2017年08月31日 公開
2022年10月25日 更新
勝てる見込みのない戦いをするよりも、戦わずして勝つ方法を探し出すクールな経営者、松本氏。しかし【前編】で紹介した学生時代のエピソードどおり、掲げた目標の達成のためには努力を惜しまず取り組む情熱もあわせもっている。松本氏がラクスルで成功できたのはまさに、この「冷静と情熱のバランス」ゆえだろう。【後編】では、経営者となって以降の出来事や、今、変えたいと思っている「日本の仕組み」についてお話をうかがった。
――常に冷静に状況を分析・判断され、的確に未来を予測される松本さんですが、そんな松本さんが起業後、予想外に苦労された難関などはあったのでしょうか。
松本 難しかったのは「人と組織」ですね。最初の1年半は基本的に私1人でやっていて、あとは自分の仕事と掛け持ちで手伝ってくれる人たちがいたのですが、いよいよ正式にラクスルに参画してもらうというタイミングで重要な人物が辞めてしまうなど、いわゆる「ベンチャーあるある」をいろいろと体験しました。人や組織をまとめ、同じベクトルに向かって進むことの難しさを痛感しましたね。
――今では就職希望者も増え、ユニークで優秀な人材がたくさん在籍して、組織運営面でも注目される御社ですが、御社のどんなところを魅力に感じ、人が集まってくるのでしょうか? 印刷業界という点だけ切り取ると、成長産業とは言えませんが。
松本 「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」というビジョンが求心力になっています。このビジョンは創業前から考えていたもので、創業日には確立していました。これが会社の原点であり、今も変わっていない当社の指針です。
印刷業界は日本の多くの産業の典型で、とにかく非効率。時代が変わっているのに、明治や戦前戦後にできた産業構造や会社の仕組み、ビジネスモデルがほとんど変わっていませんから、厳しくなるのも当然です。しかし、課題のある大きな業界だからこそ、「ここを変えて、もっといい世界を創ろう」というメッセージは、デジタルネイティブ世代の人たちにも刺さっていると感じます。
――創業前からそれだけパワフルでブレないビジョンを描けた理由はあるのでしょうか?
松本 ビジョンを掲げる重要性は、学生時代から感じていました。私は大学で日中韓の学生が主催する「国際ビジネスコンテストOVAL」を立ち上げるサークルに入ったのですが、このコンテストの第2回を北京で開催しようとしたところ、日中関係が悪化したタイミングと重なったことで、多くの大人たちから「実現は難しい」「やめたほうがいい」とアドバイスを受けたのです。アドバイスをくれた人は外務省の官僚など、皆、賢い人たちでした。
しかし、私たち学生には、北京でイベントを実施するビジョンが描けていた。結果、外交関係をよそに日中韓の学生たちは協力し、北京でのコンテストを実現することができたのです。
何もないところにビジョンが生まれる。するとそこへ人が集まってきて、コトが動き出す。それを体感したのです。だから、成し遂げたい世界があるなら、まずそれを言葉にすることから、すべては始まると私は考えています。ビジョンは、自分のモチベーションを保つためにも、人を集め動かすためにも、絶対に必要です。
更新:11月24日 00:05