2017年08月09日 公開
2023年07月12日 更新
2年間日本に滞在した後、アラン氏は再びアメリカへ戻り、大学を卒業。そして、再び来日し東京藝術大学日本画科の加山又造氏に師事した。加山氏に師事した理由は何だろうか。
「加山先生は、伝統的な日本画の世界でも、意欲的に新しい表現に挑戦する方でした。そして、何よりも生徒たちの価値観を理解したうえで、自分の表現技法を押しつけずに『こんなやり方もあるよ』と提案してくれる先生だったのです。
美大では、自分の技法や世界観を見いだせないまま卒業してしまう人は少なくないですが、『自由に表現する先生』『生徒たちに自分の表現を押しつけない先生』に師事すれば、きっと成長できるはずだと考えたのです。ちなみにこれは、良い師匠を見つけるためのアラン流のアドバイスです(笑)」
また、ちょうどこの頃に、アラン氏の身体の一部とも言える「矢立」に出合ったという。
「私は、昔の市井の人々の人生や生活観が垣間見えるので、古道具屋に行くのが大好き。芸大に入って間もない頃、古道具屋で明治初期の絵ハガキを見つけました。よく見てみると、ビックリするくらい生き生きとしたタッチで絵を描き、文字も綺麗なのです。
私も同じように書きたいと思い、当時の人が使っていた「矢立」と呼ばれる細い和筆と墨壺で絵を描いたのですが、使いこなせませんでした。というのも、細い筆の圧力や紙の抵抗を上手く感じられなかったからです。そこで、電話の控えもカレンダーの書き込みも、授業のノートもデッサンなど、日常のあらゆる場面で和筆を使い始めました。今では、筆を身体の一部のように使いこなすことができます」
「矢立」によって、アラン氏の絵の繊細なタッチはさらに磨きがかかったという。
写真は、アラン氏の和筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具「矢立て」とスケッチブック。筆を身体の一部に感じるくらいに使いこなすため、常に携帯しているという。
更新:12月04日 00:05