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日本サッカーはなぜ「地域密着」なのか…23歳の川淵三郎が見たドイツの天然芝の衝撃

2026年02月24日 公開
2026年02月24日 更新

瀬戸内みなみ

2015 年 8 月インタビュー 時 撮影( 佐藤英明)
2015年8月インタビュー時撮影(佐藤英明)

Jリーグが掲げる「地域に根差したスポーツクラブ」という理念。なぜ日本サッカーは「地域密着」を重視するのか。その答えは、瀬戸内みなみ著『わが人生に悔いなし』の中でJリーグ初代チェアマン・川淵三郎氏が明かしている。1960年8月、23歳の時にドイツで目にした光景がその原点だった。「穴と石ころだらけ」の日本のグラウンドと、「8面の天然芝」を持つドイツのスポーツ施設。その圧倒的な差が、33年後のJリーグ開幕、そして「百年構想」へとつながっていく。

※本稿は、瀬戸内みなみ著『わが人生に悔いなし』(飛鳥新社)より、内容を一部抜粋・編集したものです

 

1960年8月、ドイツで見た圧倒的な差

1960年8月、23歳の川淵三郎は日記にこう記した。

「十八日デュッセルドルフの空港に着く。バスで約三十分、デュイスブルクにあるスポーツ・シューレに向かう。まず真緑の見事な芝生のグランドに驚かされる。三棟の体育館、その真中に宿泊所に食堂、さらに教室、事務所もあり、それが実に清潔そのものの感じである。食堂は広々として清潔で、二百人は楽に座って食事ができる事である。そこから外を見ると周りはみな芝生のグランドで、それが白樺の林に囲まれてまるで公園に来ているようだ。八つも芝生のグランドがあるそうだ。折から約二百人ばかりの八歳から十六歳までの少年が約一週間合宿練習中で、興味深くトレパンに着替え、散歩がてらスポーツ・シューレの中を見学して回る。木が実に多く環境は最高だ。それに芝生も深く厚く、日本ではちょっと見る事はできない。連日練習しても平気だそうだ。僕等の挙動を見守っていた。この組は二、三日後に終了し、さらにまた別の二百人が合宿に入るそうである。これじゃあ強くならないほうがむしろ不思議である。これらの施設は全てサッカーの試合で儲けたお金で作ったそうで、サッカー協会に属し、ドイツじゅうで十以上もこの様なものがあるそうだ。ここで約一週間練習するかと思うと、興奮してなかなか眠れなかった」

日本代表チームの一員としてヨーロッパ遠征に参加し、ドイツのスポーツ施設に到着した日のことだ。

 

「日本にもあったらいいな」どころではなかった

その後、約45日間かけてスイス、チェコ、ソ連など数カ国を回り、地元チームと対戦した。「日本サッカーの父」と呼ばれ、また川淵自身も恩師と慕う西ドイツのデットマール・クラマーが、日本代表の指導についたのもこのときからである。

日本サッカー協会(JFA)最高顧問(2015年現在)である川淵がいう。

「ともかく、施設がすばらしかった。あの頃、日本にはこういうところがなかったからね」

「あのときドイツで頭に浮かんだのが、日本で最高のスポーツチーム、プロ野球・巨人の練習場です。多摩川グラウンドには芝生もないし、クラブハウスもシャワーもなかった。穴と石ころだらけの土のグラウンドで、東大サッカー部のネットを借りて練習する。ゴールネットもボロボロの穴だらけ、シュートしても抜けてしまう。それが日本代表チームの日常だった。ところがドイツでは、プロ選手でもなんでもない人たちがこんな環境でスポーツを楽しんでいる。芝生も、手を入れたって土に届かないくらいぎっちりしているんです。この差はなんだろうとガックリきた。日本にもあったらいいなどころのレベルではなくて、ただただ羨ましかった。ドイツに生まれたひとは幸せだなあと思いました」

 

三日坊主が40数日、日記を書き続けた理由

恋人たちを羨んだ初めてのパリ
恋人たちを羨んだ初めてのパリ

「ぼくはまさに三日坊主で、小学校のときから毎年正月に日記帳を買いはしても、本当に三日までしか続かない。それが後にも先にもこのときだけ、四十数日、日記を書きました。初めてのヨーロッパで感激もひとしお。そういうときは、人間って書き残しておかなきゃと思うものなんだね。それくらいインパクトが大きかった」

日記には、各国におけるスポーツ環境の印象のほかにも、クラマーや監督からの指導内容、試合の結果、反省点などが細かく記録されている。

 

Jリーグ百年構想に込められた思い

日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」が開幕したのは、その33年後の平成五年。衝撃は一競技内にとどまらず、一大ブームとなって日本中を沸かせ、スポーツ・ビジネスの新しいモデルを打ち立てたのは周知のとおりだ。いうまでもなく、川淵はその立役者である。

1996年に発表された「Jリーグ百年構想〜スポーツで、もっと、幸せな国へ。」では、サッカーを通してあらゆるスポーツを誰もが楽しめる豊かな国を目指したいという思いから、次の三つの柱が提唱されている。

あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの輪を広げること。

開会宣言に盛り込まれた「大きな夢」の原点のひとつが、デュイスブルクで触れた豊かな芝生だった。それは、その上に立つとわくわくして、子どもでも年寄りでも、運動が苦手でも障害があっても、動き回りたくなるような場所なのだ。それが実現する場所を、この日本にもつくりだしたい。

プロフィール

川淵三郎(かわぶちさぶろう)

Jリーグ初代チェアマン,元日本バスケットボール協会会長

1936年生まれ。大阪府出身。府立三国丘高校でサッカーを始め、早稲田大学、古河電工サッカー部でプレー。日本代表。現役引退後は古河電工監督を経て、1980年〜81年に日本代表監督。1988年に日本サッカーリーグ(JSL)総務主事、日本サッカー協会(JFA)理事、1991年にJリーグ初代チェアマンに就任し、「日本サッカーの強化」と「地域スポーツの振興」に力を注ぐ。1994年にJFA副会長。2002年、JFA会長に就任。2023年、文化勲章受章。

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