
アスクル㈱の創業者であり、3月に初の著書『起業家になる前に知っておいてほしいこと』を上梓した岩田彰一郎氏。かたや武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学部長を務める伊藤羊一氏。出版を記念した特別対談企画・後編。(取材・構成:杉山直隆、写真撮影:江藤大作)
※本稿は、『THE21』2026年5月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
【伊藤】ご著書には「お客様の現場でのヒアリングを大事にしている」ことも書かれていましたね。
【岩田】創業間もない頃からお客様のもとによくお伺いしていましたね。マーチャンダイザーが高齢者向け医療施設で1日だけ介護実習をさせていただいたこともありました。事務用品だけでなく、医療現場で扱うカテーテルやメス、介護施設で使う紙おむつや車椅子、建設現場で使う計測機器や作業服などを扱うようになったのはお客様のご要望からです。花王さんと介護施設用の洗濯洗剤を共同開発したのも、介護施設でのヒアリングがきっかけです。
【伊藤】そうしたヒアリングはいつから大事にされていたのですか。
【岩田】新卒入社したライオンで、プロダクトマネジャーとして、「free&free」というヘアケア商品のブランドを開発したときからです。それまでライオンは老若男女が使うオールドマス向けのシャンプーだけをつくっていて、私の周りの若い女性たちからは「こんなダサいの、使わないわ」と言われていました。
そこでおしゃれに敏感なネオマス向けの商品をつくるために、流行の最先端をいくマーケットリーダーの女子大生を探し出して、ヘアケア商品の印象調査をしたり、一緒に街歩きをしたりしていたのです。そうした行動を積み重ねると、若い女性たちの価値観や感性の背景が見えてきて、私の中の「内なる自分」にも、その感覚が芽生えてきました。
【伊藤】「内なる自分」とは?
【岩田】自分の琴線のようなものです。「自分は買わないけれど、誰かが買うだろう」という商品やサービスをつくっても、買う人はいません。やはり自分が欲しくなるもの、「うちに置いてもいいよね」と琴線に響くものを一つひとつちゃんと丁寧につくっていくことが大切だと思います。自分とお客様がかけ離れているなら、少しでも近づけるように、「内なる自分」を育てていくわけです。
【伊藤】お客様とやりとりしているうちに、内なる自分が結晶化していくんですね。アスクルも「ここで買うとかっこいい」「プライベートブランドがおしゃれ」と事務スタッフに支持されたことが大きな成長要因だと思いますが、内なる自分は意識していましたか?
【岩田】もちろん意識していました。オフィスを格好良くしたのも、内なる自分を高めて、格好の良いサービスや商品を提供するためです。一方で、商品やサービスを開発するときは、そういうエモーショナルな右脳だけでなく、ロジカルな左脳の視点も必要だと考えています。
【伊藤】まずは右脳ありきで、それがビジネスとして成り立つかどうか左脳で考えて、「それでいいんだっけ?」と右脳に戻るプロセスを繰り返す......そんなイメージですか?
【岩田】そうです。右脳と左脳のバランスを取ることは大事にしていました。
【伊藤】私も学部を運営するうえでも改めて意識しようと思います。
【岩田】大学も「キャンパスに行くと気分が上がる」とか「教材を友人にやたら見せたくなる」とか、エモーショナルな部分は大事ですよね。
【伊藤】僕も武蔵野EMCを作ったとき、通っている学生がいきいきと暮らしている小説を自分で書いてみたんですよ。エモーショナルな部分を想像して、その世界を実現しようと考えていました。
【岩田】それはすごくいいですね。
【伊藤】岩田さんは、アスクルを経営する中で、将来の夢のようなものも描いていたのですか?
