
たった1つしかない経営の目的とは? なぜ人は組織をつくり出すのか? 経営学者の岩尾俊兵氏は、ニワトリや犬、類人猿が檻の外のエサにどう近づくかを例に、ヒトだけがもつ「回り道」の力を説きます。各界のプロフェッショナル7人との対話から「経営する力」の本質に迫った著書『武器としての経営思考』より、その考えに触れた一節を紹介します。
※本稿は、岩尾俊兵著『武器としての経営思考』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです
人は、経営者に「なる」のではない。すべての人は生まれながらに「経営人」なのである。だが、誰もがもっているはずの「経営する力」は、現代ではあまりにも弱く、深い眠りについてしまっている。核となる「経営思考」、すなわち「価値無限思考」もまた、人びとから失われつつあるといえよう。
経営思考とは、いったい何なのか。
経営思考とは「金儲け」の道具ではない。
考えてもみてほしい。イギリス東インド会社やオランダ東インド会社に始まる株式会社の歴史など、せいぜい400年あまりにすぎない。「経営」の語源は、古代中国の徳治政治にあり、3000年以上前に遡る。経営という言葉が「企業の金儲け」を想起させるようになったのは、ほんの最近の、しかも誤った流行にすぎない。
元来、経営とは、社会集団を共同体としてまとめ上げ、協働して価値創造を実現する営みを指していた。かつては、国家にも、都市にも、学校にも、病院にも、ボランティア団体にも、家庭にさえも経営があった。経営という思考法を身につけたからこそ、あるいは進化のなかで経営に適した脳を手に入れたからこそ、人は分断され孤立して生きるよりも、互いに協働し、集団として生きるほうがより幸せに生きられるようになった。
経営の目的は、1つしかない。それは新たな価値を創り出すことだ。既存の資源を組み替え、製品市場・労働市場・資本市場で評価される価値を提供することで、顧客が集まり、従業員が集まり、株主が集まり、ヒト・モノ・カネ・情報といった資源がより多く集まり、価値が循環していく。価値あるものに新たな価値が付加され、より多くの人びとが惹きつけられていく。結果、1人では不可能な仕事が、組織では可能となる。
こうした経営という営為は、ヒトという種に特殊な、ヒトを類人猿から分かつものである。
喩えるなら、経営とは、「回り道」だ。
ヒトという種は本来、目先の利益を奪うほうが短期的には得に思えても、長期的な共同体全体の利益のために、苦労の多い道を選べる生き物である。反対に、単純な動物ほど、「回り道」は難しい。
ニワトリを例に考えてみよう。ニワトリは、檻の外側にエサをまかれたとき、檻の裏の扉がたとえ開け放されていても、そのことに気づかないまま、目の前のエサをめがけて金網に頭をぶつけ続ける。やがて金網に小さな穴があき、わずかばかりのエサは口にできるかもしれない。しかし同時に、哀れにもこうして破れた金網の針金が、そのニワトリの頭を血だらけにしてしまうだろう。
犬ならどうか。犬も最初は、檻の向こう側にあるエサに飛びつこうとする。だが、しばらく周囲を見回すうちに、裏の扉が開いていることに気づく。目でエサを捉えたまま裏の扉から外に出て、回り道をして無傷で手に入れる。チンパンジーやボノボといった類人猿なら、迷わずに裏の扉から外に出るだろう。
では、裏の扉が開いておらず、檻から1メートル以上離れてエサが置かれていたらどうか。檻のなかには、棒やロープが落ちているとする。ニワトリや犬は、途方に暮れるだけだ。彼らはエサを諦め、恨めしそうににらむ。
ところが、類人猿は違う。棒やロープを使って、エサを手に入れる。1つの道具では届かない場合も、複数の棒やロープを組み合わせ、新たな道具をつくってエサを手に入れることさえできる。
高等動物になるほど、物理的な回り道だけでなく、道具をつくるという精神的な回り道も可能になる。高等動物は、目的にたどり着くまでに、何度も迂回できるのだ。
