2021年06月01日 公開
2023年01月19日 更新
どことなく憎めない人柄とシュールな芸風で、人気のお笑い芸人・飯尾和樹さん。これまでブレイクの機会はあったものの、同期芸人からは大きく遅れを取っていた。しかし、50代を迎えた今、大人気となり、バラエティ番組に欠かせない存在となっている。遅咲きながら花開いた理由や、これまでどのように仕事を続けてこられたのかをうかがった。【取材・構成:林加愛/写真撮影:永井浩】
※本稿は、『THE21』2020年12月号より一部抜粋・編集したものです。
――お笑い番組はもちろん、CMやドラマにも活躍の場を広げる「ずん」の飯尾和樹さん。飄々とした口ぶりとジワジワ来る笑いに、心をわしづかみにされている人が多く、中高年にも大人気。
現在51歳の飯尾さんのキャリアは、極めて助走期間が長い。デビューは1991年、同期はナインティナインやキャイ~ン。彼らが早々に人気者となる中、自身は「知る人ぞ知る芸人」のまま、20年間を過ごした。
「いわば、周回遅れです。同期は20代からずっと活躍して今やベテランですが、僕の経験値はその半分以下。彼らの歩んだ道を、50代でこれから回るわけです。どうなるんでしょう(笑)」
――特異な立ち位置を楽しむかのような口ぶりだが、ここまでの道のりは平坦ではなかったはずだ。仲間でもある同期の成功に、嫉妬を覚えることはなかったのだろうか。
「いや、嫉妬しようがないですよ。特にキャイ~ンとは事務所が同じで、スタート地点も一緒。同じ舞台、同じ持ち時間で彼らは毎回笑いを取る一方、僕と当時の相方は、ウケる日もあればウケない日もあり。同条件でできない自分を経験しているから、『すごいなあ』しかありません。テレビの仕事でも、僕なら緊張してしまう場で彼らはホームランが打てる。尊敬ですよね」
――相手の素晴らしさを素直に認める飯尾さん。少年時代から、その姿勢は一貫している。
「少年野球の相手チームの強いピッチャーに対しても同じ気持ちでした。年齢も道具も一緒なのに実力差があるのだから、言い訳できませんよね。そもそも、僕の言い訳はすぐに潰されるんです。
高校時代、バレーボール部で『もっと背が高ければ勝てるのにな~』と思ったとたん、僕より小柄で上手な選手が出てきた。『男子校じゃなければ彼女できるのにな~』も先輩に彼女がいて、しかも校門で『出待ち』するファンまでいるのを見て、即終了しました」
――とはいえ、ただ「すごいなあ」だけで終わる飯尾さんではない。
「そうなったら、次はとことん取材。『先輩、女の子とどうやって出会うんですか?』と聞いてアドバイスをもらうんです。芸人になってからも同じで、先輩にも同期にも、なんなら後輩にもすぐ相談。長男のくせに末っ子なみの甘え体質です(笑)」
――甘え上手と図々しさでここまで来た、と飯尾さんは振り返る。
「若手の頃から、大先輩に『小堺さん、ご飯に連れてってください!』なんて言っていました。関根勤さんにも、よく『ネタを見てください』とお願いしましたね。
ご多忙でも、頼めば『収録の休憩中、時間取れるよ』と言ってくださるので、遠慮なくテレビ局へ。アドバイスを受けてすぐ修正。収録終了後にもう一度見てもらう、といった調子でした」
――こうして数々の重鎮から知恵を授かった結果、飯尾さんの記憶データベースには「お笑いの金言」が蓄積されている。
「例えば、明石家さんまさん。難しいことはおっしゃらず、シンプルに『そこ、1秒、間を空けろ』。確かに間があるとないとでまったく違うものなんですよね。さんまさんの助言を反映させるとお客さんの反応がガラリと変わった、という経験もたくさんあります」
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更新:11月21日 00:05