2023年12月05日 公開
――実際に、苦しい局面をどう打開されたのでしょう。主力製品の売上回復と会社の結束、どちらも難題ですが。
【川原】確かに、課題自体は重いと感じていました。4つの会社の集まりとあって、当社には多くの商品のカテゴリーがあります。和光堂のベビーフードからはじまり、フリーズドライ食品、栄養サポート食品、シニア向けのやわらか食など。
「すべてのライフステージに向けた商品を提供する」という建てつけではありますが、各商品に連続性があるわけではない。和光堂の粉ミルクで育った赤ちゃんが、大人になって「1本満足バー」を愛用するとは限らないわけです。
とすると、多分野であることは経営資源の分散を招く「弱み」かもしれない。外から見ていた当初はそう考えていました。
――その見方に、やがて変化が?
【川原】はい。それは、ミンティア売上3割減の、直後のことでした。ミンティア以外の主要カテゴリーが、軒並み数字を伸ばしたのです。コロナの影響で健康志向が高まり、サプリメントの「ディアナチュラ」や、「1本満足バー」のプロテインシリーズが好調に。
巣ごもり消費でフリーズドライのおみそ汁の売上も伸び、結果として、年間売上で見ると大きなダメージにはならなかったのです。つまり当社は、一つのカテゴリーが不調でも、ほかで支えることができる会社なのだ、とわかりました。
――弱みどころか、強みだったのですね!
【川原】そうなんです。以来、僕はこの強みを「多刀流」と表現しています。何本もの刀で戦っているから、一本や二本折れても、ほかの刀で戦い続けられるのだと。そして社員には、あなたたちの持つ刀を研ぎ澄ませよう、と常々呼びかけています。
――ほかの刀が折れたときに自分の刀で支える意識が芽生えて、結束感が高まりそうですね。
【川原】おっしゃる通り。社員の意識は以前と大きく変わりました。「自分の出身会社」のみに向きがちだった目が、「たくさんの足で立つ一社」という認識に切り替わったと思います。もっとも、出身会社という「ふるさと」を愛する感覚はごく自然なものでもあります。
ですから、「故郷が最高だと思うのは大いに良いこと。でも今は、縁あって皆が東京に集まっているようなもの。ならば出身地は関係なく、同じ目的を一緒に目指そう」とも呼びかけています。
【川原浩(かわはら・ひろし)】
1966年、神奈川県生まれ。90年に慶応義塾大学を卒業後、(株)日本長期信用銀行(現・SBI新生銀行)入社。その後、チェースマンハッタン銀行(現・JPモルガン証券)、ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル、カーライル・ジャパンを経て、2020年にアサヒグループ食品(株)専務取締役兼執行役員となる。翌21年より現職。
更新:11月23日 00:05