」とは、「収益−費用=利益」を示す財務諸表です。
収益=「儲かったな」と思う項目の総額。たとえば売上の総額とか受取手数料。
費用=収益を得るために支出した項目で、原則として形のあるものが残らない支出。
収益から費用を差し引いたものが「利益」です。日常会話では、「収益」と「利益」をゴッチャにして使うことがありますが、正しい会計学の発想では「収益」と「利益」は異なります。
「収益」は、それを得るのにかかった費用を差し引く前の「総額」で、「利益」は「収益」から費用を差し引いた「純額」だからです。
「収益」とは、「儲けの総額」で、「利益」は「儲けの純額」とも言えます。「純額」とは、「収益から費用を差し引いた額」という意味です。
先に述べたように、「費用」は「収益を得るために支出したもので、形の残らないものに支出した額」です。
「損益計算書」の説明は、以上です!(笑)
では、「物価上昇率を『上回る』賃金上昇率」はあり得ない、ということについて、簡単な損益計算書を用いて説明します。下の図をご覧ください。

2つの損益計算書にお示ししたように、物価が10%上昇した後のそれぞれの金額は、理論上、このように全ての項目の金額が10%上昇するのです。
ですから、人件費(=みなさんの給与)に関しても、物価上昇率と「同じ率」の上昇は、一定の時間が経てば、理論上は必ず起こるのです。
そこで次に、物価上昇率を「上回る」賃金上昇率について考えてみましょう。
物価上昇率を「上回る」賃金上昇率を実現させるためには、次の4つのいずれかを起こさないと無理です。
1.売上高の金額を物価上昇率以上の比率で引き上げる。
2.仕入価格を抑え込む。
3.人件費以外の諸経費の額を抑え込む。
4.利益の額を抑え込む。
それぞれの可能性について、簡潔に述べます。
理論上は、無理です。同業他社が物価上昇率分だけ単価を引き上げている中で、自社だけが物価上昇率以上に単価を引き上げるということですから、そんなことをすれば自社の品物が売れなくなってしまうからです。
これも理論上は、無理です。仕入価格というのは、仕入れ先の売上高です。世の中全体で、物価上昇が起こっているのに、仕入れ先の売上高に当たる仕入価格を抑え込むのは無理というものです(もちろん、イノベーションが起これば別です)。
仕入価格と同じ理由で無理です(これも、イノベーションが起これば別です)。
これは、理論上は無理ではありませんが、現実的には実現不可能です。利益の額を抑え込んでしまうと、それによって、株価が下がってしまうので、経営者としては、そのような意思決定は、現実的には実現不可能なのです。株価が下がってしまうということは、その企業の「市場での評価が下がる」ということですから、経営者の意思決定として、そのような選択をすることは現実的ではありません。株主からの批判も免れません。
「物価上昇率を『上回る』賃金上昇率」などというものは、聞こえの良い「うそっパチ」ですので、騙されてはいけません。
ですから、大企業にお勤めの方でも、「春闘での賃上げ」などに期待しても、せいぜい「物価上昇率と同じ率の賃金上昇」しか期待できませんし、中小企業においても理論上は同じことなのです。
なお、「大企業はいいけど、中小企業は厳しい」というのも正しくはありません。
大企業であるか中小企業であるかには関係なく、理論上は「一定の時間が経てば、物価上昇率と『同じ率』の賃金上昇」は起こるのですから。
更新:09月11日 00:05