
生成AIの登場から2年半。企業の多くがAI導入に踏み出した一方で、「実際に活用しているのは一部の社員だけ」という壁を越えられないケースも少なくない。そんな中、日清食品グループは早くから全社的なAI活用を進め、すでに社内利用率は7割に到達。しかし同社CIOの成田氏は「7割では満足していない」と言い切る。
グロービスが開催したセミナー「AI時代のビジネスシフトへの挑戦 ─組織変革を導くリーダー育成と組織づくりのヒント─」では、株式会社グロービス マネジング・ディレクター/GLOBIS 学び放題 事業リーダーの鳥潟幸志氏と日清食品ホールディングス執行役員の成田敏博氏が登壇し、AI投資の潮流から現場での実装、人材育成までを語った。

鳥潟氏は、AIを取り巻く環境の急速な変化を指摘する。
「AIへの投資は今も加熱しています。2025年度には世界で43兆円、2032年にはその10倍近くに達するという試算もあります」


AIを構成する階層は、下からGPU/チップ、インフラ・ツール・MLOps、LLMモデル、汎用型アプリケーション、業界特化型アプリケーションの五層。まずLLMモデルが広がり、現在はそれを支える下層への投資が加熱しているが、数年後には上位層こそが競争の主戦場になるという見立てだ。
「いまはインフラ投資の時代ですが、数年後にはユーザーに直接触れるアプリやビジネス領域にチャンスが巡ってきます。だからこそ、いまのうちにAIを使える人材を増やしていくことが重要です」

他方で、日本で業務にAIを使っている人の割合はまだ4割前後にとどまる。「わからない」「ノウハウがない」といった理由で現場導入が止まっている企業が多い。アメリカなどではすでに使い方の段階を超え、セキュリティやリスクマネジメントの議論に入っているとし、日本企業もいずれそこに到達すると展望を語った。
ビジネスの競争優位を考えたとき、これまで重視されてきたのは「人・モノ・金」といった競争資源だった。資金を集め、人を配置し、規模を拡大することで成長を目指すモデルである。
しかしAI時代の競争優位は、すでに「データ・機械・人」へとシフトしつつある。良質なデータを蓄積し(特に社内にしか存在しないクローズドデータや、非構造化データを含む)、それを動かすアルゴリズムを理解し、人がどう活かすかが鍵になる。
AIの普及によって、人に求められる役割も大きく変わりつつある。これまでの組織では、作業を担う人と、それを管理する人という構図が基本だった。しかし、今や多くの作業はAIが自動的に行えるようになっている。
鳥潟氏は「これからの人に期待されるのは目的の設定と判断だ」と指摘する。AIが結果を出す存在だとすれば、人は「何を問うのか」「どう使うのか」を決める存在である。AIの出力を鵜呑みにせず、ビジネスの目的やリスクを踏まえて意思決定につなげる力が、人間側に強く求められているのだ。
そのうえで、リーダー層に求められるのは、自分自身がAIを使いこなす力に加え、組織としてAIを使わせる力だという。鳥潟氏は次のように語る。
「リーダーは"自分がAIをどう使うか"だけでなく、"チームにどう使わせるか"を設計しなければなりません。AIの活用目的を定め、成果とリスクを見極めながら、現場が安心して試行できる環境を整える。そのマネジメントができるかどうかが、今後の競争優位を左右すると思います」

続いて登壇した日清食品ホールディングスCIOの成田氏は、実践現場のリアルを語った。同社が生成AIの導入を決めたのは、ChatGPTが公開された2023年3月。経営トップが実際に触れ、これは世界が変わると判断したことが出発点だった。
「3月14日にGPT-4が登場し、経営陣で試しました。これは間違いなく大きな転換点になる。すぐに社内展開を決め、4月25日には約4000名の社員に社内版ChatGPTを展開しました」
しかし、想定外の壁に直面する。便利さに驚く声はあっても、実際に業務に取り入れる社員は少なかったのだ。
「導入したら皆が使うだろうと思っていました。でも実際にはごく一部だけ。すごいねで終わり、翌日には以前のやり方に戻ってしまう。当初の利用率は3割に満たないほどでした」

