
「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」という言葉が有名な『葉隠』。江戸中期、佐賀藩に仕えた山本常朝(つねとも)が、主君の死去を機に出家し、隠遁生活のなかで、武士道精神や生きる知恵、処世術などについて語った言葉をまとめたものだ。筆録したのは元佐賀藩士の田代陣基(つらもと)。
常朝が語った「人生の奥義」とは?田代陣基を案内役として『葉隠』のエッセンスを紹介する。
※本稿は、板野博行著『眠れないほどおもしろい葉隠』(三笠書房)より一部抜粋・編集したものです。
「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」から始まって、「只今がその時、その時が只今なり」などと緊張感に満ちた武士道精神を説いた山本常朝先生が、ふと本音を漏らす瞬間があった。次の2つの話は、まさに先生の今の心境を象徴する本音として承った。
【人間の一生はまことに短いものである。好きなことをして暮らせばよいのだ。
夢を見ているような束の間の世の中にあって、好きでもないことばかりして苦しい思いで暮らすのは愚かなことである。このことは下手に解釈されると害になることだから、若い人などにはついぞ語らなかった人生の奥義である。
私は寝ることが好きである。出家した今の身の上にふさわしく、ますます外出などせず、ただ寝て暮らそうと思っている。】
人生の奥義は「好きなことをして暮らせばよい」「寝ることが好き」......あれほど否定していた兼好法師や西行と同じような無常観(どころか怠惰)に傾いている感じがするが、本稿では人生の達人、常朝先生の本音に迫ってみよう。
【60、70歳まで奉公する人がいるなかで、私は42歳で出家し、思えば短い在世だった。それにつけてもありがたいことかなと思われる。そのときはもはや死んだものと覚悟して出家した。思えば、今時分まで勤めていたなら、さてさてどれほど苦労しただろう。出家したお陰で14年間安楽に暮らせたことは、なんとも不思議な巡り合わせの幸運である。
それにまた、私を一人前の人物と見込んで多くの人々が引き立ててくれた。我が心をよくよく顧みると、よくも化け済ましたことだ。人々の厚遇がもったいなく、罰が当たるに違いないと思うばかりだ。】
「化け済ました」というのは、一度は死んだ(つもりの)自分が、一人前の人間に化け、それをやり通したという意味だ。追腹を切れず出家した時点で先生は一度死んでいる。その後の人生はオマケみたいなものだったのだろう。草庵での生活中、さまざまな思いが去来し、数多くの葛藤もあったことは想像に難くない。
それにしても四十にして惑わず、五十にして天命を知る、というペースで出世していくことを推奨していた先生とは思えないお言葉。まあ、そこは矛盾と逆説の常朝節だと割り切って聞くとして、高い理想を持つと同時にシビアな現実を知る先生の「現世を生きる知恵」をお届けしよう。
【「人の心を知ろうと思うならば病気になれ」ということがある。日頃は親しく付き合っていながら、相手が病気になったり貧乏になったりしたときに親身にならないような者は腰抜けである。
人が不幸せになったときこそ、普段以上に親しく出入りし、見舞ったり金銭的な援助をしたりすべきである。恩を受けた相手には感謝して一生の間、疎遠になってはいけない。このように、困ったときにどういう態度を取るかで、その人の真情はわかるものだ。
自分が困ったときは誰でも人を頼りにするものだが、それが過ぎ去ってしまえば、思い出しもしない人が多いものだ。】
悲しいかな、「金の切れ目が縁の切れ目」ということわざがあるように、人の世は世知辛いものだ。お金に困ったり、病気になったりしたときにこそ、人の本心がわかるものだ。落ちぶれた者に同情し、親身になって助けない者は「腰抜け(すくたれ)」で、武士の風上にも置けない卑怯な奴だ。
一方、困ったときに助けてくれた人の恩は一生忘れてはならない。忘れる奴など犬畜生にも劣る。ただし、「兼て如何(いかが)と思ふ人には馴れ寄らぬがよし」と先生はアドバイスされている。このあたりの人物判断が難しい。
【かねてから、いかがなものかと思うような人物には親しく近寄らないほうがよい。どうしても足をすくわれ、引き込まれるものだからである。こうした点が確かにわかるようになるには、よくよく経験を積まなければならないことである。】
それにしても、「人の心を見んと思はば煩へ」、この言葉を口にしたとき、先生の眼に光るものがあったことを忘れることはできない。人生の達人になるのも容易ではない。
更新:07月04日 00:05