
なぜ人は恥ずかしいと感じるのか。その正体は「理想の自分」と「
※本稿は、川岸宏司 著『なぜ、あの人の言葉は心に響くのか 感情を自在に言語化する技術』(大和出版)の内容を一部抜粋・編集したものです。
「こう見られたい」という理想と、「こう見られた」という現実。
この2つのギャップが開けば開くほど、顔は赤くなり、恥ずかしさは強烈になるイメージです。
逆に言えば、「恥ずかしい」と感じるということは、あなたの中に明確な「理想の自分」が存在している証拠でもあります。
何も目指していない人は、恥をかきません。あなたが顔を赤くしているのは、あなたが何かを目指しているから...ではないでしょうか。
この感情を「誤魔化す」ということは、せっかく見えた自分の「理想」や「価値観」を知るチャンスを、自らドブに捨てるのと同じことです。
恥ずかしさは、経験上、図の4つのパターンで発生します。

どのパターンで「ウッ」となるかを知るだけで、自分の価値観が浮き彫りになります。ぜひ、自身の経験に置き換えて読んでみてください。
誤魔化した経験が浮かんだ方もいるではないでしょうか。誤魔化す人は、ここで「バレてない、大丈夫」と蓋をします。
でも、言語化する人は、ここで「なぜ私は今、恥じたのか?」と解剖します。この差が、数年後に「薄っぺらい人」になるか、「深みのある人」になるかを分けると思っています。
私が、恥ずかしさを言語化することの威力を知った出来事をお話しします。それは、書籍の出版記念イベントで講演することになったときの話。集まってくれたのは、30名の方々。300人のような大ホールではありません。30人という距離感は、参加者全員の表情、視線、呼吸までもがダイレクトに伝わってくる「逃げ場のない距離」です。
普段、私はSNSで「仕事論」や「厳しい言葉」を発信しているため、参加者の多くは私に「メンタルが強い人」「完璧な経営者」というイメージを持っていました。
一方で、現実は違います。
登壇直前の舞台袖、私は緊張で登壇することへの後悔がこだましていました。背中は冷や汗でびっしょり。喉はカラカラに張り付く。心臓は早鐘を打ち、指先は震えている。目の前に座る30人の視線が、まるで銃口のように突き刺さる感覚。
ここで、強烈な「恥ずかしさ」が襲ってきました。「ヤバい。こんなガチガチに緊張している姿を見られたら、『強い人』というイメージが崩壊する」。
このときの私は、「緊張=弱さの証拠=隠すべき恥」と捉えていました。だから必死に深呼吸をし、震えを止めようとし、平静を装おうとしました。でも、隠そうとすればするほど、理想と現実のギャップが広がり、パニックになりそうでした。いえ、なっていたかもしれません...。
そこで私は先ほどの自問を思い出し、自分に問いかけました。
「なぜ、今、恥ずかしいんだ?」
答えはシンプル。「完璧な自分じゃないと、価値がないと思い込んでいるからだ」。そう気づいた瞬間、開き直る決断をしました。この恥ずかしさを、そのまま言語化して武器にするしかない、と。
私は登壇した第一声で、マイクを握りしめながらこう言いました。
「すみません。今、めちゃくちゃ緊張しています。手も震えています。普段は偉そうなことを言っていますが、いざ皆さんの顔を見たら、カッコよく見られたいという欲が出て、ビビり倒しています」
会場が一瞬静まり返り、次の瞬間、ドッとあたたかい笑いが起きました。
その瞬間、身体の強張りがフッと解けました。「完璧な自分」を殺したことで、言葉が嘘のように自然に出てくるようになりました。
恥ずかしさを隠していたら、私は「緊張して噛みまくった、サムい講演者」で終わっていたと思います。
一方で、恥ずかしさを言語化したことで、私は「人間味のある、正直な登壇者」になることができました。
更新:08月21日 00:05