ただし、類人猿が不得意な「回り道」もある。それは、「他者との協力」だ。
2匹の類人猿が、別々の檻に入れられているとする。離れた場所にあるエサにはロープがかかっており、両端はそれぞれ2匹の類人猿のもとに置かれている。試行錯誤の末、「2匹で同時に引っ張れば、エサを手前に引き寄せられる」と気づく。だが、気づいてもなお、類人猿はうまく協力して実行することができない。
ヒトであれば、エサを折半することを約束するなどして、協力できるだろう。協力したほうが得、もしくは、協力しなければ両方ともエサは手に入らないと理解しているからだ。
もちろん、なかには、エサが手に入る最後の瞬間に相手を裏切り、エサを独り占めしようとする者もいるかもしれない。だが、大抵の人間は、裏切れば次からは周囲の信頼を失い、協力を得られなくなることを理解している。
私が思うに、現代の人間から失われているのは、この「回り道の力」ではないか。目先の利益を優先し、他者を出し抜き、奪い、騙すことさえ厭わない短絡的な利己主義が、社会を覆いつつある。
別の言葉で喩えるならば、経営とは「パズル」のようなものだ。その場所ではありふれたものでも、組み合わせや場所を変えれば新しい価値になる。1時点・1地点・1形態では希少性が低いものを、それを求める人が多い別の時点・別の地点・別の形態へ移すことで、突如として価値が生まれる。何を、どこへ、いつ、どのようなかたちで移すのか――ピースを集め、パズルを解くことで商売が成立する。
世の中の資源も「組み合わせ」、すなわち設計を変えることで、新たな機能を生み出せる。たとえば、ただの土の塊も、くぼみをつくれば水を貯える機能が新たに生まれるだろう。
さらに、機能Aと別の機能Bを掛け合わせれば、新たな別の機能Cが生まれる。こうした機能のなかに、人間が価値を見出すものがあれば、価値はさらに増大していくわけだ。
組織づくりも同様である。どんな人にも強みと弱み、長所と短所が必ず存在する。だから、誰かの弱みを別の誰かの強みで補い合う。Aさんの弱みをBさんの強みが補い、Bさんの弱みをCさんの強みが補い、Cさんの弱みをAさんの強みが補えば、3人というチームで見たときの「組織の弱み」は消える。これこそが、人が組織をつくり出す理由だ。
たとえば、絵は下手だが文章は上手い人と、文章は苦手だが絵は上手い人が協力すれば、素晴らしい絵本を生み出せる。だが、彼らがバラバラに生き、互いに協力し合わなければ、そこから良い絵本は生まれない。出来事への対処も同じである。どんな出来事にも、必ず良い点と悪い点がある。良い点で悪い点を補い、トータルで見たときに「悪い面」を打ち消すような継続的な一手、次なる工夫が求められる。
経営においても、想定外の出来事、想定していた出来事の意外な副作用、思わぬ幸運、思わぬ事故など、さまざまなことが起こる。一時点では幸運だったはずのことが、あとから振り返れば不運だったり、不運に苦しんだことがのちに幸運へと変わったりもする。だからこそ、人間は回り道とパズルを繰り返しながら価値を生み出してきた。
もちろん、営利企業の金儲けもまた、本来はここでいう経営の本質、すなわち自他ともの幸せを追求するためにあったといえるだろう。また、株式会社が、現代における経営の最も発達した形態であることも、否定するつもりはない。
だが、経営の本質とは、やはり「回り道」と「パズル」なのだ。他のどんな動物にもできない二つを難なくやってのけるのが、真の経営者であり、人間であろう。
経営とは、ヒトをヒトたらしめている根源的な力だ。だが、この力は世界において、とりわけ日本において、急速に弱体化してしまった。経営する力の本質にある経営思考、すなわち価値無限思考。これを取り戻すために、私たちはどう生きるべきか。
本稿をきっかけに、皆さんのそれぞれの人生の現場で、この難問に一緒に取り組んでいきたい。
更新:10月07日 00:05