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定年後に「孤独な人」「友人に恵まれる人」の違い 佐藤優氏が回想する”太鼓持ち官僚”の惨めな末路

佐藤優(作家)

定年後を孤独に暮らす人とそうでない人の違いとは?

定年後、メンタル的にダメージを受けやすいのが「孤独」だ。大企業に勤め、多くの部下がいても、SNSでどれほどのフォロワーを抱えていても、60歳を過ぎてみたら、親しく交流できる人は誰もいなかった――ということは少なくない。生涯付き合える友人関係はいかにして築かれるのか。かつて外務省に勤務し、事件に巻き込まれて逮捕されるという経験を持つ佐藤優氏が、人生後半の交友関係について語る。

※本稿は、佐藤優著『定年後の日本人は世界一の楽園を生きる』(飛鳥新社)より一部抜粋・編集したものです。

 

事件以降、マスコミ関係者は信用していない

日本人は義理堅いというが、私の経験では、必ずしもそうとは言えない。いざというときに「義理を欠き」「人情を欠き」、さらに平気で「恥をかく」という「サンカク人間」がたくさんいる。私は2002年、いわゆる「鈴木宗男事件」の渦に巻き込まれたとき、そのことを実感した。

実を言うと、このときの経験によって、私はマスコミ関係者を信用しなくなった。外交官時代に親しくしていた記者は100人以上いた。名刺を交換した記者は1000人を優に超えていた。しかし「鈴木宗男事件」によるバッシングが始まると、私を攻撃したり、私を陥れるような情報を検察庁や週刊誌に流したりする記者が何人も現れた。

512日の勾留中、あらためて振り返ってみると、最後まで私との友情を大切にしてくれた人、バッシング後も何事もなかったがごとく普通に付き合ってくれた記者は、共同通信の加藤正弘氏、朝日新聞の西村陽一氏、それに産経新聞の斎藤勉氏だけである。
この3人は私にとって大切な友人であり、現在でも、家族同様に親しく交流している。

ちなみに私が職業作家となってから、バッシング当時に陰で私を攻撃していた記者たちが、「心のなかでは佐藤さんを応援していました」などと言って近寄ってきた。「いくら心のなかで応援していたとしても、あなたは私を攻撃する記事を書いたのですから、信用できませんね」と言い返したいところだった。しかし、そこは感情をグッと抑えて、「当時は、そうは見えませんでしたが、心のなかで応援してくださったことには感謝します」と答えることにしている。

もちろん、還暦を越えて、こういう記者たちと親しく付き合う気持ちにはならない。人生は短いのだ。残された時間も限られている。心から信頼し合い、琴線に触れる話ができる友人と、残りの時間を過ごしたい。

最近は、フェイスブックやXに1000人以上の友だちがいる人も少なくないが、直接、リアルに会える人こそが真の友人だ。だからこそ、学生時代の古い友人との関係は長続きするのだろう。

実際、「鈴木宗男事件」では同志社大学神学部の教師や友人たちが、すぐに「佐藤優支援会」を立ち上げてくれた。この事実が、512日間の勾留中に、どれほど私を力づけてくれたか、言葉では表せないほどだ。

 

フォロワーが何人いようとも、真の友人は......

先述の通り、フェイスブックで1000人以上の友だちを持っている人も少なくない。Xのフォロワーが1万人以上いる一般の方もいる。しかし私は、本当の友人とは、直接会うことができる相手だと思っている。リアルな関係が必要なのである。だからこそ、学生時代の友人との関係が、生涯にわたって続くことが多い。

実は同志社大学神学部時代の友人たちとは、長いあいだ会うことがなかった。ところが「鈴木宗男事件」で逮捕されると同時に、彼らは「佐藤優支援会」を立ち上げてくれた。「マスコミでの報道と学生時代の佐藤優のイメージに大きな乖離がある。報道よりも自分の皮膚感覚を信じたい」というのが、神学部の友人や教師の対応だった。

ちなみにロシア人やイスラエル人の世界では、友人という言葉の意味は重い。「私には、友人が100人います」などと言うような人は、まったく信用されない。友人の基準が甘すぎるからだ。

友人は、自分が不遇な状態に陥ったとき、命の危険を覚えるようなことがあっても守ってくれる人のことだ。これが10人を超えることはない。そして私には、イスラエルとロシアに、本当の友人がいる。この人たちは「鈴木宗男事件」のときもリスクを負って私を守ってくれた。リアルな付き合いを通じて生じた友情は、一生続く。

このように、定年後の人たちは、仕事に注ぎ込んできたエネルギーを、本当に信頼できる友人に振り向けるべきだろう。そうすれば、ビジネスの最前線で戦ってきた前半生よりも、ずっと濃い、豊かな人生を送るはずだ。

 

社交的で世渡り上手な外務省幹部の末路

いま社会では孤独死が問題になっている。独居老人がアパートで亡くなり、死後、何ヵ月も経ってから発見される......そんなニュースを耳にすることが多い。

ここで明確にしておきたい。独身でいることと孤独であることは、まったくの別物だ。たとえばキリスト教の修道士や修道女は独身だが、決して孤独ではない。逆に、社交的な性格に見える人や友人がたくさんいるように見える人でも、実際には孤独な人がたくさんいる。

外務省の局長や大使を務めた人に、部下によく酒を飲ませ、賭け麻雀なども行う社交的な幹部がいた。そして、政治家にも取り入るのが上手だった。この外務省幹部は、当時の鈴木宗男・衆議院議員に対し、「私はムネさんに命を預けています」などと言っていたが、その1年後に「鈴木宗男事件」が起きると、バッシングの先頭に立った。私に対しても攻撃を仕掛けてきた。
「強きを助け、弱きを挫く」──外務官僚の典型だった。

考えてみると、部下に酒を飲ませるといっても、原資は外務省報償費(機密費)をはじめとする公金なので、自分の懐が痛んだわけではない。また、こんな上司に対して「大使は僕にとって父親のような人です」などと歯の浮くようなお世辞を言って尻尾を振っていた外務官僚は、出世のために役に立つと思って媚びていただけである。ちなみに、この外務官僚の綽名は「茶坊主」だった。

そして退職後、この大使経験者は、酒を飲んで不満ばかり言っていた。朝早くから旧知の新聞記者に電話をかけ、愚痴を言っていたようだ。実に惨めな人生だと思う。

このことからも分かるように、一人でいるのが好きであり、また交友する相手がいないとしても、実は孤独ではない。なぜなら心は清廉を維持しているからだ。

加えて私は、「この世には意のままにならないものがある」と自覚している人は孤独にならないと思っている。
さらに言えば、孤独な自分だけの時間を意図的に作ることも重要だ。そうして自分の内面を見つめ、自分の行いを振り返ってみる。すると、自分にとって実際に何が最も大切か、何にエネルギーを注ぐべきか、それらが自然と明らかになってくる。
時には友人たちから離れて一人になり、何もしない時間を作ることも大切なのだ。

著者紹介

佐藤優(さとう・まさる)

作家

1960年、東京都生まれ、同志社大学神学部卒、同志社大学大学院神学研究科修了(神学修士)。1985年に外務省入省。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、その後、モスクワの日本国大使館、東京の外務省国際情報局に勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、無罪主張をし、争うも2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。

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