
生成AIがあらゆる面で人間を凌駕する近未来。そんな時代が訪れた時、人々は何に活路を見出すべきか?本連載では、未来予測の専門家(フューチャリスト)である鈴木貴博氏に、5回にわたってこれから起こりうる未来について、様々な切り口から読み解いてもらう。
※本稿は、全5回の短期集中連載「2040年の経済学」の最終回です。
『THE21』2026年7月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
人工知能の進化に関する未来予測をしていて、周囲に一番よく訊かれるのが、「AIにできないことって何ですか?」という質問です。
背景にある人間の気持ちはわかりますよね。AIの進化に対する内面的な焦りだと思います。使っていてとても便利だと思う反面、こいつのほうが能力が高いのは嫌だという矛盾した感情が沸き上がってくるのです。
19世紀のラッダイト運動で、工場の機械を打ち壊した人たちもこんな感覚だったのでしょう。それまで「布を織る」という高度な専門技術では誰にも負けないと思ってきた職人たちが、自分よりもはるかに正確で品質の高い布を短時間で織り上げる機械に対して、憎しみを感じたのは当然でしょう。
だからこそ「創造力では人は負けない」「決断できるのは人間だけ」「結局のところ間違えていないかどうかのチェックは人でないとできない」といった風説は、私たちに勇気と共感を与えます。ただ残念なことは、それらの言葉が時間が経つにつれて正しくないことがわかってくることです。
2040年を待たずに2030年代前半には、ほとんどすべての事柄について、人間よりも機械学習が進んだAIのほうがより良い判断を下せるようになります。例外がフィジカルAIで、まだ人間の指先のほうが性能がいいのですが、その優位も2035年頃には失われていくでしょう。
創造性についても、何らかの新しい企画を考えるのは専門家よりもAIがずっと面白いアイデアを出してくるでしょう。判断力という点でも、そのようにして出てきた10のアイデアの中から一番経済的に成功しそうなアイデアを選ぶ力は、上級管理職よりもAIのほうが上です。
2030年代を生きる人間にとっての救いは、たとえ能力で負けていてもフィジカルAIには対抗できるということでしょう。理由は生産能力の不足です。
その時代、人型ロボットが実用化され、様々な職場で働くようになるのですが、世界の年間の製造能力は1000万台レベルに過ぎないはずです。つまり機械が80億人の人類をリプレイスするにはずっと長い時間がかかるのです。
結論をひと言でいえば、「近い将来のAIには何でもできる」というのが今のところ一番正確な未来予測です。
では人間に残された能力や役割は何なのでしょうか?すべてを越された先の世界で、人類には何が残されるのでしょう。
実は最後の最後に大きな「希望」が残されています。ギリシャ神話のパンドラの箱の寓話と同じです。今回の連載の最終回ではその希望について解説したいと思います。
皆さんをじらせるつもりはありません。先に結論を申し上げます。AIが最高度に進化する近未来でも、人間にしか持てない能力が一つだけ残されます。それは「野望」です。
「こういうことができる未来をつくりたい」「こういう未来にはしたくない」といった野望だけは、人間が選択することができる残された能力です。より詳しくは前者を野望、後者を自制として二つの能力として対比させたほうがいいかもしれません。
具体例を一つ提示しましょう。
あなたはスマホに医者になってもらいたいですか?
スマートフォンに搭載されたAIが、かかりつけのお医者さんを超える医学の知識や能力を持つ未来はやがて訪れます。おそらく2030年ぐらいの比較的近い未来でそうなると思われます。
例えば、「なんか体調が悪いな」と思う日にスマホに話しかけて症状を伝えると、スマホから指示が出ます。まずスマホと連動する体温計で体温を測って、次にスマホのカメラでのどを写してといった具合です。スマホは言うでしょう。
「ああ、風邪ですね。今日は会社を休んでください。処方箋も書いておきますから、薬局で咳止めと熱さましの薬を買ってくださいね」
今の法律ではそんなことは許されません。診断して処方箋を書くのは医者の免許が必要です。でも、もう一歩進んでこんな未来だったらどうですか?
