
ユニークな発想力や構想力を持った人になるにはどうしたらいいのか。『トヨタで学んだ「紙1枚!」でまとめる技術』など、多くのベストセラーで知られる浅田すぐる氏によれば、その問いの答えは『論語』にあるという。「一度は読んでおきたい」と思いつつ、「難解すぎてよくわからない」と挫折しがちな『論語』。同書を「座右の書」とする浅田氏が、解説書やビジネス書を引用しつつ、日常生活に役立つ教えを読み解く。
※本稿は、浅田すぐる著『そろそろ論語 物事の本質がわかる14章の旅』(日本実業出版社)より一部抜粋・編集したものです。
私の仕事は社会人教育である。学習教材として用いる古典の名著など、多くの本を読んできたが、画期的でユニークな解説本に出合った際、いつも感じることがある。「いったいどうすれば、このような他にはない着眼点を生みだせる人になれるのだろうか?」と。
こうした「アイデア力・コンセプト力」のような能力を磨きたくて「学び」を続けているという人も、数多くいるのではないだろうか。あるいは、ビジネス的な「発想力」や「構想力」だけでなく、子どもの教育の文脈でも、「創造的な学びを」「独創性や独自性の発達を」などと言われて久しい。いったいどうすれば、こうした力を育めるのだろうか。
朗報がある。じつは、この問いの答えは『論語』に書かれている。
どこに書かれているのかというと、「温故知新」だ。この言葉は『論語』由来のフレーズであり、次の章句が該当する。1つ目の「学而」篇に続く、第02「為政」篇の11番目だ。
[出典]第02「為政」篇・第11章句
[書き下し文]
子の曰(い)わく、故(ふる)きを温めて新しきを知る、以て師と為(な)るべし。
[現代語訳]
先生がいわれた、「古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる。」
岩波文庫版のこの現代語訳だけに触れても、おそらく「古いことも新しいことも大切だから、両方学ぼう」といった程度の意味でしか受け取れないだろう。
一方、本稿では「温故知新」に、「ユニークな発想力や構想力」「独創性やアイデア力」の本質を見出していきたい。実生活に役立てていけるように解釈した「実訳」だ。きっかけは、『論語』の解説本ではなく、「まったく別のジャンルのある本」を読んだ体験だった。
ビジネス書の世界に、『アイデアのつくり方』ジェームス・W・ヤング(CCCメディアハウス)という本がある。『論語』のように2000年レベルではないが、80年以上ビジネスの世界で読み継がれている名著だ。
広告代理店勤務の人はもちろん、アイデア勝負の仕事をしている人なら「とりあえずこれ読んどけ!」と言って上司や先輩から手渡されるような本なのだが、わずか100ページ程度なのでカンタンに読むことができる。
これから要点を解説していくが、現代版「温故知新」と言えるような内容だ。普段ビジネス書は読まないという人も、気軽に手に取ってみてほしい。
この本ではまず、「アイデア=既知・既存の新しい組み合わせ」と定義されている。要素自体は「古き」ものを活用し、その組み合わせ方の巧拙によって「新しさ」を生み出していくのだとすれば、まさに「古きを温めて、新しきを知る」と言えるのではないだろうか。
加えて、『アイデアのつくり方』では「アイデア創造」の手順として3つのステップが紹介されている。シンプルにまとめれば、次の通りだ。
ステップ1が、「組み合わせの材料となる情報の大量インプット」。
ステップ2は、「いろいろと組み合わせてみる=咀嚼」のフェーズ。
最後の3ステップ目が、「行き詰まったらいったん離れ、何か思いつくまで待ち続ける=孵化」させる段階となっている。
20代の頃に『アイデアのつくり方』のこの部分を読んだ際、「これはまさに『論語』の温故知新じゃないか!」と驚愕した。なぜなら、「温故知新」の原文を確認すると、正確には「温故而知新」となっていて、この「而」という漢字には「時間をかけて取り組むことで、いつしか質的な変化が起き得る」といった意味もあるからだ。
ステップ1の「大量インプット」にせよ、ステップ2の「咀嚼」にせよ、いずれも「多くの時間を必要」とする。何よりステップ3の「孵化」という言葉が、まさに「時間をかけて、質的な変化が起きるまで温める」と言えるのではないだろうか。
この本質をつかみ取って以降、とくにアイデア勝負の仕事では「早めの着手」を徹底している。ユニークな発想のためには、とにかく「而=質的、創発的な変化が起きるまで時間をかける」のが必要だからだ。この学びは本当に一生もので、私が15年近く自身の事業を拡大・継続できている「源泉、とっておき」レベルの知見と言っても過言ではない。
ただ、ここまで読んでみて疑問を抱いた読者もいるかもしれない。学校の漢文の授業では、「而」は「置き字」なので読まない。あるいは、意味を取るとしても、「順接や逆接として理解する」と習うからだ。
一方で、と言って、ここでもう1冊、というよりもう1人触れたい人物がいる。
『常用字解』『字通』『字統』(いずれも平凡社)等、漢字研究の巨人である白川静だ。白川の字義解釈によれば、「而(じ)」という漢字の字義には呪術的な要素(巫祝(ふしゅく)=神事を司る祈祷師の姿)があるという。興味がわけば、『白川静さんに学ぶ漢字は怖い』小山鉄郎(新潮社)が気軽に読めるので触れてみてほしい。
また、「而」の話は直接登場しないが、白川自身が『論語』や孔子について語っている『孔子伝』(中央公論新社)という本がある。これも学びの多い『論語』の解説本だ。
ブックガイドとして選書しておきたい。
「而」に呪術的な、すなわち時間をかけて働きかけることで質的な、何か特別な変容が起きる=呪(まじな)い=マジカルな要素があるのだとすれば、なおさら「温故而知新」は「アイデア創出法」の章句ととらえてよいのではないだろうか。学生時代から白川の漢字研究に触れていたこともあって、私はこのような実訳に至ることができた。
ちなみに、『論語』の第1文である「学びて時にこれを習う」も、原文は「学而時習之」となっている。
だからこそ、この篇は「学而」篇ともなっているわけだが、この「学而」を「時間をかけて、何度も繰り返して、何か質的な、創発的な変容が起きるまで学び続ける」ととらえれば、ますます冒頭の章句の認識が深まってくるはずだ。伊藤仁斎がこの章句を「小論語」と評した理由も、ここまでの解説でいくらか垣間見ることができたのではないだろうか。
とはいえ、「呪術とか魔法なんて言われてもなあ...」という人もいるはずなので、もう少しケアをしておきたい。
もっと素朴にピンとくるイメージとして、たとえば幼少期に自転車に乗れるようになった時、あるいはスケートやスキー、スノーボードができるようになったまさにその瞬間のことを、あなたは覚えているだろうか。
「あの瞬間」こそが「而」だと、私は説明するようにしている。
何度も試行錯誤しているうちに、ある時ふと、まるで魔法にでもかかったかのように突然、「できる」瞬間が訪れる。
6歳で、補助輪がなくても自転車に乗れるようになった時。あるいは19歳の頃、留学先のカナダ・ウィスラーで何度も転びながらスノボーの練習をし、急に滑れるようになった場面のことを、今でも鮮明に覚えている。
「あの時、あの瞬間の魔法がかった喜び」こそが、「学而時習之、不亦説乎(またよろこばしからずや)」の本質なのではないだろうか。
更新:01月09日 00:05