THE21 » カルチャー&トレンド » 実は野球より先進的? 競技自転車に隠された戦略性と科学性

新刊『偏差値70の自転車競技部』を上梓した小説家の松尾清貴氏。「高学歴×スポーツ」をテーマに複数の小説を執筆してきた松尾氏に、スポーツの中にある科学的な一面などについて語ってもらった。
ーー14年前に発売された『偏差値70の野球部』を書かれたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
【松尾】当時の編集者から、開成高校野球部の記事を見せられたことがきっかけです。
開成高校といえば都内有数の進学校ですが、そこの野球部が2005年に、東東京大会でベスト16まで勝ち進んだことで大きな話題を呼んだんです。後に『弱くても勝てます』(新潮社)として書籍化もされています。
スポーツの印象が薄い進学校が独自の戦略を用いて勝ち上がっていく様子に、「同じような設定だったら面白いんじゃないか?」と考え、提案してくれたんです。
ーー前作と今作を比較してお聞きします。野球はルールへの深い理解や駆け引きによって勝利する、比較的頭脳スポーツの印象が強いと思います。一方、競技自転車はフィジカルに重きを置くスポーツという印象があります。
競技自転車と「偏差値70」という組み合わせにおいて、苦労したことや、「野球部」のときとは勝手が違うと感じたことはありましたか。
【松尾】実際は逆で、戦略性や科学性は自転車競技の方が強いんです。トレーニングにも科学的な手法がかなり取り入れられています。
ーーそうなんですか!勝手ながら、意外でした。
【松尾】外から見える動きだけを見れば、野球のようにいろいろなことをしているわけではなく、ただペダルを踏んでいるだけですからね。
野球には攻守交代があり、戦略的な部分も突き詰めればたくさんありますが、自転車は見た目が単調です。その単調さをどう見せるかという違いがあります。
もう1つ、前作を書いた14年前の高校野球では、今ほど科学的なトレーニングが取り入れられていませんでした。
当時は、コーチの経験則で練習する、これまでやってきた練習を続けるといったことが多く、理論的な整合性まではあまり突き詰められていなかったと思います。
そこで前作では、それに対するアンチテーゼやカウンターとして、「力学ではこうなる」「確率ではこうなる」という科学的な知見を持ち込む作り方ができました。元々科学的な知見がないところに、それを入れてみたら面白いのではないかという発想です。
ところが今回の自転車競技は、すでに科学的な考えが浸透しています。競技をしている人は、みんな科学的なトレーニングをしています。それに対するカウンターを打ち出しにくい。しかもロードレースもトラック競技も、野球ほど一般に知られていません。
まずルールを示し、そのルールの中で選手が何をしているのかを、エピソードも絡めて説明する。そのうえで、一風変わった戦略を積み上げていかなければなりません。その積み上げ方が、野球よりもややこしかったですね。
野球では、高校球児の精神論や根性論をイメージしやすい。それに対して、「自分たち進学校は練習時間がないのだから、もっと集中してこれだけやればいい」というギャップの面白さを出せます。自転車競技では、なかなかそれが出しにくい。その難しさがありました。
ーー野球も戦略的ですが、トレーニング方法などの面では、競技自転車の方が科学的な知見が進んでいるということですか。
【松尾】ロードレースは日本においてはマイナー競技ですが、ヨーロッパではメジャー競技。まさに日本における野球のような存在です。その分、研究が進んでいるので、トレーニングもどんどん進化しているんです。
ーーここからは、作品のもう1つの要素である「偏差値70」、子どもたちの受験や勉強についてお聞きします。『偏差値70の野球部』の発売から10年以上が経過していますが、世間の受験に対する常識や考え方が変化したと感じることはございますか?
【松尾】中学受験は増えたと思います。東京に住んでいるからということもありますが、知り合いや友人の子どもが中学受験をすると聞くことも多くなりました。
ーー今作では、主人公が物語の開始時点から塾に通い、親も教育熱心という設定です。そこにも時代の変化が反映されているのでしょうか。
【松尾】それもありますが、設定の整合性のためでもあります。
物語開始時点で主人公は小学生なのですが、小学生のころからロードバイクに乗れるような家庭は、経済的に恵まれています。
そして、それくらい経済力のある家庭なら、中学受験もさせるだろう、と...。
ーー言われてみれば、おっしゃる通りですね。
【松尾】自転車を題材にしたフィクション作品はたくさんありますが、そのような経済的な部分の描写は避けられているように思います。
「知り合いから自転車をもらったことがきっかけで始めた」という設定でもいいのですが、今回は大きなパッケージとして「偏差値70」がついています。
それなら、ある程度お金のある家庭にした方が自然だと思いました。
今回は一人称視点の作品なので、主人公自身は自分の家がお金持ちだとアピールしませんし、内面でもほとんど語りません。
ただ、周りの登場人物がそれを指摘します。本人はあまり気づいていないけれど、実は裕福な家庭なのだと伝わるようにしています。
裕福さを前面に出さずとも、読者が背景としてなんとなく理解してくれればよいと思っています。ある程度の格差が存在することは示しておくべきですし、その方が誠実だと思います。
ーー最後に、勉強と部活動などの両立についてお聞きします。早い時期から受験を意識する子どもが増えると、勉強と活動を両立することは、さらに大変になるのではないでしょうか。松尾さんのお考えや、作品の中で示したことがあれば教えてください。
【松尾】今は部活動自体がない学校も多いそうです。その場合、課外活動をしたい学生は地域のスポーツクラブなどで活動をしなければならない。
ところが地域のチームは選抜制で、入団テストがある場合もあるそうです。誰でも参加できるわけではない。受験とは別のところで、また競争させられているように感じます。
今の子どもたちは大変だと思います。限られた時間で、いくつもの競争にさらされるわけですから。前作の『偏差値70の野球部』も今回の『偏差値70の自転車競技部』も、「強豪校ほど練習時間がない」という設定を前提にしています。
ーー限られた練習時間の中でいかに頭を使って結果を出すかという点も、読み応えにつながりますね。
【松尾】そういうコンセプトのシリーズになっていると思います。
更新:09月04日 00:05