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松下幸之助が説いた「有能なのに会社で大成できない人」の一つの特徴

2024年03月10日 公開
2024年03月12日 更新

渡邊祐介(PHP理念経営研究センター代表)

松下幸之助
イラスト:松尾達

人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。

本記事では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?

【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。

※本稿は、『THE21』2023年3月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~賢い人間は国を興し会社を興す。同じように、賢い人間が国をつぶし会社をつぶす。」を一部編集したものです。

 

会社をつぶすのは経営者 紙一枚の差とは

「賢い人間は国を興し会社を興す。同じように、賢い人間が国をつぶし会社をつぶす。」

怖い言葉である。この名言は1976年、松下幸之助が81歳の相談役時代、名古屋青年会議所の招きを受けて登壇し、名講演となった一節の中で出てきた。

若い経営者たちが目を輝かせて己を見つめる先で、幸之助はわが経営の60年史を語った。

話が後半に入ったとき、幸之助は突然、相撲の話を始めた。

「きのう相撲を見ていましたら、負けるべき人が負けずして勝ち、そして勝つべき人が負けるというような場面も出てきました」

その多くの理由は油断だと片づけながら、急に商売の話に戻し、経営者に関しては、60年の経験から言えば、経営者その人自身がつぶしている、と幸之助は言い切った。

「ですから、賢い人は、会社を興し、国を興します。しかしまた同時に、会社をつぶし国をつぶすと、こういうことです。(中略)面白いものやと思いますな。国をつぶす賢い人と国を興す賢い人と、どれだけの差があるかというと、紙一枚の差です。紙一枚も差がないくらいです」

観衆は思わず息を呑んだ。

 

同僚議員から共同事業主を経て幸之助の部下になったT

たくさんの経営者、部下と接してきたからこそ説得力がある。

一例にTという幹部の人生を辿ってみよう。Tは創業間もない時代の松下電器でナンバー2にまで上り詰めた有能な幹部であった。

幸之助が大開町にいた頃、Tは同じ町内で米屋をしていた。

1925年、たまたま市の連合区会議員選挙に幸之助とTが共に立候補、当選したのが出会うきっかけとなった。

親しくなった2人だったが、数年で境遇が変わってきた。幸之助の事業が飛躍的に拡大、米屋のTは幸之助が羨ましくなり、共同事業をもちかけた。

幸之助も電熱器事業を拡大したい矢先だったので気軽に承諾し、Tも資本を出して始めた。ところが、これが見事に失敗するのだ。幸之助には珍しい話である。

幸之助はTに失敗した理由を告げた。

「自分はTに任せて片手間だったし、Tも米屋を片手間にやっていた。事業は命をかける覚悟で臨むものであり、これは自分の責任である。損失は自分が引き受けるから共同事業は解消しよう」

ところがTも強情で、「君一人に損をかけられん。わしの責任だ」と退かない。幸之助は条件を出した。「君が松下の店員(社員)になるなら任そう。ただ、その場合はぼくは店主、きみは店員だ。君はぼくを主人と仰ぐことができるか」

思い切った提案だったが、Tはここで米屋をきっぱりやめ、幸之助の片腕となった。

1929年の大恐慌の年、経営を乗り切るために幸之助に人員整理を提言してきた2人の幹部とは、幸之助の義弟井植歳男とTである。

ではその後Tは松下電器で大成したかというと、残念ながらそうならなかったのである。9年間は営業部長として活躍したが、Tは同僚と諍いを起こし、松下電器を退職する。

その翌年、独立してT乾電池製作所を創業したが、経営は向上せず。しかし、Tは幸之助の下に戻ろうとはしなかった。かつての同僚で三洋電機創業者として発展していた井植の支援を受ける。しかしさらに3年後、不遇のまま脳溢血で59歳の若さで急死するのである。

 

自我を抑えきれなかったTの悲劇

幸之助はのちに、ある取材でTと井植を比較して、こう論じた。

「ひとつ例をあげましょうか。Tを使いにやると必ず成功する。そして、先方がどういう感じをもつかというと、『Tはんはなかなかええ番頭はんや。松下さんはええ番頭はんを持ってまんなあ』という感じを与える。

井植をやりますとね。やっぱりそういう感じを与える。しかし、一つ違うことは『松下さんとこは、ああいうええ番頭がたくさんおるらしいなあ』という感じを与えてくる。そこが違うところなんですよ。どっちも目的を達成して、相手を感心させて帰ってくる。そこは同じだ。しかし相手を感心させてくる感じがひと味違う。それで井植はのちに成功し、Tは大成しなかった」

幸之助はこう分析している。

「Tには"自分"というものがあった。非常に商売はうまいし、熱心。説得もうまい。しかし、いくらか、自意識というものがあるわけです。井植のほうは、ぼくに同化してやっていましたから自分というものがない。だから松下(電器)というものが前に出る。Tのほうは松下ではなくて自分という感じが残ってしまう」

幸之助はかつて自分を支えてくれた2人を偲びつつ、Tの早逝を残念がっている。Tはビジネスマンとして決して無能だったわけではない。むしろ、有能ゆえに、逆にあらゆる場面で有能さを示さずにはいられない自我が出て、それが経営者としては瑕疵となったのだ。失敗したTが幸之助でなく井植を頼った理由も、意地なのか恥なのか、それとも井植の包容力への甘えなのかやるせない。

井植はTの人となりを「素朴にして淡々とした性情で、真に敬愛すべき人柄」と述べ、業界紙でもその強引さと繊細さが同居した個性ある人柄だったとの評が残されている。

実際に有能か無能かより、自己の有能感、肯定感を他人にどこまで主張するかによってビジネス人生は浮き沈みする。

知識やスキルを高めることも大切だが、人間としていかに慎み深く己を修養していくべきか、その心構えが問われる。

 

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