2017年10月16日 公開
2023年03月23日 更新
2019年には200兆円を超すと見込まれている中国のEC市場。今や中国では、「買い物はネットで」が当たり前になりつつある。そんな世界一アツい市場を横目に、どう打って出ればいいのかわからない日本のメーカーは多い。そこで、日本の商品を中国市場にマッチングさせるべく、中国のユーザーに刺さる商品情報の作成から物流、決済、エンドユーザーへの配送までを一手に引き受けるのが、翁社長率いるInagora(以下、インアゴーラ)だ。越境ECサービス「豌豆(ワンドウ)」では、中国の保税倉庫を介さずに「直郵」という形態をとれるため、これまで扱えなかった賞味期限の短い商品も扱えるようになるなど、既存の越境ECとは一線を画している。結果、創業3年目の現在、提携先は2200ブランド、取り扱い商品は4万に迫る勢いだという。
日本商品特化型 越境ECアプリ「豌豆公主(ワンドウ)」
――翁社長は上海で生まれ、高校生のときには「将来、日本に行こう」と決めていたそうですね。
翁 はい。当時、テレビで見る日本は中国よりもずっと豊かで先進的でした。ソニーが世界を席巻していた時代です。中国でももちろん衣食住は足りており、貧困を感じたりはしませんでしたが、当時は今より少し閉鎖的で、海外に広がる世界に対する興味がすごく強かったですね。「日本に行けばきっと面白いことができるぞ」と感じていました。
――そして実際日本へ渡られ、日本の大学に入学するわけですが、来日までに不安や周囲の反対はなかったのですか?
翁 家庭の教育方針もあり、私は「やればなんとかなる」精神で生きています。日本に行って、どうにもならなければホームレスでもやってしのごう、くらいに思っていました。
小さい頃から冒険心が強く、小学生のときは携帯も公衆電話もない中で2時間かけてバスを3回も乗り換え、1人で遠くに住む祖母を訪ねたりしていました。中学から全寮制の学校に入り、友人と2人で宿もとらずに遠い州まで自転車旅行に行ったり。そうした冒険に私はとてもワクワクし、成功したときには大きな達成感を感じました。ですから、日本へ行くことについても、ためらいなどはまったくありませんでした。
とはいえ、福建省からゴザ1枚持って上海へ出てきた父は応援してくれたものの、母にはずいぶん心配をかけました。日本へ渡るときには「何もそんなチャレンジをしなくたって、普通に中国の大学へ行けばいいのに」と。さらに伊藤忠を辞めるときには「せっかくいい会社に入ったのになぜ辞めるのか!?」と(笑)。将来、成功して日本旅行に招待するから、などと言いながら、なんとか説得しました。
――たしかに伊藤忠を辞めるのはもったいないですね(笑)。最初から、いずれ起業するつもりで入社したということですが、退社時、現在に至るまでの道筋は見えていたのですか?
翁 見えているわけがありません(笑)。そのとき決めていたのは、「インターネットビジネスで起業する」こと、そして「大きいことをやろう」という2つだけでした。ソフトバンクの孫さんも、ソフトウェアを扱っていた頃、まさか今のように通信で世界を制すことは考えていなかったでしょう。ことネットビジネスにおいて、最初から道筋が決められて、しかもその道筋どおりに進捗するなどということはありえないと思います。
――ネットビジネスは変化が速いですが、付いていける人/企業と、付いていけない人/企業は、何が違うのでしょうか?
翁 付いていけない要因はいろいろあるでしょうが、少なくとも企業について言えば、経営者のふるまいは大きいでしょうね。リアルビジネスより変化が速く、しかも変化が激しいインターネットビジネスでは、変化に「付いていく」のではなく「リードしていく」必要があります。
2000年からの期間だけでも、ネット関連の企業やビジネスモデルは様変わりしたと思います。生存能力とはすなわち、変化に付いていく力。キングソフト時代によく言っていたのは、「どうやって社員1人ひとりが変わっていくか」ということです。経営者である私の限界がそのまま会社の限界になるのが怖かった。45歳の誕生日会では、「45歳の僕が『この先のインターネットはああだ、こうだ』と会社の方針を語っているのはおかしい。20代が次の技術やビジネスモデルを考え、僕がそれをサポートするくらいにならないと!」と話しました。軽い引退宣言ですね(笑)。
――キングソフトはネットの激流の中、どのように飲み込まれずに歩んできたのでしょうか。
翁 キングソフトは創業当時、セキュリティソフトを扱っていました。オフィスソフト分野でマイクロソフトの牙城を崩し、話題なりました。その第1幕のあと、第2幕ではClean Master、WowTalk、CAMCARD BUSINESSなどのビジネスSNSを扱いました。そして第3幕は、生放送動画配信サービスのLive.me。キングソフトでは今や「いかにして芸能人を引っ張り込むか」なんて議論が行なわれていますが、もとはソフトウェア屋だったわけです。
創業当時から事業内容を変えず、まだオフィスソフトだけやっていたら、今頃、誰からも見向きもされなくなっているでしょう。新規事業はたいてい私が「やろう、やろう!」と言って始めたものが多いですが、それでは私の老化とともに会社も老化してしまいますから、そうした提案を若い社員から出してほしいと常々語りかけていました。
――と、おっしゃっていた矢先に、ご自身がインアゴーラという新会社を立ち上げられたわけですか(笑)。
翁 そうですね(笑)。
更新:11月21日 00:05