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14歳で親元を離れ演歌歌手「香田晋」に...僧侶となった今、振り返る“波乱万丈な半生”

2024年02月05日 公開

徹心香雲(僧侶)

徹心香雲

演歌歌手「香田晋」として、歌謡界のみならずバラエティでも活躍した徹心香雲氏。順風満帆に思えたキャリアだが、40代半ばで芸能界を電撃引退した。

さらにその6年後には仏門の道へ。周囲からは大胆に思えるキャリアシフトだが、徹心氏は何を思い、このような決断に至ったのか。当時の思いとこれまでの半生を聞いた。(写真撮影:まるやゆういち、取材・構成:林加愛)

※本稿は、『THE21』2024年3月号特集「40代・50代からの『キャリアシフト』成功術」より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

今につながる波乱万丈の少年時代

――「演歌歌手・香田晋」として活躍されたあと、現在は僧侶となられている徹心香雲さん。芸能界から仏門とは、思い切ったキャリアシフトですね。

【徹心】僕自身は、シフトしようと思ったことはないんです。心のままに行動してきたら、ここにたどり着いていました。芸能界にいた頃は、歌手として一生を全うする以外の未来など、想像もしませんでした。

――予想外の道のりを経て、現在に至ったのですか?

【徹心】そうです。歌手になったことさえ、実は予想外でした。18歳までは、塗装業の職人になるつもりでいましたから。

――そうなのですか? どのような経緯で職人の世界に?

【徹心】そもそもの始まりは、14歳で故郷の福岡を飛び出したこと。母と、母の再婚相手である義父との間に喧嘩が絶えず、耐えきれなくなったのです。家を出て倉敷に行き、親戚の家を転々としつつ、自分の食い扶持は稼がねばと思って、塗装業のアルバイトを始めたわけです。

――10代から波乱万丈ですね。

【徹心】今思えばこの頃の経験が、現在につながっていると思います。お金の価値を知り、親方や親戚への感謝が芽生え、その先で、振り切って来た家族への思慕――とりわけ「母を悲しませてしまった」という後悔を噛みしめました。自立心と、大切な人への想いというものを知った時期でしたね。

――大きな経験をされて、そこからさらに芸能界へと転身を。

【徹心】はい。当時僕は、働きながら歌を習っていました。「無料でいいから習いに来なさい」と言ってくださる先生がいらして、その方の師匠が、演歌の大御所・船村徹先生でした。船村先生に引き合わせていただき、「高校を卒業したら弟子入りしなさい」という流れに。

――才能を見出されたのですね。

【徹心】才能はともかく(笑)、歌が心底好きだったのは確かです。ここまで育ててくれた親方への気持ちも大きかったですが、感謝しつつお別れをして、単身上京しました。

 

厳しくも愛情に満ちた師匠のもとでの修行

――そこからは、船村先生のもとで歌のレッスンを?

【徹心】それが、違うんです。僕の役割はひたすら「家事」。朝5時に起きて、広大な庭を掃き、料理、洗濯、買い物、掃除、先生のかばん持ち、また料理......という毎日です。

――まるで、修行僧のような。

【徹心】まさにそうです。船村一門の修行は厳しいので有名で、業界では「演歌界の永平寺」と言われるくらい(笑)。ことによると、永平寺のお坊様よりハードだったかもしれません。

何しろ、睡眠時間が3時間以下。先生が深夜までお酒を召し上がるので、僕の就寝は2時、3時になります。しかも先生はとても厳しい方で、破門されたり、耐えかねて辞めていった弟子も数知れず。僕も何度か、「出ていけ」と言われましたよ。

――その言葉通り、すぐ退散したくなりそうですが。

【徹心】いいえ、必死で土下座して許していただきました。そのとき、考えていたことは二つ。一つは「帰るところはない」ということ。そしてもう一つは「夢」です。歌手になるという夢のためなら、何でも耐えられました。

――それにしても、なぜ歌手になるための修行が、歌ではなく家事だったのでしょう。

【徹心】テクニックではなく「心」を教わっていたのだと、後になってわかりました。庭のツツジの前で、先生がおっしゃったことがあるんです。「来年もキレイに咲いてほしいだろう? その思いを込めて肥料をあげなさい」と。

そのツツジ、500株あるんですよ(笑)。これは大変だ......と青ざめつつも「来年もよろしく」と語りかけながら世話をしたら、翌年、見事に咲いてくれました。

今思えば、愛情を注げば愛情が帰ってくるということを、先生ご自身も愛情をこめて、教えてくださっていたんですね。

 

あれほど好きだった歌が歌えなくなった

徹心香雲

――その後、21歳でデビューを果たされました。

【徹心】入門時に「修行期間は10年」と言われていたので、こんなに早くていいのか、と戸惑いました。でも、夢がかなった喜びもひとしお。一門の先達である北島三郎さんや鳥羽一郎さんのような大歌手になるぞ、と志を新たにしました。

