2017年03月10日 公開
2023年07月12日 更新
職人の仕事を通じ、仕事で大切なことを学ぶ本連載。第4回目は、東京・小石川で老舗和菓子屋「一幸庵」を営む、日本屈指の和菓子職人水上力氏にお話をうかがった。
今、ユネスコの無形文化遺産に登録された和食に世界中から注目が集まっている。とくに、四季折々を豊かに表現する和菓子への関心は高く、それを目的として来日する外国人も少なくない。
そんな中、国内外からの高い評価を受けているのが、東京・小石川にある和菓子屋「一幸庵」だ。その店主である水上力氏は、評価とは裏腹にとても謙虚だ。
「開店して40数年、飯が食えるようになったのも、お客さんに育ててもらったからです」
水上氏は、江戸菓子職人の4男として育った。しかし、大学を卒業するまでは公認会計士を目指していたのだという。父親が職人になるのを反対していたからだ。それでも、「職人のほうが自分の性に合っている」と大学を卒業後に和菓子職人の道へと進んだ。
「父のツテを辿って、修行先を探してもらいました。親もとで修業するよりも、他人の飯を食って違う文化を学ぶことが大切だと思ったからです。京都と名古屋でそれぞれ2年、最後に京都に戻って1年、通年で5年間修業しました」
当時を振り返り、修行時代は貴重な時間だった水上氏は語る。
「修行時代に多くの杭をしっかり打ったからこそ、つまり基礎をしっかりと打ち立てたからこそ、今があります。プレハブ小屋が建つか、高層ビルが建つかは、基礎力によって決まるのです」
修行時代、水上氏は師匠からいつもこんなことを言われていたという。
「お前は、早く入門した弟子たちと比べ、どうしても技術的に劣ってしまう。出遅れたぶんの差は知恵を使って埋めなさい」
今でこそ水上氏は淡々と話すが、当時は苦しかったという。
「『大学を出ているのだからできて当たり前』と、褒められることなどめったにありませんでした。しかし、その厳しさは愛情の裏返しでもあったと思います。
職人は、自分の腕一本で飯を食っていかなければなりません。職人は全員ライバルですから、困っても誰も助けてくれないのです。だからこそ、厳しい修行に耐える必要があるのです」
更新:11月23日 00:05