2026年07月21日 公開

本物の成功者とそうでない人の違いは何でしょうか。超高級ワインを目の前にしても、値段やうんちくを語らず、惜しみなく振る舞う人。一方で、損得を計算して格下のワインに切り替えてしまう「残念な人」。高級ワインの栓をためらわずに開けるエグゼクティブが手にしている「対価」とは...?ワインとの向き合い方を通じて、彼らが実践している「信頼の設計図」と「一流の思考法」をひも解きます。
※本稿は、今野有子著『エグゼクティブはなぜワインにはまるのか?』(クロスメディア・パブリッシング)より一部抜粋・編集したものです。
自ら価値を定義する者と、他人の評価をなぞる者。その決定的な差は、知識量や資産額ではなく、「ワインを介して、相手と、そして自分とどう向き合っているか」という対峙の姿勢に現れます。
その証拠に、私が目撃してきたエグゼクティブたちは皆、同じ「美学」を持っていました。
これから私が体験したエピソードを紹介します。
ゲーム業界のレジェンド。
世界的なゲームタイトルを手がけてきた彼は、大のワイン好きとしても知られている。
彼にホームパーティーに招かれた時、まず驚いたのは、最寄り駅の改札まで彼自身が迎えに来てくれたことだ。数々のヒット作を生み出してきたレジェンドが、私のために、にこやかに手を振って待っている。
光が差し込むデザイン建築のリビングには、人数分のブルゴーニュグラスが完璧に並んでいた。
「ちょっと待ってて、今これ仕上げるから」
レジェンド自らがキッチンで腕を振るう。
誰かに指示するのではない、盛り付けまで、すべて自分の手でやるのだ。
「ワイン、何飲みたい? 好きそうなのを並べておいたから、見ておいて」
キッチンカウンターに並ぶ十数本のボトル。
ブルゴーニュの特級畑。ヴィンテージ違いの名門ドメーヌ。一本で高級車が買える価格帯のものも、混ざっている。
「シャンパンはこっちね」
そこにはクリュッグにクリスタル。その隣にはドン・ペリニヨンの熟成の極致であるP2、P3。そしてシャルドネの真髄を極めたサロン。各メゾンの最高級キュヴェが平然と居並ぶその光景は、見る者の審美眼を静かに試しているかのようだった。
「これって、本当に開けていいんですか?」と驚く私に、彼は一瞬きょとんとして、いたずらっぽく笑った。
「僕はコレクターじゃないからね。みんなで飲むために買ってるんだよ」
値段の話は一度も出ない。彼は私に「自由に選んでいいよ」と言う。飲みたいものを選んで欲しい。それがたまたま高価でも気にしない。彼は誰よりも立場が上なのに、誰よりも立ち働いている。
料理を出し、皿を下げ、人の話を真剣に聞き、笑い、グラスが空けばさりげなく注ぎ足す。数時間で、数百万円分のワインが開くこともある。だが彼は一度も「高かった」「すごいでしょ」とは言わない。
彼の関心は、ボトルではない。場の温度だ。
誰もワインそのものを目当てに来ているわけではない。
私を含め、その場にいる全員が、彼の「姿勢」に惚れている。
出し惜しまない。誇らない。主役にならない。
価値を定義する者は、所有に固執しない。自らを起点とし、その価値を循環させる。
別の会食でのことだ。
「今日は特別にリシュブール(ブルゴーニュ最高峰の畑のひとつ)を開けちゃおうかな」
その一言で、場が一気に沸く。誰もが内心で期待する。
だが中盤になり、
「やっぱり今日は村名ワイン(特級、一級のさらに下の格付け)からゆっくりいこうか」
その瞬間、場の温度が一度、確実に下がった。
結局、リシュブールは最後まで出てこなかった。
本人は気づいていない。これはワイン一本の問題ではない。
「この人は、土壇場で損得を計算する」
「この人は、最後の最後で自分を優先する」
という印象が残る。
