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「水曜どうでしょう」ディレクターの基礎となった“ゆるさ”の原体験

嬉野雅道(テレビディレクター)

「水曜どうでしょう」ディレクターの基礎となった“ゆるさ”の原体験

人生を豊かにするのは、計画された体験だけではない。偶然の出会いが生む感動を、「水曜どうでしょう」のディレクター・嬉野雅道氏が振り返る。

※本稿は、嬉野雅道 著『だから僕らは出会わなければならないのです。』(集英社インターナショナル)の内容を一部抜粋・編集したものです。

 

ゆるさの原体験

私が実際に経験してきた67年の人生を振り返れば、ツッコミどころが容易に見えて笑えてしまうような人も環境も、この国にはたくさんあったように思えるんですけどね。だって、どの時代も、ゆるゆるにゆるい時代ばかりだったようにしか思えないのです。まぁ、たんに私の偏った記憶かもしれませんが。

映画館だって昔は完全入れ替え制なんかじゃありませんでした。上映中だって自由に出入りできたし、見終わった後もそのまま席に居残れば何回見続けたって誰も文句も言わないわけです。

それがあるときから映画館が完全入れ替え制となって「見るのは一回だけ」という厳格さの中で観客と映画とは真剣に向き合わなくてはならないきつい関係になってしまったと私には思えるのです。もちろん、真剣に映画を見る姿勢は悪くはないでしょう。しかし昔の日本人の映画の見方はもっと適当だったと、今では少し懐かしくなるのです。

だって、大正末年生まれのうちの父なんか、上映時間とか気にもせずに映画館に出かけてました。私の子ども時分の記憶をたどれば、父に映画に連れて行かれるときは、きまって上映中でした。

窓口で父が入場券を買ってくれ、二人で映画館のロビーを抜け、大きくて重いドアを押し開けると、劇場内はもう暗くて正面のスクリーンではすでに映画が始まっているのです。

私は途中から見始めますから、お話の展開や人間関係だってはしょり過ぎてて飲み込めない。とはいえ映画は父といつもそうやって見るもんだから、子ども心になんとなく毎回疑問は残るんだけど、そのまま最後まで見てしまい、次の回の上映が始まって、やっと冒頭から見はじめるから「あ、そーいうことだったのね」といろんなことに合点がいくという順番。

やがて自分が見始めたシーンまでお話が進んだところで横から「ここから見たな」と父の声がして、それを合図に親子は席を立って、まだ暗い上映中の通路を通って映画館の外に出る、みたいな、とんでもなく雑な見方が私の映画鑑賞の始まりにはありました。

 

適当な環境 偶然の出会い

でも、大正末年生まれの父の青年期である1950年代頃の映画って、なんか、そうした適当な気分で見られていたんじゃないでしょうか。

たとえば知らない土地で誰かと待ち合わせをして、うっかり一つ前の用事がだいぶ早く終わって待ち合わせの時刻まで一時間も空いてしまうってことになったとき、「だったら映画館で繫ぐか」と、時間をつぶす手段として映画館を利用していたみたいですね。

最後まで見る時間はないのに、ためらいもなく映画館に入るわけですから、現代の我々には思いもよらないことですが、昔の日本人は、そんな軽い感じで映画館を利用していたようです。

当時の日本の年間映画観客動員数は10億人ともいいますから、たしかにその中には見る気もなく映画館の暗闇で暇をつぶす人だってたくさんいたかもしれない。もちろん映画料金が今とは比べ物にならないほど安かったからできたことでしょうけど。

でも、そんな適当な感じで映画と付き合ってると、いつもなら見ないような映画を選択することだってあったでしょうね。でも意外にそんなときに生涯忘れられない映画と出会うことだってあるわけですから、運命の人との出会いだって案外そうした偶然の導きから始まりそうです。

「どこかにいい人はいないか」と探しても見つからなかったのに、うっかりよそ見してたら橋の上で誰かとぶつかって、「あ、すみません」なんて慌てて謝りながら相手の顔を見たら、その瞬間、目の前のその人にすっかり心を奪われていて、相手もまたそうだった、みたいなね。

そんな絵に描いたような恋愛経験なんか、もちろん私の人生には一つもありませんけど。でも、ある人にはあると思えば、そんな出会いのためにも「うっかり油断して開いちゃう心」をもたらすゆるさってのは、やっぱり社会には不可欠なことに思えてくるんです。

 

スクランブル交差点の真ん中で

あれはもう、10年以上前のことです。その日、私は札幌の町を歩いていて、信号が青になるのを待ってスクランブル交差点を渡り始めたんです。

もちろん何も考えることなく油断しきって歩いていました(まぁ、油断しやすいタチかもしれませんね私は)。そんなとき、前方から制服姿の高校生の集団がパラパラと渡ってくるのが見えました。

なにしろ観光地札幌です。それも夏でしたからオンシーズン。私はてっきり修学旅行の高校生だと侮ったのです。そしたら先頭の女の子が、まさに私とすれ違いそうなところで、突然、聴き惚れるような良い声で高らかに歌い始めたんです。

その歌声をきっかけに彼女のだいぶ後ろを歩いていた男の子たちが足早に駆け寄ると、一斉にキレイな声でハモリ始めたんです。

あまりのことに私は度肝を抜かれました。突如としてスクランブル交差点の真ん中で妙なるコーラスが始まったんです。

おそらく全国高校生合唱大会だかの決勝大会が札幌で開催されていたのでしょう。不意に始まった高校生の混声コーラスの歌声に、油断していた私の心は鷲摑みにされ、そのままぐいぐい揺さぶられて交差点の只中で感動するほかなかったんです。

コーラスは高校生たちが交差点を渡り切るや幻のように消えてしまいました。

私は、あれ以上のコーラスを後にも先にも知りません。きっと油断して開ききっていた私の心にコーラスの歌声がそのまま飛び込んできたからこその感動だったろうと思うのです。

どんな立派なホールで、どんな立派なテノールを聴かされても、こちらが構えている限り、あそこまでの感動はないと思います。

それを思うと、やっぱり、人に緊張を強いる厳格さより、人の心を油断させる適当さが、そこここで花を咲かせるような社会の方が感動に出会うことだって多いかもしれない。

プロフィール

嬉野雅道(うれしの・まさみち)

テレビディレクター

1959年、佐賀県生まれ。『水曜どうでしょう』(北海道テレビ放送)のカメラを30年間担当。ロケ中に発生した可笑しみを損なうことなく映像にすくいとる独特のカメラワークを事あるごとに本人は語りたがるが、世間はそれほど理解を示すふうでもない。近頃は眠れぬ夜にAIと語り合い、日本の明るい未来はもうすぐそこまで来ているじゃないかとAIと共に悦び合っているらしい。すでに定年退職したが、すぐに嘱託となり更に自由な立ち位置を得て現在もサラリーマンであり続け、とりあえず辞める気配もないという、日本の組織人としては特異な地位を占めている。著書多数。

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