
「良いアウトプット」とは、何をもって決まるのでしょうか。楠木建さんと山口周さんが手がかりにするのは、元ラグビー選手・平尾誠二さんの言葉や、慶應高校野球部、早稲田大学ラグビー部の指導法。スポーツの世界に共通する「目的から逆算して考える」という発想から、知的生産における「価値」とは何かを考えます。
書籍『知的生産のセンス』より、一節を紹介します。
※本稿は、楠木建, 山口周著『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)より内容を一部抜粋・編集したものです
山口:ラグビーの平尾誠二さんが言っていたことで、非常に印象に残っている言葉があるんです。
ある対談で、平尾さんから「山口さん、ラグビーにおいて『いいパス』というのは、どういうパスだと思いますか?」と聞かれたんです。僕は、プレゼンテーションやマーケティングに紐付けて「受け手にとって取りやすいパスですか?」と答えたんですよ。
楠木:僕も同じ答えを思い浮かべました。
山口:そしたら「いえ、違います。『勝利の期待値が上がる』パスが、いいパスの条件です」とおっしゃったんです。たとえ相手が取りにくかろうが、腰が入っていなかろうが、別にいい。そのパスによって「勝利の期待値」が上がる、そういうパスが良いパスの定義です、と。
平尾さんの話は「『何が良くて、何が悪いか』は目的関数が決める」という話だと思うんです。僕たちは「良いパスとはどのようなパスか?」と聞かれると、つい「取りやすいパス」「腰が入っているパス」といった、言うならば「プロセス指標」を持ち出してきてしまう。
しかし、ラグビーの試合で重要なのは「勝利する」ことなので、この目的関数に照らして「良いパス」の条件を考えれば、それは「取りやすい」とか「腰が入っている」とかではなく、必然的に「勝利の期待値が上がるパス」ということになる。
これは「知的生産の価値」を考える上でもヒントになると思うんです。「良い知的アウトプットとはどのようなものか?」を考えた時、それは「読みやすい」とか「見た目に綺麗」とかではなく、「そのアウトプットを受け取った人の勝利の期待値が上がる」ということなのではないか。
そういえば、同じことを慶應高校野球部についても感じたことがあります。2023年に慶應高校が甲子園で優勝して話題になりましたよね。僕が慶應高校の出身ということもあって「組織論の観点から慶應高校野球部の運営について分析してほしい」ということで新潮新書の『慶應高校野球部』(加藤弘士)という本を読んでみたら、その中に興味をそそられる箇所がありました。
慶應高校野球部には通常の進学とは別にスポーツ推薦で入ってくる子もいる。もう中学校の頃から「4番でエース」みたいな子が集まってくるわけで、彼らからすると「練習メニューを生徒たちが自主的に決めるような練習なんて生ぬるいんじゃないか」と思っていたら「1年目はめちゃくちゃきつかった」と皆が口を揃えて言うんです。
楠木:意外ですね。のびのびとやっているように見えますが。
山口:フィジカルなキツさではなく、精神的なものなんですね。野球には一種の「定石」がありますよね? 例えばランナーが一塁にいて自分がセカンドを守っているという状況でゴロがくれば、まずはセカンド→ファーストで併殺にします。ところが慶應高校野球部では、そのような定石が通用しない。例えば部内の練習試合をやっていて「定石のプレー」をすると、すぐに試合を止められて、コーチや監督から「今、なぜそうしたの?」と聞かれるそうなんです。
その時に「こうするのが当たり前だから」「普通はこうするから」「こうするように習ったから」という回答が許されない。求められているのは「この状況で、自分にはこれこれの選択肢があって、その中から、こういう理由で、このプレーを選択した」という回答です。いつ何を聞かれても、こういう回答ができるようになる、というのが1年生の課題なんだそうです。先ほどの平尾さんの話と同じで、自分が持っている選択肢を、最も上位の目的に照らして評価するという、一種の「思考の癖」をつけさせている、ということですね。
監督の森林さんは「野球部員のほとんどは野球以外の道で生きていく。その時、野球で培ったものが力になるように」ということで、こういう指導をしているそうです。
楠木:その場でその都度「納得」を与えるということですね。
山口:そうですね。だから、指導といっても「具体的に何をやれ」とか「腰を据えろ」といった技術指導ではなくて、常に聞いているのは「あなたはあの局面でどういう選択肢を持っていたのか」「なぜそれを選んだのか」「なぜ別の選択肢を選ばなかったのか」ということらしいんですね。
楠木:それに近い話で、僕が感心したスポーツのエピソードがあります。ラグビーの指導者の中竹竜二さんが早稲田大学ラグビー部の監督だった時の話です。その年は「早稲田か慶應のどちらかが優勝するだろう」という下馬評で、実際に大学選手権の決勝戦は早稲田対慶應になり、結果的にその年は早稲田が勝ったんです。
その決勝戦の前の練習試合か何かで慶應と当たることがあった。本番を見据えた重要な練習試合で、ある選手がパスミスをした。それがきっかけになって負けてしまった。その選手がものすごく反省して、「あらためてパスを練習します。徹底的に鍛えてください。必ずできるようにします」と中竹さんに申し出た。
中竹さんは問い返しました。「君、いつからラグビーやってるの?」―早稲田のレギュラーになるような人ですから、少なくとも中学からはラグビー漬けの毎日です。「中学からやってます」「これまで毎日の練習でさ、パスの練習をしなかった日ってある?」「いや、毎回パスの練習はしています」「それで、今できないんだよね。しかも本番の大観衆が詰めかけるスタジアムの中で、今から練習してパスができるようになると思う? 要するに、パスが下手なんだよね」―そう突き放した上で、「で、どうする?」と考えさせたらしいんですよ。
結局、その選手はパスをしないようにした。決勝戦では得意の突破力と走力で大活躍した、というオチなんです。もし彼がAIを使って「自分のパスの問題点を指摘してください」なんてことをやっていたら、ヘンなことになっていたでしょうね。
山口:この状況で「パスを練習する」という脊髄反射的な選択肢を選んでもせいぜい心理的な効果しか得られない。「戦いに勝つ」という目的を置いた上で、「パスを練習する」以外の選択肢をちゃんと考えようよ、というサジェスチョンを与えたわけですね。知的生産においても「相手に、自分が思いもよらなかった選択肢が与えられる」というのは、一つの評価軸になりますね。
更新:09月15日 00:05