2017年08月09日 公開
2023年07月12日 更新
職人の仕事を通じ、どの仕事にも共通する大切な心構えを学ぶ本連載。第9回目は、日本で活躍するアメリカ人の日本画家であるアラン・ウエスト氏に、仕事に対する心構えをうかがった。
東京都台東区谷中にアトリエ兼ギャラリーを構えるアラン・ウエスト氏。日本へ来て30年近くアメリカ人の日本画家として活動し、植物をモチーフとした繊細な絵を中心に描き続けている。なぜ、日本画を制作し始めたのだろうか。まずは、アラン氏が絵を描き始めた原点からうかがった。
「私が、画家を志したのは8歳の頃。担任だった先生から『目指すべき目標があれば、人生の路線を決めやすい』と言われたのがきっかけです。9歳の頃から油絵の教室に通うようになりました。とはいえ、3歳の頃から裏庭の植物を楽しそうに描いていたようです。今でも自分にとって何よりも美しいのは植物ですが、当時からその気持ちは変わっていません」
14歳のときには、すでに注文制作を請け負うようになった。
「初めは、劇団のビラやポスターなどを描いて小遣いを稼いでいたのですが、そのうちに舞台背景画を描いてほしいという依頼があり、段々と大きな仕事も任されるようになっていきました。
今の仕事は注文制作がほとんどですが、そのときの体験が今に活きているのかもしれません。相手がどういう作品を求めているのか、納期から逆算して今日はどこまで作業すべきか、などといった仕事の基本的な姿勢を学ぶことができました」
高校に進学後もスミソニアン美術館主催のコンクールに出展するなど、熱心に絵を描き続けた。ただ、ここで大きな問題に直面する。
「私は、画家としてキャリアを築きたいと考えていましたが、親の強い反対がありました。 いよいよ大学を進学する年齢になったときは、弁護士だった父と相当やりあいましたね。そんな中でも祖母が間に入って中を取り持ち、『お前にも、夢を抱いていた時代があったじゃないか』と父を説得してくれたのです。
すると父は、『アメリカでトップの美術大学に進学するのならば、画家になってもいい。できなければ諦めろ』という条件付きで受験を許してくれました。どうせ合格できないと思っていたのでしょう」
しかし、父親の予想を裏切り、アラン氏は競争率50倍という高いハードルをクリアし、カーネギーメロン大学芸術学部絵画科に合格した。
アラン氏のアトリエ兼ギャラリー「繪処アラン・ウエスト」。ここで絵を制作し、販売もしている。
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更新:12月04日 00:05