
利益を最大化し、競争に勝つために「選択と集中」を進める――。
そんな経営のあり方に、息苦しさを感じる人もいるのではないでしょうか。しかし、限られた価値を奪い合い、何かを切り捨てることだけが経営ではありません。資源が有限でも、その組み合わせを変えることで、新たな価値や選択肢を生み出すことはできます。
慶應義塾大学商学部准教授の岩尾俊兵氏が、「価値有限思考」と「価値無限思考」の違いをひもときながら、「奪い合い」を「創り合い」へと変える、本来の経営と経営思考について解説します。
※本稿は、 岩尾俊兵著『武器としての経営思考』(PHP研究所)の内容を一部抜粋・編集したものです。
「経営」という言葉に対して時折、〝息苦しさ〟を感じるという人に出くわす。話を聞いてみると、「お金儲けのための富の奪い合い」という印象が定着していることに気づく。
どうやら、多くの人は「経営」という言葉から、次のようなイメージを思い浮かべるようだ。
•売上を伸ばし、コストを抑えて利益を最大化する。
•市場を細かく分け(セグメンテーション)、狙う顧客を定め(ターゲティング)、競争相手より有利な立ち位置を獲得する(ポジショニング)。
•限られた予算の最適な配分を考え、従業員や部門にKPI(キー・パフォーマンス・インジケーター、重要業績評価指標)を課し、成果の乏しい人や部門は切り捨てる。
要するに、経営という言葉に対する第一印象は、限られたリソースであるヒトとカネを最も儲かる場所へ割り当てる営みであり、「選択と集中」なのだろう。だから「経営」と聞くと、敵に打ち勝つことが何よりも優先される――そんな冷徹な世界観を思い浮かべるようだ。
もちろん、奪い合いを仕掛けてくる相手に対しては、相応の防衛策が必要である。現実から目を背ければ、地に足のつかない理想論に終わってしまう。
しかし本来の経営とは、奪い合いのマネーゲームではない。対立や矛盾を乗り越え、「奪い合い」を「創り合い」へ転換し、新たな価値を生み出す営みだ。
同様に、「経営思考」とは、仕事や人生の難題を新たな可能性や幸福へ変化させる、きわめて創造的な思考プロセスなのである。
それにもかかわらず、近年、日本では「戦略」という名のもと、数字とロジックで優先順位をつけ、「何を選び、何を捨てるか」を重視する経営手法が、あたかも洗練された理論のように紹介されてきた。選択と集中のなか、人びとは自分が切り捨てる側に回るか、切り捨てられる側に回るかしかない。真面目で繊細な人ほど、現代の苛酷な競争環境に息苦しさを感じることだろう。
問題の根っこにあるのは、「価値は有限であり、奪い合うしかない」という発想だ。便宜的に、こうした考え方を「価値有限思考」と呼ぶことにしよう。価値有限思考は、次のように定義できる。
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価値有限思考:「価値は限られており、誰かが得をすれば、誰かが損をする」というゼロサム/トレードオフの発想で世界を見る考え方
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価値有限思考で人生を見つめた瞬間から、私たちの苦しみは始まる。AかBのどちらを選んでも何かを失うという「二者択一の選択」をつねに迫られるからだ。
経営者なら「従業員の給料を上げたい。でも利益を守らなければ会社は続けられない」。家庭をもつ人なら「仕事を大切にしたい。でも家族と過ごす時間は失われる」。職場で苦しむ人なら「会社を辞めたい。でも辞めれば生活が立ちゆかない」。
価値有限思考は、問題を「あちらを立てれば、こちらが立たない」というトレードオフとして整理する。そして損得を計算し、損の大きいほうを切り、得の大きいほうを選べばよい、と結論づける。
たしかに、損得で割り切れば意思決定は速い。一見すると、合理的でロジカルに見える。
しかし、数字や損得で測れるものばかりを優先していくと、当然、「数字で計測できないもの」は意思決定の外へ追いやられ、静かに失われていく。そして組織や人生を支えていた「大切な土台」が、いつの間にか壊されてしまう。
