2019年12月20日 公開
2023年10月24日 更新
楠木 当時よく一緒に仕事をしていたヘンリー・チェスブロウさんとの共同研究がひとつの転機になりました。学術的な論文を2人で書くことになったんです。初めはアカデミックなジャーナルをターゲットにしていたんですけれども、ちょっとおもしろいロジックを思いついたんで、「このロジックだけで論文を書いてみない?」ってチェスブロウに提案したんです。そうしたらチェスブロウが「それはアカデミックなフォーマットに則っていないので、すぐに提出できる論文にならない」って言うんですよ。チェスブロウは当時、ハーバード大学でわりと若手というか、キャリアの前半にある人だったんで、「それは業績にならない」と言うんですね。それに対して僕は、「それはそうだけど、無理やり学術論文に仕立てるよりも、せっかく面白いと思えるロジックが見つかったんだから、別に学術雑誌に拘らなくてもいいんじゃない?」と説得したんです。で、この仕事は本の形で出しました。
ちなみに、本というフォーマットでの出版は、学者の業績としてはカウントされません。ゼロです。査読を経て掲載された論文の形になってないので業績として認められないんです。
伊藤 そうなんですか!
楠木 マイケル・ポーターのあの有名な『競争の戦略』、あれも学術的業績にはならないんですね。ともあれ、このときに気づいたんです。やっぱりアカデミックな様式に則って研究論文を書くよりも、実務家の方に役立つとか面白いと思ってもらえるロジックを提供するほうが性に合ってる。そっちに行こうと。
ちなみに、チェスブロウはその後カリフォルニア大学のバークレー校に移って、そこで『オープンイノベーション』を書きあげました。彼はブレイクしたんですよね。これにしてもアカデミックな業績にはカウントされませんけど。
もうひとつのきっかけはポーター先生のアドバイスですね。マイケル・ポーター先生は僕が仕事をしている分野、競争戦略論の開祖みたいな人なのですが、まだ若干の迷いを残していたころ、ポーター先生との雑談の中で、「先生はいったいぜんたい何をゴールに研究をしているのでしょう?」と聞いてみました。ポーター先生は「インパクト!」と即答。「強く深いインパクトを世の中にもたらす。これがイイ研究の基準。言いたいことがあるなら、本でも何でもいいからとにかく書け。インパクトがあればそれでよし。世の中を見てみろ。だいたい学術雑誌を読んでいるやつなんてほとんどいないじゃないか!」――これは実に腹落ちする言葉でして、吹っ切れた気分になりました。
そんな感じで徐々に変わっていって、その延長上に『ストーリーとしての競争戦略』があるんです。まぁ、それはずっと後のことですけどね。
伊藤 今のお話を聞いて、僭越ながら楠木さんと自分は同じメッセージを言ってるんだなと気づきました。でも僕はね、自分の好き嫌い、「やりたいこと」や「やりたくないこと」を恐らく35~40歳ぐらいまではまったく意識せずに……、というか意識できずに、目の前の「やらなきゃいけないこと」に没頭していたんですよね。
ただ、色々とやっているうちに、好きなことと同時にやりたくないことも見えてきて――。正直、好き嫌いっていうのがなんとなくわかってきたのが40歳ぐらいなんですよ(笑)。
楠木 ああ、そうですよね。ようするに「事後性」が強いんですね。誰でもそうだと思うんですけど。結局、冒頭の「好きなことをしなさい」「じゃあ、好きなことって何でしょう?」みたいなのは、非常に事後性が強い問題なわけですよね。
伊藤 そうですね。
楠木 事後性の克服っていうのが、たぶん究極のテーマの一つじゃないのかなと、仕事生活をするうえで。
伊藤 なるほど。
楠木 と、思うんですよ。
次回は12月23日の更新です。
更新:11月22日 00:05