あなたの家にはスマホ以外に1台、人型ロボットがいます。同じように体調が悪いだけでなく、体温はかなり高く、全身の筋肉がなにかとても痛いとします。それで同じようにスマホに話しかけると、「インフルエンザの可能性がありますね」と診断したとします。
スマホは話を続けます。「検査してもらいましょう。鼻の奥に綿棒を入れてぬぐってください。ロボットくん、それを近所の薬局に届けて」ロボットがドラッグストアに出かけると、店員ロボットがインフルエンザの抗原検査キットを売ってくれて、その場で検査もしてくれます。結果はロボットからスマホにWi-Fiで伝わります。
「ああ、結果はインフルエンザA型だね。ロボットくん、処方箋を書くから、タミフルを買って帰ってくれる?」薬の調達はAIに任せ、あなたは観念して寝床に向かいます。「それと職場にはもう連絡済みだから」この時代、あなたのスマホはAIエージェントとしてあなたの仕事も管理してくれているのです。
どうでしょう。こんな未来が便利だと思う読者は少なくないのではないですか?今の法律では、インフルエンザで体調を崩した人は、高熱をおして病院まで出かけて診察してもらわないといけません。
私もインフルにかかったことがありますが、全身の筋肉がひどく痛む中で、病院まで歩いていくのはかなりの苦行でした。
そこで人類に選択がつきつけられます。このように医療をAIに委ねるという「野望」を選ぶか、そうではなく医療はあくまで人間の医者に委ねるべきだという「自制」を選ぶのかです。
この選択が、人間に残された最後の能力が使われる場面なのです。

ではこの話、現実世界ではどのような展開になるのでしょうか?社会によって展開が異なります。わかりやすいのが日本社会の場合。
「危険です」「医療事故が起きます」「責任が取れません」「医学が後退します」
AIによる医療行為を規制する声が高く、医療行政も慎重にというか何も決めない態度を取るでしょう。理由は、社会が保守的だということに加えて、医療関係者の既得権益が非常に強いからです。
一方で、先進国でもAIへの医療開放を積極的に進める社会があります。
一つはアメリカです。医療保険が機能しない一方で医療費は日本人が驚くほど高く、国民の多くが基本的な治療すら受けられません。AI医療はそのような社会の課題をコスパよく解決させるとして、一気に採用が進むでしょう。
もう一つの大国、中国も同じです。過去20年間で急速に先進国になった中国では、医療のインフラはまだ脆弱です。その脆弱さをAI医療で補えば、社会はさらに安定します。遠隔医療を含めて開放政策を取れば救われる命はさらに増えるでしょう。
世界全体でいえば、グローバルサウスではAI医療は標準的に使われるでしょう。健康に生きたいという「野望」は人類の大多数の願いですから、特に途上国では法律にかかわらずスマホでの診療アプリは広範囲で使われるはずです。
同じことが様々な専門分野で議論の俎上に上ります。
契約書をチェックするとか、民事的なトラブルについての相談とか、仕事でモームリと思ったときに退職手続きを代わりにしてもらうとかといった場面で、「弁護士に依頼する」というハードルが高い選択肢以外に「スマホに頼む」ことを法律で許容するかどうかが論点になります。
フィジカルAIが進化してくると、自宅の大規模な増改築もDIYでできるようになるでしょう。電気工事士の資格がなくても配線のリフォーム工事まで自分で行なえるようになるかもしれません。
今、自動運転は世界的に過渡期に来ていて、近い将来、無人運転が能力的には普通にできる未来がやってきます。今、日本の交通事故死者数はかなり減ってきて、2025年では2547人になりました。自動運転だとさらに一桁少ない事故に抑えられると予想されます。
そのときに、年間の死者数が200人に減るなら自動運転でいいじゃないかと判断するのも、いや一人でも死亡事故が起きる自動運転は導入すべきではないと判断するのも人間の選択です。野望を優先する社会にするか、それとも自制を大切にするかは人類が選ぶことができる最後の能力なのです。
さて、連載の最後に考えてみたいことがあります。2040年の世界はどうなっているのでしょうか?私は「経済的な側面での『野望』が一番高い国家が、世界経済の覇権をリードする世界になっている」と予測しています。
その最右翼の国家は中国でしょう。なんといっても2049年に建国100周年を迎えることで、それまでに世界で一番強い国になるという野望によって経済が突き進んでいます。
いいか悪いかは別にして、それまでの先進国が取り組まないような開発行為を推し進めてきたのが現代の中国です。
例えば、砂漠という資源を持つ中国では、ゴビ砂漠にメガソーラーを構築しています。普通に考えると、それを都市部で使おうとしても電力は減衰してしまうのですが、中国では非常に高い鉄塔の上に据えられた超高圧の送電網を構築することで、ゴビ砂漠の電力を上海まで届けています。
気候変動で、北京を含めた北部エリアが広範囲で水不足になることがかねてから危惧されていましたが、「南水北調」というプロジェクトで長江から北京まで巨大運河を完成させ、今では北京の水道の75%を長江の水で賄うようになっています。
2008年の北京オリンピックに合わせて開業した高速鉄道網は、現在では営業距離は日本の新幹線の17倍に達しています。
このように経済発展に対して大きな野望を持つ国家にとっては、フィジカルAIを含めた人工知能の進化と発展は、その野望を実現する大いなる武器となるでしょう。
信号や交通網を含めた巨大都市全体のコントロールをAIに委ね、医療は14億人の国民すべてに行き渡り、無人タクシーや一人乗りドローン含め物流網もレベルの違う形で進化した未来国家が、2040年までには生まれることでしょう。
そして野望という側面でいえば、それに対抗して覇権を維持するのが超大国アメリカです。こちらは巨大なデータセンターと、そこで生まれ育ったビッグデータを大規模学習した先進AIが、経済全体のコントロールタワーとして国力を拡大させていくはずです。
日本人の美徳として謙虚な心があるのはいいことだと思います。しかし、それでも21世紀の未来を左右する最大の要素が「野望」になるということは肝に銘じておくべきだと私は考えます。

更新:06月10日 00:05