――デビューの年には日本レコード大賞新人賞を受賞、5年後には紅白歌合戦に出場。まさに、志した道をまっすぐ進まれましたね。

【徹心】その道は、10数年間は「まっすぐ」でした。しかし35歳頃から、おかしいと感じ始めました。なぜか、バラエティ番組の仕事が増えていったのです。最初は歌の宣伝のために出演するのですが、次第に歌と関係のないことを求められ、それがエンドレスで続く。違和感がどんどん募りました。

――00年代、「おバカタレント」として人気を博されていましたね。

【徹心】「二度と呼ばれないように」と思ってわざとめちゃくちゃな発言をした結果、逆に面白がられてしまいました。歌の仕事も以前と同じペースでしていましたが、演歌ファンの方々を除いて、世の大半の認知は「香田晋=バラエティタレント」になっていく。思いとはまるで違う方向に、引きずられていきました。

――本業とバラエティを両方となると、忙しさも尋常でないのでは?

【徹心】ええ、とにかく忙しくて、文字通り「心がない」状態でした。すると、あんなに好きだった歌が、好きでなくなってくるんです。気持ちが入らないまま、ただこなすだけ。一番つらかったのはそこでした。楽しみに来てくださったお客様に、心の入っていない歌をお聞かせするなんて、まるで詐欺じゃないか、と。

――修行時代に教わったこととは、逆の状態に。

【徹心】修行時代を思い出しては、焦りと自責でいっぱいになりました。あの頃もハードだったけれど、自分の気持ちにウソはついていなかった。だから乗り切れた。

でも今はどうだろう、いつまでこれが続くのだろう、きっと今後も変わらない......と思ったとき、ついに声が出なくなりました。喉をグーッと絞められているような状態になって、歌えないんです。精神が限界に達したんですね。

 

大きなものを捨てると大きなものが入ってくる

――そして2012年、芸能界を引退されました。

【徹心】その選択ができたのは、今の妻のおかげです。「このままではそう遠くないうちに、死ぬか、つぶれる」と言ったら、「辞めたらいいよ! 私が働くから」と。

――懐の大きな奥様ですね。とはいえ、これまでのキャリアを捨てるのは勇気が必要だったのでは?

【徹心】一瞬ためらいは感じましたが、考えてみたら、僕はこれまでにも「大事なもの」を捨てているのです。14歳で家族と離れたこと、18歳で倉敷を出たこと。でもその先で、さらに世界が広がりました。

大きなものを捨てると、大きなものが入ってくる、と経験的に知っていたのです。おかげで、不安を抱きすぎず済みました。あとはオファーをすべて断り、芸能界にかかわる持ち物もすべて手放し、最後は感謝の思いを持って、去ることができました。

――引退後は、故郷の福岡に戻られたとか。

【徹心】はい、これも妻の勧めでした。仕事をしようなどと思わず、故郷に戻ってゆっくりすればいい、と。その言葉通り、最初の一年は何もせず、温泉につかったり絵を描いたりしながら過ごしました。

そうして心が回復するに従い、少しずつ活動も始めました。本名の「鷲崎孝二」の名で、絵の個展をこっそり開いたことも(笑)。次いで、料理をしようと思い立ち、古民家を改装して小さな店を開きました。

――修行時代に磨いた料理の腕を活かされたのですね。

【徹心】はい。楽しく充実した2年間でした。マスコミの方が僕の消息を察知なさって、記事になった影響でお客様が激増したのは予想外でしたが......。切り回せなくなったのを機に、福岡での生活を終了。デビュー以降に暮らしていた神奈川県に、再び戻りました。2018年、横浜での再出発です。

 

妻の祖母の介護が得度への道を拓いた

――そこから現在までの6年の間に、徹心さんは最大の転身、「得度」をされます。

【徹心】ここにも長い経緯があります。妻の祖母――もともと僕のファンで、妻と僕との出会いのきっかけをつくった人なのですが、この祖母を引退と同時に呼び寄せ、一緒に暮らしていました。妻にとっても僕にとっても非常に大事な人でしたが、脳梗塞で倒れて車椅子生活となり、その後、寝たきりに近い状態となってしまいました。

――では、ご夫妻で介護をされたのですか?

【徹心】はい。介護というと「大変そうだ」と思われるでしょうが、修行時代の経験があるので、まったく苦になりませんでした。食事やトイレの介助、着替え、マッサージ、病院通い、24時間体制でなんでもやりました。

――修行経験がまたも役立ちましたね。お祖母様も喜ばれたのでは。

【徹心】そうだといいな、と思います。最後は、眠るように安らかに逝きました。呼吸がゆっくりになり、フーッと一息ついて呼吸が止まり、一分後、目じりから一筋の涙が流れて。心打たれる別れでした。

――そのご経験が、仏門に入るきっかけに?