エグゼクティブは、無闇に期待を煽らない。言ったからには、出す。出したら、一切の未練を見せず、その場を愉しみ尽くす。
信頼とは、ワインの格付け以上に、こうした「振る舞いの一貫性」によって築かれるものなのだ。
私は太っ腹な金持ちの話を紹介したいのではありません。これはエグゼクティブがどのように信頼を「設計」しているのかという仕組みです。
価値を定義する者は、高価なものを使って自分の格を証明する必要がありません。高価なものを使って、場の価値そのものを上げるのです。底流にある価値観を共有し、その対価を、金銭ではなく「信頼」という名の目に見えない資産で受け取ります。
• 情報を出し惜しみしない
• 主役を相手に譲る
• 決めたことを簡単に覆さない
短期的には損に見えたとしても、長期的には、信用と機会が循環します。
エグゼクティブは、資産を「溜める」のではなく、「回す」ことで増やしているのです。
ナパ・ヴァレーの丘に沈む夕陽が、ガラス越しにオレンジ色の光を落としていた。
谷を見下ろすレストラン。
天井は高く、大きな窓いっぱいに葡萄畑が広がっている。
ジャック・セロスのシャンパーニュを味わいながら、向かいに座る男を見る。
彼は30代で巨額の資産を築いた経営者。
分厚い革張りのワインリストが運ばれてきた。
私は内心、彼が時間をかけて選び、決めるのだろうと思っていた。だが彼は、リストから視線を上げ、私を見た。
「有子さん、今日のあなたの気分で決めましょうか」
一瞬、空気が変わる。
全ての決定権は彼にある。
それでも、渡す。
「この後、白から始めて、だんだん重くしていきますか?それとも最初から赤で、メインの肉料理のポテンシャルを引き出しましょうか?」
二択だ。丸投げではない。誘導でもない。"選べる幅"を設計している。
私が「セロスが素晴らしいので、白ではなく赤が飲みたいです」と言うと、彼はさらに絞り込む。
「力強いカベルネと、しなやかなメルロー。どちらの表情が見たいですか? それとも、ソノマのピノ・ノワールもありますよ」
どちらの表情が見たいですか。その言葉に、私ははっとした。
ワインの説明ではない。私の"感覚"を問うている。私はメルローを選んだ。彼はうなずき、ソムリエに静かにオーダーを伝える。
値段は確認しない。うんちくも語らない。
ワインが運ばれ、グラスに注がれる。
「どうですか?」
彼は味の正解を言わない。私の言葉を待つ。
その瞬間、私は「客」ではなくなっていることに気づく。
この場を共に設計する、当事者になっていた。
別の経営者との食事。
「ここ、僕の行きつけだから。一番いいのを任せてあるから、黙って飲んでみて」
グラスが置かれる。説明が始まる。「これ、普通じゃ飲めないやつなんだよね」
私はうなずく。だが、私の感覚はそこに存在しない。
彼は「選ぶ主役」。私は「消費する観客」。会話はやがて、彼の武勇伝に変わる。
ワインは、美味しかったかもしれない。だが、記憶に残らない。なぜなら、私はそこに参加していなかったからだ。
決定権を持ちながら、あえて相手に選択権を渡す。
これは、「あなたの感性と判断を信頼している」という、極めて純度の高いメッセージになります。
人は、その主体性を尊重された瞬間に心を開きます。そして、自らが選んだことを自覚した時に責任を持ちます。仕事の現場でも同じことがありませんか。
「これをやれ」と指示するリーダーの下では、部下は実行者ですが、受身になります。
「A案とB案、君ならどちらがいいと思う?」と問うリーダーの下では、部下は「当事者」になる。
当事者は、他責にしません。だからパフォーマンスが上がります。主権を渡すことは、責任と誇りを同時に渡すことでもあるのです。
エグゼクティブは、相手を従わせません。相手を、共鳴させるのです。
更新:07月21日 00:05