
(左)荒木俊哉氏(右)有馬佑介氏
自分の考えや気持ちを「言葉にできる」大切さは、子どもも大人も変わらない。では、「言葉が豊かな人」は、どうやって育つのか。ユニークな日記教育を小学校の現場で実践する教育者と、言語化のプロであるコピーライターの対談から、そのヒントを探る。(構成:林加愛)
※本稿は前後編の前編です。『THE21』2026年2月号の内容を一部抜粋・再編集してお届けします。
【荒木】今回、有馬先生とお話しする機会をいただけて光栄です。
桐朋学園の「日記教育」には前々から関心があり、生徒さんたちの日記集『青桐』も読ませていただきました。素晴らしい文章ですね。
【有馬】ありがとうございます。
【荒木】今日は、思いを言葉にする習慣はどうすれば身につくのか、先生方はどのように生徒さんたちをご指導されているのか、など、いろいろとお話をうかがいたいです。
【有馬】よろしくお願いします。おそらく、僕は荒木さんと似たような考えを持っている気がします。荒木さんのご著書『こうやって頭のなかを言語化する。』も、とても共感しながら拝読しました。
【荒木】嬉しいです。実は先日、有馬先生の講演を聞く機会がありまして、とても感動しました。有馬先生の自慢の生徒のお話、小学部長というお立場というより、教育者としての熱い思いが伝わってきました。
【有馬】お恥ずかしい。教員は普段は謙遜しがちなのですが、説明会では生徒を思い切り自慢できるので思いがあふれてしまったようです。
【荒木】実際、生徒さんの日記を読ませていただいて、その完成度の高さに、思わず「小学生で、こんな表現ができるのか!?」と驚きました。いったい、どのようなご指導を?
【有馬】実を言うと、「こう書きなさい」と教えることは、ほとんどありません。書き方よりも大切なのが「ほかの人が書いたものを見る」という環境です。日記集で上の学年の子が書いたものを見たり、学級通信に載った友達の文を目にしたり。
そこで心が動く文章に出合えると、憧れが生まれるんです。「こんなふうに自分も書きたい」と。教員が指導するよりも、内側からの「書きたい」気持ちのほうが間違いなく強いので、そこを大切にしています。
【荒木】なるほど。

有馬佑介氏
【有馬】文章を届ける相手がいることも大きいですね。日記を担任に渡せば、毎日、返事が来る。その意味では「交換日記」に近いです。
【荒木】文章を通した対話ですね。
【有馬】はい。荒木さんは、言語化力は「自分との対話」で育つ、とご著書で語られていますよね。他者の話を聞くのと同じように、自分の思考にも耳を傾けよう、と。
子どもたちは日記を通して、荒木さんの考えと同じプロセスを歩んでいるのだと思います。誰かに届けたいと思えば、自分と対話して言葉にする必要がある。そのことに日記を通して気づけると、自分一人でも言葉にするのがうまくなっていくはずです。
【荒木】きっとそうですね。人は自分の感情や思考を意外とわかっていなくて、自分を理解するには「言葉にする」ことが必要です。でも、一人で自問自答するのは、大人でも難しい。生徒さんたちは、先生と日記のやりとりをする中で、自分と対話する力をつけていくのでしょうね。
【有馬】自転車の練習に似ていると思います。大人が自転車の後ろの部分をつかんで、「ここにいるよ」と伝えるように、僕も「あなたの文章を受け取るよ」と呼びかけ続け、いつかそっと手を放せればいいな、と。
【荒木】生徒さんは幸せですね。
【有馬】実は、僕のほうが楽しんでいるんです。僕は日記の返事を書くのが大好きなのですが、それは「その子」のことだけを考えられる時間だから。授業中は、一クラス36人の子どもたちを同時に見る必要がありますが、日記というツールでは1対1の関係になれますから。
【荒木】僕も後輩のメンターをしていて、業務日誌を通してやりとりする中で似たことを感じます。仕事とは別の──有馬先生で言えば日中の授業や会話とは違う、特別なコミュニケーションですよね。
【有馬】本当に。学校内で交わす会話には即答が必要ですが、日記は落ち着いて......いや、急いで書くことも多いですが(笑)、考えながら言葉を紡ぎ出せるのがいいですね。
【荒木】一つの非日常ですね。日中の喧騒を離れ、別々の場所にいる二人が対話する。そこから徐々に自分と対話する力が育ち、「なんとなく」のモヤモヤが言葉になっていく。
【有馬】そうだと思います。日記の中には時折、苦しさを吐露する内容もあるんです。そこで「大丈夫?明日、直接話をしようか」と返事を書くと、「いい」と答えが来る。僕は子どもたちから「アリック」と呼ばれているのですが(笑)、「アリックが知ってくれたから、もういいの」と。その子は、自分の気持ちを言葉にできて、自分で答えを出したんですね。なので、僕は本当に後ろから手を添えているだけなんです。
【荒木】おそらく、子どもたちが「書きたくなる」手の添え方をされているのだと思います。その秘訣は?