【徹心】祖母の死後、すぐにご連絡したのが、福井県にある「徳賞寺」のご住職です。デビュー前に船村先生の付き添いでお会いして以来のご縁で、ぜひ供養をお願いしたく。

お骨を持って福井に行き、自分も一緒に読経して供養をしたい、とお願いしたところ、「それなら出家したほうが良い」とのこと。「お願いします」と即答しました。

 

自分に接するように人に接する

――大きな決断ですが、まったく迷わなかったのですか?

【徹心】一見突然なようですが、僕にとっては自然な流れでした。20代の頃から仏壇に手を合わせる日課があり、仏様への想いは生活の一部でしたから。

――20代からですか。若い方には珍しい信心深さですね。

【徹心】実は22歳のとき、母が他界しているんです。家を出て以来、謝りたくても上手に伝えられない年月を経て、ようやく心通った矢先の死でした。以来、毎日欠かさず仏壇に向かうようになり、次第に、大きな何かへ導かれたように思います。

――過去のご経験が、少しずつ積み重なって今につながった様子がうかがえます。

【徹心】本当にそうです。修行時代に学んだ「心」も、それを失ったときの苦しさも、そして、妻が祖母に向けていた献身的な愛情も導きになりました。この二人と共に暮らし、祖母に心を尽くせたのは大きな喜びでした。

――徹心さんがずっと大事にされてきた「心」は、仏道にもつながるものなのでしょうか。

【徹心】最終的にはそこに行きつきますが、入り口は日常的な行動に宿るものです。祖母と暮らしていた頃、僕らはずっと「祖母第一」でした。

どこに行きたいか、何を食べたいか、まず祖母に聞いて決める。自分がそうされたら嬉しいことをする。その先で僕は、「自分に接するように人に接する」生き方を知りました。祖母のみならず、どなたに対しても。

――相手を自分だと思って接する、ということですか?

【徹心】はい。仏門にいる者のみならず、ビジネスパーソンの方々にも、きっと通じることだと思います。上司、部下、お客様や取引先の方、すべての他者を自分のように尊重すると、言葉にも行動にも心が宿り、伝わり方が変わるはずです。

 

道に迷っただけ道を知ることができる

徹心香雲のキャリアシフト

――ビジネスパーソンはともすると、多忙さの中で自分を尊重できなくなることもありそうです。

【徹心】わかります。僕も芸能生活の後半はそうでした。そこから抜け出せたのは、休んだからです。

猛スピードの列車から降りて各駅停車に乗り換えると、周りの景色がだんだん見えて、空気のおいしさや花の美しさに気づき、心がよみがえります。何歳でも、完全復活できますよ。僕も30代のときは心が錆びついていましたが、今はピカピカです(笑)。

――若い頃にも増して生き生きされている徹心さん。もう、歌の世界には戻られないのですか?

【徹心】歌手として歌うことはもうありません。でもカラオケでも家でも、歌うことはどこでもできます。今は声も戻り、実を言うと現役時代より上手です(笑)。僧侶として説法や講演をする中、90分の話の節目に1~2曲歌わせていただくこともよくあります。

――なんとうらやましい。ご自身の歌を歌われるのですか?

【徹心】いいえ、ここも「自分がされて嬉しいこと」を基準に考えます。皆さんが聴きたい歌、青春時代の思い出の歌は何だろう、と。「この年代の方々なら春日八郎さんがお好きかな?」というふうに、その場で決めて歌います。

――その場で、ですか?

【徹心】はい。毎回出会う方は違いますから、そのとき目の前に居る人、そこにあるものに集中。つまり「今」を一生懸命生きるのです。

――今を一生懸命。これも、年齢を問わず大切にしたい考え方ですね。

【徹心】その通りです。長く生きるとつい、過去を振り返って「あの頃はこうだったのに」と思いがちですが、それはもったいない話です。今を一生懸命生きることを積み重ねれば、その先に、必ず未来も開けます。

――多くの逆境を超えてこられたからこそのお言葉です。

【徹心】僕はこれまで、たくさん道に迷いました。でもそのぶん、多くの景色を見て、僕なりに成長できました。皆さんにも、「大いに道に迷いましょう!」とお勧めしたいですね。

知らない道は不安なものですが、そこを通れば、知っている道になります。そんな道を、ぜひ増やしましょう。皆さんの人生がさらに豊かに、幸福になるよう応援しています。

 

【徹心香雲(てっしんこううん)】1967年、福岡県出身。高校卒業後、演歌歌手を志し、船村徹に弟子入り。89年6月、21歳のときに、香田晋名義で歌手デビュー。同年、日本レコード大賞新人賞を受賞。2012年、所属事務所を退所し、芸能界を引退。18年に曹洞宗徳賞寺で得度を受ける。現在は僧侶「徹心香雲」として講演活動などを行なう。

 

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