2020年04月07日 公開
2022年10月25日 更新
1995~96年にテレビシリーズが放送され、現在に至るまで絶大な人気を誇るアニメ「エヴァンゲリオン」シリーズ。2020年6月27日には、「新劇場版」シリーズ完結作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開も控えている。25年にわたる長い歴史の中で、絶えずグッズなどの商品展開を幅広く行なっていることも、このコンテンツの特徴だ。なぜ、エヴァンゲリオンのライセンス事業は成功しているのか? 担当している〔株〕グラウンドワークスの代表取締役・神村靖宏氏に話を聞いた。
――御社の設立は2010年ですが、神村代表取締役がエヴァンゲリオンのライセンス事業を担当するようになったのは、それ以前の2001年頃からだとか。
神村 まだ前職の〔株〕ガイナックスに在籍中に前任の担当者から引き継ぎました。それまでは、総務や人事、経理、ゲーム部門の進行管理といった仕事をしていました。
ガイナックスはエヴァンゲリオンの制作をした会社ですが、作品に対して出資はしていませんでした。出資をしなければ作品から得られた利益をバックしてもらうこともできないのが普通なのですが、関係各社のご理解、ご協力をいただいて、ある時点から、ガイナックスをエヴァンゲリオンの版権窓口にしていただきました。そこで、ガイナックス社内で版権部門をスタートさせたのが僕の前任者です。
――当初から商品展開は色々としていたのですか?
神村 他社の見よう見まねながらも、精力的にやっていました。大手の玩具メーカーがスポンサーになっていなかったので、逆に色々なところに許諾を出せたんです。また、僕もそうですが、前任者も玩具などに非常に愛着を感じていましたから、苦労しながら各社を駆け回って商品化をお願いしていました。当時はまだフィギュアという言葉が一般的ではありませんでしたが、綾波レイや初号機などの模型や玩具から始まって、雑貨などへ展開していきました。
ガレージキットと呼ばれる少量生産の模型を作っている、プロとアマチュアの境目のような造形作家や原型師の方たちにも、積極的に許諾を出していました。ロボットアニメが全般に下火だった時期で、その中でエヴァンゲリオンが出てきましたから、エヴァンゲリオンのガレージキットを作りたいという方が多くて、一世を風靡することができました。
――アマチュアに許諾を出すというのは、よくあることだったのでしょうか?
神村 年に2回開催されている「ワンダーフェスティバル」というガレージキットのイベントの会場でだけ販売する許諾を出す、というビジネスが今でもあって、それを始めたのが、ガイナックスの前身であるゼネラルプロダクツという会社だったんです。1980年代半ばのことです。それにエヴァンゲリオンが良い形で乗ることができました。
ゼネラルプロダクツは、作品のライセンスを受けてグッズを製造することから始まった会社だったので、版権を使わせていただくことの難しさやありがたさが身に染みていました。だからこそ、エヴァンゲリオンの版権は、特定の企業に独占的に使ってもらうのではなく、様々な企業に幅広く使っていただきたいという方針でしたし、それが作品の人気の底上げにもつながると判断していました。
――前任者から引き継いだときは、どのような状況だったのでしょう?
神村 劇場版も1997年に終わって、勢いはひと段落していましたが、不定期ではあるものの、ゲームが発売されたり、DVDが発売されたりといったことは続いていて、そのたびに、メーカーなどに「一緒に何かやりましょうよ」とお声がけしていました。
そうしているうちに、2004年に出た遊技機の『CR新世紀エヴァンゲリオン』が大ヒットしたんです。
――それが大きな転機になった?
神村 パチンコのおかげで、普段アニメを見ない方々にまで認知が広まりました。その結果、市場に出ていたDVDが一気に品切れになって、発売元のキングレコード〔株〕から「何が起こっているんだ?」と連絡がありましたよ(笑)。
それ以上に大きかったのは、各社で決裁権を持っている、年齢が高い方々にも知っていただけるようになって、企業タイアップなどの企画が通りやすくなったことです。「こんなアニメ知らないよ」から「知ってるぞ。カヲル君が出たら大当りのやつだな」に変わった。これは本当にパチンコがヒットした影響です。
エヴァンゲリオンの舞台になっている箱根町とのコラボレーションは今も続いていますが、これも、町の決裁権者の方がパチンコでエヴァンゲリオンを知っていたので、企画が通りやすかったんです。
――アニメをパチンコにすることは、当時もよくあったのでしょうか?
神村 今ほどではありませんでしたが、『北斗の拳』のパチスロ機がヒットしたりはしていましたね。『CR天才バカボン』や『ルパン三世』のパチスロ機も話題になっていました。
――エヴァンゲリオンのパチンコ化は、どのような経緯で?
神村 庵野(秀明)監督自身が「パチンコにすればいいのに」と言い出したんですよ。ちょうどその頃に「パチンコ化のライセンスは空いていますか?」という問い合わせがいくつか来ていたので、お話を聞いて、許諾しました。
――「パチンコにすればいいのに」というのは、認知を広げるために、ということだったのでしょうか?
神村 ぼんやりとは、あったんじゃないかと思います。僕も、パチンコは非常に強いコンテンツなので、アニメファン以外にまで届けばいいなとは思っていましたが、これほどまで当たるとは思っていませんでした。
更新:11月22日 00:05