
「部下のじゃまをしない」など心惹かれる言葉を多く残した松下幸之助。この創業者によって育まれた企業文化の中で、ある時期に活躍した一人の女性社員の仕事ぶりに、川上氏が学び得たことを、振り返ってもらった。
※本稿は、川上徹也著『実践経営経理 君はまだ松下幸之助を知らない』(PHP新書)の内容を一部抜粋・再編集したものです。
私が長く所属した松下電器(現パナソニック ホールディングス)の経理部門には、優れた能力を発揮する先輩が多くいましたが、新しい「学び」を得るのは、なにもそうした先輩からだけではありませんでした。他部門の、しかも後輩社員に学ぶこともあったのです。(※注)
その一人で、日本がジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、多くの日本企業が世界から求められつつも脅威とされた時代に、米国有力企業との難しい交渉に直接あたってくれた人がいました。
弱電メーカーの松下電器が、映画ソフト業界に乗り出すための巨大な挑戦をしたプロジェクトチームの一人でした。斎藤純子さんといいます。
当時、ライバル企業だったソニーさんは映画産業だけでなく、今は他のソフト業界でも大きな影響力を及ぼしている存在ですが、松下電器も、結果として失敗に終わったとはいえ、その新規事業への投資に取り組んでいたのです。1990年の米国のMCA社(当時)の買収はその成果の一つでした。
約8000億円(当時)の買収劇でしたから、世間でも広く知られた案件で、30代だった彼女は、重責を担う役職者ではありませんでしたが、米国MCA社の経営幹部に絶大な信頼を得ることになりました。
一個人として、映画産業や音楽業界への精通と愛情があって、そのうえで卓越した語学力と交渉力が、その良好な人間関係を構築する根底にありました。担当役員の名で提出する親書も彼女が作成すると明らかに先方幹部の反応が違ったそうです。
※注:松下幸之助の「部下から学ぶ」ことについての考えは、『松下幸之助発言集28』(1973年の発言)では以下のように示されている。
≪部下は自分より技術が下だ、だから部下に求めても成長しないだろうと思ったらたいへんな間違いである。半分は先輩から教えてもらう、半分は部下から教えてもらう。その二つの教えを自分が消化をして、みずからそこにものを求めていく、ものをつくりあげていく、わが腕にする、わが技術にするということがなくてはいけないと思うのであります。≫
しかしながら彼女は、残念にもその事業を軌道にのせる前に、ガンが見つかり、やがて永眠してしまいます。
切迫した健康状況もあったからか、彼女は「危機感」が強く、彼女のノートをいくつか大事に保管していますが、当時の松下が「他社と比較して評価されるものといえば、販売力と資金力・財務体質ぐらい」だとも書いています。
熱意の源泉は、愛情からもあれば、危機感からもある。ときには、ほどよい嫉妬心でもよいのでしょう。嫉妬心は程よく狐色に焼くとよい、という幸之助創業者の言葉は言い得て妙なものだと思います。
その後、この事業自体は、米ユニバーサル映画を傘下に抱えて、『ジュラシック・パーク』などが大ヒットしましたが、その後の業績が伸び悩み、経営陣同士の方針もうまくかみ合わなかったことなどもあって、残念なことに、1995年には、カナダのシーグラム社に、松下から80%の資本を譲渡したことで撤退の道に進むことになりました。
彼女のような存在が多くいたなら、現在のパナソニックグループが、ソフト産業やエンターテインメント産業でも......などと今も夢を見ることもあります。
交渉や提携とその後の経営がうまくいくには、会社全体の各部門の総合力が必要になりますから、軽々に言うべきことではないのですが。
のちの2000年代、松下電器がかつてない経営危機に襲われ、私自身もCFOとして改革にあたることになった際も、この悔恨を忘れることはありませんでした。
誰にも負けない、最高の熱意があるか―幸之助創業者は、課や部の責任者にそのように問いかけていたようです。それが、簡潔で明快な、成功の秘訣であり絶対的な前提条件であるということでしょう。
今の時代は、役職に関係なく、そのチームの中で最も優れた人が、ある仕事ではリーダーとなり、役職者がフォロワーになる手法をとっても、さほど違和感はないはずです。要はよい結果をもたらせばいいのですから。
ただ、その「優れた」の要件の中の「熱意」という簡単には測り知れないものの有無が、仕事の成果を左右することになるのです。
国際契約部で働いた彼女(斎藤さん)の仕事の進め方で、よい面の一つを挙げると、一つの提案をするにおいても、「WEとI」を常に言える人だったということでした。
「私はこう思う。そして私たちはこう思い、こうして実現をしていきたい」と、仕事の話を、WEで言う。そこに個人的にはこう思うというIによる下支えがあると、仕事の力強さはいっそう増すのです。そもそも、そんな熱意に満ちた言葉を持つ人を、信頼しない人などいないのではないでしょうか。
また彼女の活躍は、米国の映画業界の有力者とエモーション(感動や情緒、気分)が合ったからだという話も聞きました。確かにエモーションが合う人とは、仕事はうまくいくように思います。私も外部の方との交渉でそうした経験は幾度もあります。
ビジネスにはやはり、「和」が必要です。ただ、それは、馴れ合いとは似て非なるものです。対立があって調和するという意味での「和」です。そして、IをWEに重ね合わせ、自らの仕事の中で調和させていくには、やはり熱意が必要です。
外部との交渉だけでなく、社内においても、プロジェクト組織の方針をつくりあげ、他人に伝え、理解し協力してもらうための熱意が欠かせません。例えば彼女は、ハリウッドビジネスの本質をよく知るには何を見るとよいかを考え、そうした素材を紹介し、関心を深めてもらうきっかけづくりにも挑んでいました。
人は、交渉相手と同じ土壌でものを考えることができるようになると、タフな交渉もできるようになるものです。そうした「WE」の変革への貢献は、一社員の立場でも、熱意しだいで可能になるのです。
こうした非常に優秀な社員は、自らを律し、練磨していく能力があり、放っておいても、すくすく成長していくものです。
「部下のじゃまをしない」という幸之助創業者の語録もありますが、じゃまさえしなければ、活躍し成長できる人材です。
また、斎藤さんは「たとえ明日世界が終わりになろうとも、私はリンゴの木を植える」という有名な言葉も好きだったようですが、この言葉は、幸之助創業者のことを想起させてくれます。
幸之助創業者は、ある時、有名な禅僧と興味深い対話をしています。まず禅宗の将来はどうなるかと創業者が尋ねると、「そら自然消滅ですな」とその禅僧は答えます。「すべてに寿命があるから、時がくれば禅宗も消滅する」と。
幸之助創業者はまだ血気盛んな時代だったのでしょう。それなら、懸命に布教し、説教をしても仕方ないではないかと聞き直しています。禅僧は、「いやそんなことはない。寿命が尽きる瞬間まで私は禅宗で生きる。それが私のつとめだから......」と返します。
そこで、松下電器もいつかはつぶれることになるとの論理を消化吸収したようで、創業者は「大いに得るところがありました」「その坊さんを偉いと思う」と述べます。
さらには「お互い、人間としてはいずれは必ず死ぬ。だけど、死ぬ瞬間までは、永遠に生きるようなつもりでベストを尽くす。ということには意義がありますね」とも禅僧に語ったというのです。
結局のところ、人生や仕事というものを突き詰めて考えていくと、表現は違えども、同じようなところに行きついていくのだと思います。
更新:05月03日 00:05