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「社債は借金」本質から考える、本質へ踏み込む、松下幸之助創業者の価値判断力を思い知らされた言葉の数々

川上徹也(元松下電器産業副社長)

「実践経営経理」

世界経済が今、揺れている。およそ半世紀前のオイルショックが想起される。その頃、松下幸之助は日々の経営にどうあたっていたのか。自身の若手時代の記憶の中にある、創業者の経営哲学について、語ってもらった。

※本稿は、川上徹也著『実践経営経理 君はまだ松下幸之助を知らない』(PHP新書)の内容を一部抜粋・再編集したものです。

 

オイルショック後、成長拡大期にみせた幸之助創業者の経営センス

もう半世紀も前の、1975年12月のことです。松下電器が、米国ドル建てで一億ドルの転換社債を発行したのですが、この際に米国の二大格付機関の会社から「AA」「Aa」という非常に高い評価を受けています。

その理由として3点が挙げられたといいます。一つは財務内容。次に業界に占める地位の高さ。そして最後に経営力だったそうですが、幸之助創業者はその評価に喜びつつも、ルイス・ランドボルグ(バンク・オブ・アメリカ元会長)との共著『日米・経営者の発想』の中でこう述べています。

「財務内容のよさとか業界における地位の高さとかは、あくまで結果にすぎず、それらを生み出す根源は経営力にあると思う」

2年前のオイルショックで日本全体が瞬間的なパニックに陥り、危機に陥る企業もあった時期のことです。

また、(当時、今でいうCFOの立場にあった)樋野正二さんによると、その後の79年、当時の国内金融市場では画期的な出来事として称賛されたという完全無担保転換社債の発行に際して、その適債基準を満たす企業といわれたのは、トヨタさんと松下電器だけだったといいます。

ただ、この時期の幸之助創業者が、社内の会合で発したとされている非公式の言葉を聞き及んで、私は「創業者らしさ」を感じつつ、畏敬の念を高めることになりました。

メインバンクの住友銀行(当時)で松下の社外取締役をつとめた方から伝えられている逸話ですが、その社債について「樋野君、高評価と言っているが、それは借金やろ」とコメントされたというのです。

社債や外債といったものは、換言すれば、確かに「借金」です。付帯する条件面での違いはあっても、借金であることには変わりはありません。

時局が激変した際の借金の怖さ、キャッシュがなくなるというリスクを、創業者は長年の経営体験により、肌感覚でわかっていたのでしょう。

そして、「商品は金と同じだ」という現場で叩き上げて身につけた幸之助創業者の商売観も今でも通用する考え方です。お金を生むもとにもなれば、お金を減らすもとにもなるという認識がその前提にあったと考えることができます。

世間の高い評価に浮かれ、有頂天になりかねない組織の雰囲気を引き締める意味もあったとは思いますが、それ以上に、お金に対する考え方、真剣味を共有する効果もあったはずです。そして幸之助創業者のいう「経営力」とは、時代の変化に適応していく力(そこに資金調達力も含まれる)でもあるということを、私は確信しています。

 

体験を通してこそ、仕事の本質がつかめる

ここでさらに時をさかのぼり、1960年代後半の、私の新人・若手社員時代の仕事のことを思い出してみます。

まず当時の松下電器のブランド名といえば、ナショナルです。専売の販売店は全国津々浦々にあり、ナショナルショップといいました。そのショップ店での販売実習を9月いっぱいで終えると、生産現場の実習として、電池事業本部の灯器事業部にいくことになりました。

ランプなどをつくるこの灯器事業は、二股ソケットと並んで、創業期からの伝統ある事業の一つですが、当時の灯器事業部は、自転車発電ランプと乾電池応用機器をつくっている小さな事業部でした。

プレス工場があり、そこで生産現場の社員と「孔(あな)あけ」の出来高を競争したとき、一日かけて私がつくった分がすべて不良だったという事件を起こしたこともありました。

ものづくりの奥深さを身をもって体験する中、組み立てラインにも入り、メッキ、蒸着などの大変な作業工程も体験しました。

この灯器事業部での実習を終えて、正式配属に向けた役員面談を経て、1966年3月、私は電池事業本部の乾電池事業部経理課に配属されました。そして、乾電池事業部の次の私の異動先は、灯器事業部でした。