ここから利用率を上げるため、営業組織に焦点を絞った。250名の営業担当が共通で使える32本のプロンプトテンプレートを開発。ゼロからプロンプトを書くのではなく、練り上げられたテンプレートを共有する仕組みを整えた結果、営業部門のAI利用率は一気に7割に達した。
この仕組みによって業務の生産性は向上し、従来よりも多くの時間を「価値創造」に振り向けられるようになったという。成田氏は、この営業部門での成果を「1つの成功事例」として位置づけ、他部門への横展開を進めた。
経営トップからも、「日清食品グループはAIを積極的に活用し、DXを推進していく企業になる」という明確なメッセージが繰り返し発信され、現場の取り組みとトップダウンの意思がかみ合う形で、全社的な変革が進み始めた。
マーケティング、宣伝、広報などの部門からも「自分たちもやりたい」という声が上がり、それぞれの業務内容に合わせてAIの活用方法を設計。外部コンサルタントのレビューを受けながら、各部門が約1か月でプロンプトテンプレートを整備した。
この取り組みにより、どの部門でもAIを業務に組み込む仕組みが整い、利用率は5割を超えるまでに向上した。
成田氏は、AI活用を進めるうえで「トップダウンだけでは不十分」と語る。経営トップが明確な方針を示す一方で、現場のボトムアップをどう後押しするかが鍵だという。
「特定の部門で早い段階に小さな成功をつくり、それをあえて"成功事例"として社内に広く伝えるんです。必ずしも完璧でなくても構いません。他部署が"あの部門では変化が起きている"と感じることで、自分たちもやってみようという動きが生まれる。そうした成功を複数つくり、意図的に目立たせていくことで、組織全体が少しずつ変わっていきます」
トップダウンによる方向づけと、現場からのボトムアップの推進。その両輪がかみ合うことで、日清食品グループのAI活用は「一部の取り組み」から「全社的な変革」へと発展していった。
直近のデータでは、社内利用率は7割に達したが、成田氏は3割の未使用層がいる限り道半ばだと語る。転機となったのは2025年2月。生成AIのディープリサーチ機能を経営会議で実演したことだった。数時間かかっていた調査が数分で出力され、経営陣に強いインパクトを与えた。
「もし自社が使わず、ライバル企業だけが使っていたら勝てるはずがない。利用率7割でも、まだ3割が使っていない。それは許容できないことです」
AIの出力を起点に何度も掘り下げて議論を重ねる。経営層の理解が深まるほど、AI活用は経営課題として定義されるようになった。
こうした流れを受け、日清食品グループは社内教育制度「NISSIN DIGITAL ACADEMY」をリニューアル。生成AIを中心に据え、システム開発、データサイエンス、プロジェクトマネジメントなど全7領域の学習設計を見直した。特に管理職向けには「AIを使わせる力」を必須スキルとして位置づけている。
研修では、経営会議で実演したリサーチのデモを再現。さらに、AI活用が最も進む経営企画部のマネージャーが登壇し、会議前にAIで要点を整理してから議論に臨む実践例を紹介した。AIを活用した意思決定プロセスを、管理職自身が体験する構成となっている。
「管理職は自分がAIを使うだけでなく、メンバーに使わせる仕組みを作ることが重要です。それがこれからのマネジメントスキルの一つになります」
●登壇者紹介

鳥潟幸志(とりがた・こうじ)
株式会社グロービス マネジング・ディレクター/ GLOBIS 学び放題 事業リーダー
グロービス・デジタル・プラットフォーム部門の責任者として、AI活用を中心とした新規事業開発と組織のデジタル推進をリード。AIを活用した学習体験の向上を牽引するなど、人材育成のイノベーションを推進している。教育現場では、グロービス経営大学院や企業研修において、思考系・ベンチャー系プログラムの講師を務めるほか、大手企業の新規事業立案に向けたコンサルティングセッションをファシリテートし、理論と実践の双方に基づく教育を展開している。著書『AIが答えを出せない問いの設定力』(クロスメディア・パブリッシング、2024年)は、発売前から注目を集め、Amazonランキング「ビジネスとIT」「情報社会」部門で1位を獲得。AI時代に求められる人材像を提示した同書は、多くのビジネスパーソンの支持を得ている。

成田敏博(なりた・としひろ)
日清食品ホールディングス株式会社 執行役員CIOグループ情報責任者
1999年、新卒でアクセンチュアに入社。公共サービス本部にて業務プロセス改革、基幹業務システム構築などに従事。2012年、ディー・エヌ・エー入社。グローバル基幹業務システム構築プロジェクトに参画後、IT戦略部長として全社システム企画・構築・運用全般を統括。その後、メルカリ IT戦略室長を経て、2019年12月に日清食品ホールディングスに入社。2022年4月より現職。
更新:11月28日 00:05