2017年04月10日 公開
2023年07月12日 更新
日本刺繍の歴史は古く、飛鳥時代に仏教とともに伝わったと言われている。その後、日本刺繍は各地で独自の発展を遂げてきた。たとえば、京都の糸は細く、平糸刺繍が多かった。また、江戸では多少太かったのだという。
ただその一方、もっと実践的な技術を身につけるには、研究室にこもって勉強するだけではいけないとも感じていたという。
「研究室に入り、3年目のことです。『日本刺繍の道で生きていきたい』と考えた私は、同大学で講義を持っていた日本屈指の染繍工芸家である野口真造氏に弟子入りを志願しました。
ところが、野口氏は、『刺繍しかできないのであれば、うちへは呼べないよ。まずは、自分をもっと磨いて、技術向上してからお出でなさい』と断わられてしまいました」
それを聞いて宮崎氏は、日本刺繍を軸に、茶道や日本画・洋裁・生け花、香道、弓道。謡曲、袋物染、英語、料理などといった習い事に一層力を入れるようになったという。
「今思うと、その言葉は『一つのことだけに長けていても、表現の幅が狭くなって、作品の伸びやかさが生きない、だからこそ人間味をつけよ』という意味だったように思います。さまざまな経験を重ねるからこそ、豊かな作品ができあがるのではないでしょうか。
これは仕事にも言えることで、どんな経験も肥やしになると考えれば、無駄な仕事など一つもないのかもしれません」
その後、宮崎氏は職人の世界に飛び込むことになった。
「短大の研究室の上司の紹介で、上野の根津にある樫村工藝研究所で修業させてもらうことになりました。そこは、日本刺繍の職人さんが多く、高齢の先輩、中卒から大卒までいました。代表の樫村大六氏の娘さんに師事しました。修業期間中はほぼ無給でしたが、あらゆる技術を学ぶことができたので、苦しくても楽しかったのを覚えています」
更新:11月24日 00:05