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斎藤佑樹が語る「ライバルへの率直な思い」 あの夏の甲子園から感じる使命とは

2025年12月05日 公開

斎藤佑樹(元プロ野球選手・経営者)

北海道・長沼町に手づくりの野球場「はらっぱスタジアム」を建設した斎藤佑樹氏。引退後に経営者として歩み始め、自ら手を動かして球場づくりに取り組んできた。本稿では、この球場づくりの過程で新たに事業を立ち上げた背景、田中将大投手のプロ通算200勝達成に寄せる率直な思い、そして未来への展望について話を聞いた。

(取材・構成:村尾信一、写真撮影:大道貴司)

※本稿は、『THE21』2026年1月号 [特別編集長 斎藤佑樹] の内容を一部抜粋・再編集したものです。

 

一つひとつやっていくか 同時並行で複数やるか

はらっぱスタジアム
はらっぱスタジアム

――野球場づくりを通じて、斎藤さんご自身が、もっと学びたいと思ったことはありますか?

【斎藤】すべてですね(笑)。野球以外のことをとにかく知りたいです。農作とか、建築のこととか、そういうことに興味が湧きました。あとはデザインですね。こういうトータルのデザインにすることで、人は心地良く快適に過ごせるといった、全体のマネジメントです。

それと野球場づくりにかかわるすべての人を巻き込むチームビルディングというのでしょうか。そういうことをもっと学ばなければならないと感じました。今後もそういう出会いがあると嬉しいなと思います。

――野球場づくりの過程で、「斎藤green」という新しい事業も立ち上げられました。そうした行動力はどこからくるものなのですか?

【斎藤】僕は立ち止まるのが苦手です。何かを達成したら、その次にまた、何かをやってみたいと......。色んな方たちとお会いする中で、アイデアをいただいたり、自分でも色んな発想が浮かんだりしています。本来なら一つの事業がちゃんと終わってから、次の事業にいくべきだと考える人もいると思います。一方で、タイミングも逃したらいけないという思いもあります。

僕が出会った経営者には、二通りのタイプの人がいました。一つは「自分の軸となるビジネスをしっかり伸ばしなさい」という人。もう一つは、「色んなものを同時並行でやりなさい。今はそういう時代だ」という人です。
この二通りは、どっちも理解できるし共感できます。一つのビジネスをきちっとコンプリートすることで会社の信頼性は上がりますし、「この人は最後までやり切る人だ」と、経営者として信頼してもらえます。

一方で、事業には「始めるならここしかない」というタイミングもあります。「今は一つの事業に集中しているから、新しいことは始められない......」と言っていたら、機を逸してしまうこともあり得るんです。

以上のような二つの考え。そのどちらに進むべきか考えた結果、僕の結論は、「複数の事業を、どっちもちゃんとやる!」です。

「斎藤green」は、幼稚園、保育園などの園庭や、スポーツのグラウンドを芝生化していこうという事業。国立競技場の芝を管理している(株)オフィスショウさんと業務提携を結び、建物の設計やデザインをしながら、色々な開発に携わろうと計画しています。「はらっぱスタジアム」のコンセプトは緑を取り入れて、それを世界に広げていこうというものです。グリーンソリューション事業を展開していきたいと考えています。

――壮大な計画ですね。この寒い北海道で芝生化計画に成功したら、全国どこでも成功しそうです。

【斎藤】そうなんです。世の中には、寒い中でも、冬にでも、育つ緑があります。その土地にあった緑を選んで育てれば、不可能ではありません。どんな芝生が適しているか、ChatGPTに聞きながら、調べていますよ。

――今どきでいいですね。

【斎藤】先日もAIで画像と資料をつくって、プレゼンしました。僕がどんなに頑張っても、上手にパースは描けませんし、外注したらお金が掛かります。AIを使えば、安く、早く、それなりのクオリティのものはできますからね。

はらっぱスタジアム

 

ライバル・同世代への率直な思いと今後の夢

――これも聞いてみたいと思っていたのですが、9月30日、田中将大投手がプロ通算200勝を達成されました。

【斎藤】僕たちの世代で、あれだけのプレーヤーとして、第一線を走っています。それに、この時代には達成するのが難しいと言われている200勝という大記録です。それを37歳という年齢で達成したことは、やっぱりすごいなと思います。

と同時に、これを通過点と捉えて、これからも250勝、300勝を目指してほしいなと思います。

2006年のあの夏、僕たちの決勝戦がきっかけで、野球に興味を持ってくれた子どもたちが一定数いたと思います。だからこそ、僕たちには次の世代にバトンを渡していく使命があると思うんです。いずれ引退した後、その想いを強く持って、メッセージを発信してくれる第一人者でいてほしいなと思います。

――いつの日か、田中投手が引退したら、ここでまた、二人が投げ合うシーンを見たいです。

【斎藤】いつか来てくれたら嬉しいですよね。

――最後に今後の夢を聞かせてください。

【斎藤】僕はこの野球場をつくっているとき、ここを子どもたちの聖地にしたいと思いました。アメリカで観たリトルリーグのワールドシリーズ。世界中から5万人が集まって、子どもたちのプレーに一喜一憂する。それってすごく素敵なことだなと。そこでプレーした子どもたちがその思い出を持って、大人になっていきます。だとしたら、きっと野球を好きなままでいてくれるはずです。僕は「はらっぱスタジアム」をそんな場所にしたいと思っています。

そのプロセスをYouTubeで発信することによって、「野球場ってこうやってつくるんだ」「意外と簡単につくれそうじゃん」と思ってくれたら、全国に同志が増えるはずです。そうなったら、手づくり野球場においてなら僕は、アドバイスできる立ち位置にいます。そういう野球場が一つでも多くつくられて、子どもたちが思う存分野球ができる環境が増えたら......。それはきっと、野球界への恩返しになると思っています。

 

著者紹介

斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)

元プロ野球選手・経営者

1988年生まれ、群馬県出身。早稲田実業のエースとして2006年夏の甲子園で全国制覇を果たし、「ハンカチ王子」として一躍脚光を浴びる。早稲田大学進学後も、東京六大学リーグ史上初となる1年春でのベストナイン(投手)など数々の栄冠を獲得し、10年には4球団競合のドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。入団2年目には開幕投手も務めた。21年に現役を引退し、株式会社斎藤佑樹を設立する。現在、「野球未来づくり」をビジョンに掲げ、子どもたちのための野球場「はらっぱスタジアム」の建設など、精力的に活動している。

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