2019年12月11日 公開
2023年02月24日 更新
写真撮影:永井 浩
金融、物流、マーケティング、さらには教育と、まったく異なる分野でキャリアを重ね、グロービス経営大学院客員教授として教壇にも立つ伊藤羊一氏。著書『1分で話せ』は35万部のベストセラーになった。そんな伊藤氏だが、新人のときに「不合格」の烙印を押されたという過去を持つという。
※本稿は、伊藤羊一著『やりたいことなんて、なくていい。』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
「仕事が嫌だ」「今の仕事にやりがいを感じられない」。
そんな不満を抱えている若手のビジネスパーソンは多いと思います。
しかし、大学を出て就職したばかりの私は、それどころではありません。もっとひどい状態でした。
「なんでこんな仕事をしているんだ」と思える人は、まだいい。
私の場合は、そもそも「仕事とはどうやったらいいのか」がわからなかったのです。
先輩とどう接したらいいのかわからない。
同期の飲み会も、なじめない雰囲気を勝手に感じて、参加したくない。
「なんでみんなは、同期であんなに盛り上がれるんだろう?」と思っていました。
斜に構えているし、コミュニケーションも苦手なので、人と話すのが嫌なのです。
だから、会社に行くのも嫌。そんなに仕事が嫌だったら辞めればいい、と思われるかもしれませんが、「なんで俺、背広着てこんなところにいるんだっけ?」という状態なので、転職する、という選択肢さえ考えられません。
要するに、職場に適応できていなかった、それも徹底的に適応できていなかった、ということです。
もちろん、仕事も全然できません。
新人研修が始まって1ヶ月くらい経った頃、遅刻をして怒られました。「新人は早く来いよ」「わかりました、すみませんでした」と謝った翌日、また遅刻して研修リーダーに激怒されるような社員でした。
新人歓迎会を開いてもらったときには、その日ちょうど観たいテレビがあったので、途中で「すいません、先に帰ります」と言って帰ってしまい、その翌日、盛大に叱られました。でも、「なんで怒られるんだ?」と、意図を汲み取ることもできません。
他にも毎日のように失敗をして、半年間の研修を終えた頃には研修で「不合格」をつけられた4人の中に入ってしまいました。
要するにこの頃は、社会人として、それ以前に人間として当然持っているべき常識がなかったのです。自分にばかり意識が向かってしまって、それをやったら相手がどう感じるか、という程度のこともわかっていなかったのです。
こうして「不合格」の新人としてスタートし、それからしばらくは、相変わらず失敗ばかりしながら、どうしたらいいのかわからない日々が続きました。
でも、そんな毎日を過ごしながら、心のどこかで「俺はまだ本気を出していないだけ」と思ってもいました。
バブルの残り香がある頃ですから、同期はみんな楽しく合コンをしたりしていました。
仕事でも結果を出して、先輩とも仲良くやって、生き生きと日々を過ごしている。
それを横目に見ながら、私は相変わらず斜に構えて、とにかく居心地の悪い日々を過ごしていました。それどころか、居心地の悪さは、どんどん強くなっていきました。
そんな毎日を送っていた結果、26歳にして私は爆発します。
取引先を訪問しているとき、謎の吐き気に襲われ、そのまま2時間ほどトイレに立て籠もってしまったのです。
うつ症状が表面化したのです。
それから数週間は、会社に行くことができませんでした。
朝起きて、背広を着て、玄関を出ようとすると吐き気がこみ上げてくる。出社するどころではありません。
結局、数週間、会社を休むことになりました。
今だったら、診断書をとって休職することになるレベルかもしれません。
しかし、当時はまだメンタルヘルスに対する理解が進んでいなかった、いえ、メンタルヘルスなんていう言葉自体がなかった時代です。休んでいる自分自身でさえ、これは単なる「イヤイヤ病」とか、ズル休みだと思っていました。
数週間が過ぎて、「さすがにこれはヤバい」と思った私は仕方なく出社しました。そこからは、吐きながら仕事をする毎日です。
今にして思えば、これは「仕事恐怖症」「人間恐怖症」だったのかな、と思います。
仕事の意味がわからなくて、職場での人間関係も怖くて仕方がない。それに耐えて無理に会社に行っているうちに、会社に行けなくなったのです。
そんな私がどうやってそこから「仕事恐怖症」を克服することができたのか。
私が、うつ症状から抜け出すきっかけとなったのは、仕事でした。
私は仕事に救われたのです。
誤解のないように言っておきますが、「うつは会社に行けば治る」などという暴論を吐くつもりはありません。メンタルの不調を抱えている人は、しっかり休んでください。
ですが、私は間違いなく、仕事がきっかけとなって、復活を遂げることができました。
その話をこれからしようと思います。
その仕事というのは、担当していたあるマンション会社、A社の融資案件です。
当時の私は、まだ若かったせいもあって、とにかく「かっこいい会社」を担当したいと思っていました。すると、どうしても目立つ会社に目が行きます。
A社は、私の担当している25社の中で、唯一テレビコマーシャルをやっていました。F1の番組のスポンサーをしているのを知っていたので、「おお、テレビコマーシャルをしているあの会社か」となんだか嬉しかったのを覚えています(我ながら安直ですが)。
そんなわけで、この会社の皆さんとは仲良くさせてもらっていました。
特に、経理部長には毎晩のように電話をいただきました。そして、「うちの会社がいかにちゃんとしているか」ということを、あれやこれやの視点で説明してくれました。
私も関係を深めていけるのが嬉しかったので、毎晩、しっかりと話を聞きました。
すると、聞いているうちに、
「私たちはまだ、仕入れが復活できる状況じゃない」
「既存の塩漬け物件を処理するので今はいっぱいいっぱいだ」
「けれど、復活したあかつきには融資をお願いしたい。そのときには、あなたが頼りだ」
なんていうディープな話も出てきます(当時はバブル崩壊後で、マンション業界がとても厳しい時期でした)。
この頃は、私がなんとか職場復帰して、どうにかこうにか仕事をしていたちょうどその時期。そしていよいよこの会社は、銀行から借り入れをして新しいマンション案件に着手することになりました。
このとき、「あなたしかいないんだ」と私を頼ってくれたのが、この経理部長でした。
そう言われると、意気に感じないわけがありません。
とはいえ、私はバリバリ仕事ができる状態ではなく、毎日吐きそうになりながらどうにかこうにか仕事をしている毎日。そして仕事のスキルもまったくついていません。
「大丈夫かな?」というのが正直なところでした。
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更新:11月24日 00:05