最初は、創業期以来の事業である発電ランプ工場の経理担当になりました。工場全体の決算作業を担うのが仕事です。当時の灯器事業部には、製品群が全く違う工場が3つあり、経理も大変で、月次決算では毎回1、2日は徹夜する状況でした。

原価計算から、工程ごとの材料収支、製品収支など、やることはたくさんありましたが、その頃の発電ランプ工場は、慢性的に赤字の経営状態でした。それでも、新しく芳中實さんという方が工場長になり、収支の改善が進み始め、赤字解消までもう一歩というところまできていました。

 

正しい価値判断で、数字の向こうに一歩踏み込んでこそ

ある月次決算の日のこと、その芳中工場長から「決算の数字がまとまったら、どんなに夜遅くなってもいいから、家に電話をくれ」と言われました。ようやく決算作業を終え、「あと一歩でしたが、今月も残念ながら10万円の赤字でした」と報告すると、「家に帰らず、待っとけ」と命じられました。

決算の中身を縷々説明する中で、配賦費という項目に話が及ぶと、芳中さんは、「そこを見直せないか!」と言うのです。

間接部門の共通費用は一括で計上し、一定の基準で現場に比例配分していて、これを配賦費と呼ぶのですが、その配分比率を変更できないかということでした。

私は即座に「それはできません」と答えました。現代の高度にシステム化された経理であれば、正解を言っているのは芳中さんでなく私のほうです。

しかしよく考えると、配賦費の基準はもともと正確無比なものではなく、形式的に分けている面もあって、完全なる合理性が貫かれた数値ではないのです。

そこで、上司の主任とともに徹夜をしてその基準を見直したところ、なんと工場の決算は30万円の黒字になったのです。経営の観点から見た数字の本質に触れる経験でもありました。

私はこの時期、決算数字が改善するたびに事業部内が活気づいていったのを目の当たりにしました。

決算は社員の汗の結晶であることを再確認するとともに、数字への視点を変えるだけで、違う決算ができるという貴重な体験を学び得たばかりか、仲間と目標達成の喜びをわかち合うこともできたのです。

 

製品から商品へ――幸之助創業者の鋭い質問と言葉の数々

若くして事業部長になられた芳中さんとは、こんな思い出もあります。私はかばん持ちのような形で同道し、とうとう幸之助創業者と直接会う機会を得ました。それは、夜釣りをするときに光る「電池浮き」の新製品を持っていったときです。

芳中さんがその特長などを幸之助創業者に説明すると、創業者は、電池浮きの部位を一つひとつ手にとって、「この部品の原価はなんぼや」「重さは何匁や」「材質は何や」と矢継ぎ早に質問されたのです。

芳中さんも内心は冷や汗ものだったかもしれませんが、てきぱきと回答をしていました。この新製品がお客様に本当に喜ばれ、世の中の役に立てる商品になれるか――。製品から商品へと移行するための最終確認のように思えました。

「商品が語りかけてくる」とか、工場の作業場には「正しい雑音」や「不良品ができている雑音」があってそれがわからないようではいけないといった言葉も、幸之助創業者は残しています。

製品づくりと商品づくりに対する正しい価値判断ができるかどうか―。幸之助創業者に学ぶべき基本的かつ最重要の視点だと私には思えてならないのです。

例えば、「原価」という数字についていえば、その裏や奥にも、様々な人の汗があるわけです。ですから、私はその「原価」が成果へとつながるように、決して「幻価(げんか)」にしてはならないように、経理が「事前に」「厳密に」管理することの必要性をよく説いていました。

原価が成果に結びつくように、目を光らせる。そのいわば直接部門をアシストする影働きこそ、間接部門である経理(経営経理)の仕事の根幹的なものであり、また、そこに仕事の醍醐味があると私は思うのです。

プロフィール

川上徹也(かわかみ・てつや)

元松下電器産業副社長

1941年、広島県生まれ。65年、松下電器産業(現パナソニック ホールディングス)に入社。2000年に経理担当取締役となり、そののち常務、専務、副社長をつとめた。07年より同社松下経理大学学長、12年より同社客員。(公財)松下幸之助記念志財団監事などを歴任し、現在は、一橋大学CFO教育研究センター講師、日本証券業協会委員、日本CFO協会相談役、関西経済連合会評議員、(公財)松下社会科学振興財団評議員会会長をつとめる。

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