【岩田】世の中のインフラの一つになりたいと思っていました。今や誰も水道をビジネスだと思っていないように、インフラになるとだんだん目立たなくなりますよね。そのように、会社の存在感がなくなっていくのが理想形だと考えていました。
【伊藤】現実にアスクルはインフラになりましたね。
【伊藤】「言葉」の使い方も岩田さんから学んだことの一つです。ご著書にも書かれていましたが、必ず「お客様」と言い、「客」「ユーザー」「囲い込み」「ターゲット」などの言葉は普段から使わないようにされていたそうですね。
【岩田】もし自分が初めて行った店で商品を買った後に、その店主が「新たなユーザーを囲い込めた」と裏で言っていたら、すごく気持ち悪いじゃないですか。「自分のことを記号でしか見ていないんだな」と。
【伊藤】「送客」という言葉もよく聞きますけど、送客ってなんなん?と思いますね。
【岩田】お客様が聞いたら気持ち悪いと思うことは普段から絶対に言ってはいけないと考えています。言い続けると、そうした価値観が染み付き、お客様の前でも態度に表れるからです。経営やマーケティングを考えるときも、お客様のことよりも目先の数字ばかりを追って、テクニックに走るようになります。
【伊藤】言葉に対する意識は、岩田さんだけでなく、社員全員に浸透させることが重要ですよね。アスクルではどう浸透させたのですか。
【岩田】毎週月曜日に自由参加の朝礼を行なっていたのですが、その場で何度も言い続けていました。同じことを色んな角度から伝える工夫は必要ですが、それを続けてはじめて、お客様やビジネスに対する姿勢ができてくると思います。
【伊藤】逆に言うと、同じことを問い続けないと人は変わらない、ということですね。
【岩田】何も意識しなくても、善良で、絶えず人のために動けるような人は、私も含めていないと思うんですよ。「こうあるべきだ」ということを言い聞かせて理性の力に働きかけることで、そういう行動ができるようになってくる。これは組織も個人も同じだと考えています。
【伊藤】支援されているスタートアップの起業家たちには、どんなアドバイスを送っていますか?
【岩田】私が支援している起業家は、テクニックを駆使してお金儲けをしたい人ではなく、「こういうことで世の中に役立ちたい」という意志を持ってチャレンジしている人です。しかし、意志を持って立ち上げたビジネスがすべて成功するかというとそうではありません。そこでお伝えしているのが「とにかくたくさん運動すること」です。
【伊藤】運動というのは?
【岩田】本当に運動するわけではありません。様々なビジネスの形を試してみることです。そのうえで一度立ち止まり、「本当に自分たちは何をしたかったのか」「何が世の中の役に立つのか」を見つめ直して、もう一度、経営理念とビジネスモデルを定義する。すると、本当に大きく成長する会社に生まれ変わっていきます。
私はビジネスモデルのことを「勝てる構造」と言っているのですが、勝てる構造がないといくら努力しても成長できません。レースで言えば、ターボチャージャー付きのエンジンの車とノーマルエンジンの車が勝負したら、どんなに頑張ってもノーマルは勝てません。
しかし現実には、日々の仕事で消耗して、自分たちのビジネスが勝てる構造かどうか検証しないまま終わるスタートアップが非常に多いのです。そこで、私が起業家に伴走して、勝てる構造をどう作り上げるかを一緒に考えるようにしています。
【伊藤】パッションがあるけれど、空回りしている起業家は多くいます。そこでいったん立ち止まってもらって、勝てる構造かどうかを冷静に考えてもらうわけですね。
【岩田】伊藤さんも感じていると思いますが、パッションを持った若い人たちはたくさんいます。そういう人たちがもっと活躍できるように支援をしていきたい。いわば若い人たちが高い跳び箱を跳ぶための「ロイター板」のような存在になれればいいと思っています。
【伊藤】僕も学部という人が育っていくプラットフォームをつくれたので、ロイター板となってどんどん若い人を跳ばしたいと思います。10年後、「伊藤くん、君のロイター板、バネが弱いね」「いやいや、岩田さんのロイター板こそ」なんていう会話ができたら嬉しいですね。
【岩田】バンバン跳んでもらえるよう、お互い頑張りましょう!
更新:04月03日 00:05