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「出られないのが怖かった」鳥谷敬が“1939試合連続出場”できた意外な秘訣

2023年01月31日 公開

鳥谷敬(野球解説者・コーチ)

鳥谷敬 メンタル
写真撮影:まるやゆういち

歴代2位の1,939試合連続出場をはじめ、阪神タイガース不動の遊撃手(ショート)として輝かしい実績を残した鳥谷敬氏。シビアなプロの世界で長年安定した成績を残し、40歳まで「遊撃手」としてプレーできた理由とは? それを可能にした心身の整え方や、今後の展望について取材した。

※本稿は、『THE21』2023年2月号掲載の「私の原動力」より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「野球は仕事」と割り切る潔さ

プロとして過ごした18年間、モチベーションの源になっていたのは「野球は仕事」という考え方でした。ただ「野球が好き」なだけでは、そんなに長く現役でいられなかったと思います。「仕事」と思えばこそ、日々努力を重ねることができたんです。

こうした意識を明確に持つようになったのは、大学時代のこと。当時の早稲田は、同級生に青木宣親(現・スワローズ)、一つ先輩にも和田毅さん(現・ホークス)などなど、将来有望な選手が何人もひしめく環境でした。リーグの首位打者すら、私も含むチーム内の有力選手数人で争っていたような状況です。

そういう環境にいると、次第に「このくらいの成績を出せばプロになれる」というラインが見えてきます。すると自然に、じゃあそのラインに自分も達するにはどうするか──そればかり考えるようになったんです。

それ以降は、ひたすら打率や盗塁数といった数字に追われる日々。目標が、「勝利」から「個人成績の向上」へ移行したかたちです。同時に「野球が好き」という感覚も希薄になり、結果を迫られる「キツさ」を四六時中感じる日々になりました。

でも、やめようと思ったことはありません。当時、頭の中は「プロになる」ことばかり。プロにならないという考えがまるで浮かびませんでした。

仕事と割り切ることができれば、プロの世界はシビアな代わりに、成功したとき得られる報酬が莫大です。逆に、もし普通に就職してもプロ選手と同等の報酬を得られるのなら、きっとどこかで野球をやめていたと思います(笑)。

 

まずは、身体と向き合うことから

2004年、無事に阪神へ入団すると、これまで以上に「成績」の重みが増しました。打席に立ち、守備につき、結果から課題を設定。そして改善策を講じ、入念な準備をして再び球場へ。それを繰り返す毎日です。

不調時の試行錯誤はもちろん、プロでは好調時にもさらなる高みを目指して努力していく必要があります。さらには、相手もこちらを日夜研究してきますから、同じことをしていたら必ず成績が下がってしまう。良い数字を「維持」するには、常に成長し続けねばならないのです。

また、年齢と共に変化する身体への対応も欠かせません。代謝の低下を見越して、若いうちからグルテンフリーや糖質制限など様々なやり方を試し、自分に合った身体の絞り方を調べ尽くしました。

30代以降も「体重80~82㎏/体脂肪率10~12%」という自分の理想を維持できたのは、確実にこの「先回り」の成果です。先々のために、今できることをする。それが私のやり方でした。

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