たとえば会社で言えば、困ったときに相談できる空気や人員。後輩をそっと助ける文化や、顧客の声にならない違和感に気づく感性。失敗を隠さず報告できる信頼関係。人生で言えば、家族や友人との、損得を超えて支え合える関係性。
こうしたものは、財務諸表には表れない。だが、会社や人生を支えている大事な土台は、むしろ「数字にならない価値」にこそある。価値有限思考に支配されると、組織の見えない価値を知らないうちに捨ててしまい、結果として「戦略は正しいのに、組織は改善せず、誰も幸せにならない」という奇妙なことが起こる。
KPIは達成したのに、顧客が離れる。コストを削ったら、現場が疲弊して売上も利益も落ちていく。管理を強化した結果、人事評価に反映されない「仕事と仕事の隙間」を善意で埋めてきた人たちが静かに去ってしまう。コンプライアンスやルールを増やしたのに不祥事は増え、当期の利益は出ても、来期の利益につながらない。残された従業員は会社の未来に希望がもてず、「次は自分が切り捨てられるのではないか」と不安に怯えながら働くことになる。
それにもかかわらず、数字や管理そのものが目的化した経営は、目先の数字さえ改善していれば、「経営改善に成功した」と評価されてしまうことさえある。
これを、私は経営とは呼ばない。
真の経営とは、いま述べてきたような「何を切るか」「何に集中するか」を考える技術とは正反対だ。むしろ、経営とは限られた資源を組み替え、これまで存在しなかった価値や選択肢、第三の道を生み出す「創造的な営み」である。
私が提案する経営思考もまた、二者択一を脱するものだ。「どうすればAもBも生かせるか」を問い続ける思考法と表現できよう。すなわち、矛盾や対立を思考停止の言い訳にするのではなく、新たな選択肢を創り出すドライブにする思考法である。
たとえば、地方のシャッター商店街を例に考えてみよう。商店街には多くの空き店舗が放置され、休業を余儀なくされた自営業者と定年退職後に社会とのつながりを失った高齢者が取り残されている。一方で、子どもたちには放課後に立ち寄れるお店や、安心して過ごせる居場所がない。
あなたなら、この状況をどう見るだろうか。
表面だけを見れば、三つの別々の「困りごと」でしかない。
しかし、それぞれの「良いところ」を意識的に探してみると、どうだろうか。
• 空き店舗→地域の拠点
• 高齢者→長年培った知識や経験の担い手
• 子どもたち→街に笑顔と活気をもたらす存在
このように、捉え直すことができるはずだ。
では、この三つを組み合わせたらどうか。空き店舗を、高齢者が教え、子どもが学び、世代を超えた交流の場にする――そんな発想も生まれてくるかもしれない。つまり、昨日までの「困りごと」が、新しい価値を生み出す「資源」へ変わるのである。
この考え方の土台にあるのは、「資源は有限でも、資源から生まれる価値は無限でありうる」という発想だ。
価値は無から生まれるとは限らない。世界には、価値を見出されないまま眠っている資源が数え切れないほど存在する。眠っている資源の置き場所を変え、人と人との結びつきを変え、組み合わせを変える。「ヒト・モノ・コト」の流れを組み替えるだけで、砂のなかから砂金が光るように、新しい価値が姿を現す。このような世界の見方を、私は「価値無限思考」と呼ぶ。
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価値無限思考:限られた資源を組み合わせ直すことで、これまで存在しなかった価値を生み出す考え方
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「価値無限思考」は、価値が無限に湧き出すという夢物語ではない。限られた資源を組み合わせ、新たな価値を創り出す、という現実的な思考法だ。
価値無限思考に立てば、「誰に損を押しつけるか」ではなく、「どうすれば皆で価値を増やせるか」という問いが自然と生まれてくる。選択肢を奪い合うのではなく、選択肢そのものを創り出すことができるかもしれない。これこそが、本来の経営だ。
更新:09月18日 00:05