【有馬】あるとすれば、読み手である僕自身が面白がっていることでしょうか。子どもたちも、先生が面白がってくれるから書こうかな、という側面があるかもしれません。
実際、僕は、どの子の文章も面白いんですよね。整った文章だけでなく、しっちゃかめっちゃかな文章や型破りな文章、どれも楽しくて。
【荒木】どんな「型破り」が?
【有馬】例えば、ある女の子は「今日は書くことがない。だから何を書こうか考えたけれど、やっぱり思いつかないから困り果てて、こうしてダラダラ書いていたら、なんとなく1ページ終わりそうだから、今日は終わり」(笑)。面白かったので学級通信に載せたら大反響で、「書けないことを、いかに楽しく書くか」ブームがクラスで起こりました(笑)。
その子は、もともと目立つタイプではなかったのですが、第2弾、第3弾を書いてきたんです。これは僕が「ちゃんと書きなさい」などとは言わず、単に面白がったことで起こった広がりだと思います。
【荒木】有馬先生は、人の文章の良いところを見つけるのが、とてもうまいんでしょうね。コピーライターの仕事も、商品や企業の良いところを探して、それを言葉にする仕事なので共感します。
【有馬】ご著書にあったように、クライアントの企業さんと丹念に対話して、相手がまだ言葉にできていないものの輪郭をはっきりさせていく感じですか?
【荒木】そうですね。僕の仕事の場合は、根気よく「探す」作業になりますが、有馬先生はすぐに良いところを感じ取れるのがすごい。
【有馬】いえいえ。子どもたちと毎日一緒に過ごしているぶん、荒木さんより有利な立場にいますから。良いところを探すまでもなく、文字を見れば、その子の顔がすぐに思い浮かぶし、文章の技術がなくても、手抜きでも(笑)、結局「いいなぁ」と思ってしまうんですよね。
【荒木】日記の向こう側にいる「人」を見ているんですね。書かれた言葉だけではなく、書き手がどのような気持ちで書いたのかに思いを巡らせる。そんな読まれ方は、書き手にとってうれしいことですよね。

荒木俊哉氏
【有馬】10年ほど前にも、印象的な「型破り」がありました。遠足についての作文で、みんなが当日の思い出を書いてきた中、ある男の子だけ「いよいよ明日は遠足だ。僕は準備をした。でも水筒が見つからない。お母さんが慌てて探した。そのとき僕がテレビを観ていたら、お母さんがすごく怒った。怒ったって水筒は出てこないのに。さあ、明日はいよいよ遠足だ」で終わり(笑)。
【荒木】前日で終わった(笑)。
【有馬】そうなんです。子どもたちの前で読み上げたら、「え~!?」って大反響。ちなみに、このときは、もう一人、とても整ったタイプの文章も読み上げました。対照的な二種類の「良い」を並べたわけです。どう書くも自由、どちらを好きと感じるも自由だよ、と伝えたくて。
【荒木】「良い」に正解はないんですよね。コピーも同じで、色々なものがあっていいと僕は思っています。
ただ、特に若い世代は「間違えたくない」という思いが強く、それが言語化の壁になっているような気がします。大人にも「自由に思いを発していいんだ」という認識が広まると嬉しいなと思っているのですが。
【有馬】同感です。思うに、会議などで「こう話さなくては」と思わせている雰囲気があるなら、そこに問題があると思います。新しいものを生み出すには、自由に話せる場が絶対に必要です。場の許容度が広がっていくと、「わかってないな」「けしからん」が、「面白いね」「いいね」になる。受け止める側にも、そういう自由さ、柔らかさが欲しいですね。
【荒木】場の雰囲気や自由さは、発信側と受信側が、お互いに育てていくものかもしれませんね。「面白いね」が増えれば「そうか、こういうのもありなんだな」も増えていく。有馬先生のいう「面白がる」は、その好循環の起点ですね。
【有馬】そうありたいですね。きっと僕は子どもたちに、「君たちが思うほど、大人や社会は、ちっちゃくないんだぞ!」「わりと無茶できるんだぞ!」と伝えたいのかも。
......面白いな、こうしてお話ししながら、僕自身も自分の思いを言語化できている。さすが荒木さん、言語化のプロです。
【荒木】言語化の基礎は「聞く力」──人の言葉や自分の思いに耳を傾ける力にある、と著書に書いた身としては、嬉しい限りです。
更新:02月12日 00:05