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これなら俺にもできる! 日高屋創業者がラーメンを生業に決めた瞬間

神田正(ハイデイ日高会長)、中村芳平(外食ジャーナリスト)

「日高屋」

後の日高屋創業者・神田正氏は、町中華で出前の仕事をしている最中に、ラーメン屋が自身の性分に合っていることを確信する。後の独立の足掛かりとなる当時のことを回想してもらった。

※本稿は、神田 正 著、中村芳平 構成『日高屋 10人中6人に美味しいといわれたい』(日本実業出版社)より内容を一部抜粋・編集したものです。

 

町中華修行時代、見よう見まねでラーメン屋の基本を会得

「集金したお金は店の売上であって自分のお金ではなかったけれど、それでも喜びがこみ上げてきました。村一番の貧乏家に育って幼少年期の頃からずっと、話にならないほどの貧乏暮らしを経験してきて、成人してからも貧乏暮らしが続き、お金には本当に縁がなかった。

それだけに出前の仕事で毎日お金に触れるのは、心地よかった。たとえ100円玉3、4枚が集金バッグに入っているだけでも幸せを感じた。『いつか絶対金持ちになるぞ!』と、自分を奮い立たせたものです」(神田)

神田が、中華鍋を振ってチャーハンや野菜炒めを、初めて作ったのは、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)、23歳の頃で、先述した通り浦和市(現・さいたま市浦和区)のラーメン屋「浦和天清」(現在は閉店)で、出前として働いていた時のことだった。

店は10坪程度、20席足らずの小型店で、店主とその妻が「生業」(なりわい・せいぎょう=生計を立てるための仕事)として運営していた。今でいう典型的な町中華だった。

店売りより出前の売上のほうが多く6割くらいを占めていた。当時、ラーメン80円、餃子50円、チャーハン100円の時代である。神田は出前の品がその場で「現金化されて集金バッグが現金でいっぱいになるのが、うれしかった」という。

「ラーメン屋は作って売ればすぐに現金になるのに、仕入れなどは月末締めの翌月払い。こんなにキャッシュフローのよい商売はないと思いました。

仮にこれが製造業であれば製品を納品してから請求書を送り、売上を回収する当時の回収サイト(代金を回収できるまでの期間)は30~90日、在庫負担は重いし、資金繰りは非常に難しい。だから事前に相当なキャッシュを持っていないと、破綻してしまいます。

飲食業と近い卸売業の売上の回収サイトは30日以内ですが、私のようにせっかちな性分だと、現金化が遅すぎて、とても待てないですね。売ればすぐに現金になるラーメン屋は経営のリスクは少ないし、せっかちな私向きの商売だと思いました」(神田)

 

ラーメン屋開業を決めた瞬間

ラーメン屋で商売をしよう、と興味を持った神田は、時間が空くと、掃除や皿洗いに始まって、仕込みなど、できることはなんでも手伝った。例えば、店主が豚ひき肉、キャベツ、ニラ、ニンニク、生姜などで餃子の餡作りを始めれば、すぐに手伝った。

「入店して3カ月もすると、賄飯ですが『作ってみろ!』といわれてチャーハンを作ると、そこそこの出来で、そんなに難しくなかった。また、餃子も見よう見まねでわからないところは教えてもらって、餃子の餡作りを覚えました。

できあがった餡を皮で巻いて生餃子を50食、100食と完成させるのも、6カ月ぐらいで自然と覚えられました。もちろん餃子の焼き方も同じやり方で覚えました。スープ作りは秘伝なので細かなことは絶対教えてもらえないのですが、食材の仕入れも担当していたので、何を使っているのかは推測できるわけです。これなら俺にもできる!ラーメン屋で独立・開業しようと思ったのです」(神田)

プロフィール

神田正(かんだ・ただし)

ハイデイ日高会長

1941年埼玉県日高市生まれ。中学を卒業して職を転々としたのち、’65年友人のラーメン店で働き始める。’73年大宮でおよそ5坪のラーメン店「来々軒」をオープン。低価格のラーメンを主力とする「日高屋」で業績を上げる。’78年有限会社日高商事を設立、代表取締役に就任。’93年北区赤羽に出店し都内進出。’98年株式会社ハイデイ日高に商号変更。2005年東京証券取引所二部上場、’06年東京証券取引所一部に指定。2002年から「日高屋」を展開し、関東1都6県等に480店超(日高屋以外を含む)を展開する企業へと成長させた。

中村芳平(なかむら・よしへい)

外食ジャーナリスト

1947年、群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。流通業界、編集プロダクション勤務、『週刊サンケイ』の契約記者などを経てフリーに。『日刊ゲンダイ』、『月刊リベラルタイム』などに外食モノを執筆している。著書に『居酒屋チェーン戦国史』(イースト・プレス)、『キリンビールの大逆襲:麒麟淡麗〈生〉が市場を変えた!』(日刊工業新聞社)、『笑ってまかせなはれ グルメ杵屋社長椋本彦之の「人作り」奮闘物語』(日経BP社)、『日高屋 10人中6人に美味しいといわれたい』(構成・日本実業出版社)などがある。

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