2025年12月05日 公開
2025年12月05日 更新

引退後の斎藤佑樹氏は、北海道・長沼町に野球場「はらっぱスタジアム」を建設した。どぶさらいから芝の整備まで、自ら手を動かして形にした球場である。会社を立ち上げ、経営者としての道を歩み始めた斎藤氏は、なぜこの球場づくりに取り組んだのか。その原動力と挑戦の背景を聞いた。(取材・構成:村尾信一、写真撮影:大道貴司)
※本稿は、『THE21』2026年1月号 [特別編集長 斎藤佑樹] の内容を一部抜粋・再編集したものです。
――本日は「はらっぱスタジアム」までお招きいただき、ありがとうございます。
今回、『THE21』の特別編集長をお受けいただきましたが、斎藤さんが引退後、どのようなキャリアを歩まれてきたか知らない読者も多いと思います。まずは、引退されてからの簡単な経緯をお伺いしてもよいでしょうか。
【斎藤】はい。2021年にプロ野球選手を引退してから、自身のマネジメント会社である「株式会社斎藤佑樹」を設立しました。その後は、「newsevery.」や「熱闘甲子園」を中心にメディア出演をする一方、様々な事業に挑戦しています。
――会社を設立されたということは、タレント業だけでなく、社長業もされているということですよね?
【斎藤】そうですね。少数ではありますが社員も抱えていますから、その代表としても頑張らなければいけません。
――事業内容についても色々お伺いしたいのですが、最も注目を集めたのが、この野球場「はらっぱスタジアム」の建設ですよね。
【斎藤】自分のYouTubeチャンネルで手づくりでの建設の様子を発信していたこともあって、多くの人たちに関心をもっていただきました。球場のどぶさらいから自力で頑張った甲斐がありましたよ(笑)。
――はらっぱスタジアムについては、後ほどたっぷり、お聞かせください。さて、今回『THE21』26年1月号の特別編集長に就任されましたが、なぜこの依頼をお受けいただけたのでしょうか?
【斎藤】僕にとって、学びが得られると考えたからです。先ほども言いましたが、現在は社員を抱える経営者として、様々な事業に挑戦しています。
プロ野球選手としては11年プレーしましたが、経営者としてはまだまだ新米。組織運営から事業展開まで、学ばなければならないことがたくさんあります。
ビジネス誌として多くのビジネスパーソンに有益な情報を提供している『THE21』さんとご一緒することで、成長できるのではと期待しています。このインタビューのあとにも、いくつかの対談企画が控えていますが、そちらも非常に楽しみです。

はらっぱスタジアム
――「はらっぱスタジアム」は、実際に訪れてみると、緑の芝が鮮やかな素晴らしい野球場ですね。外野にある木のフェンス。映画『フィールド・オブ・ドリームス』を連想させる木のベンチ。メジャーリーグ、シカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドのようなレンガづくりのバックネット。周辺の緑もそうですが、随所のディテールに、斎藤さんのこだわりが感じられます。途上ではあるでしょうが、ここに至るまでは色々なことがあったと思います。ここまでの感想を聞かせていただけますか。
【斎藤】本当に多くの人の力を借りながら、自分がつくりたいと思った夢の野球場をつくり続けています。ひとまず、選手がプレーできるところまでこぎ着けられたという嬉しさと、この場所をつくって人の賑わいができたことは本当に良かったなと、たくさんの想いが溢れてきますね。
「こういう野球場をつくりたい」と構想を膨らませていたときよりも、実際につくってからのほうが、圧倒的に想いが広がりました。今では野球以外にも、色々なアクティビティに活用するアイデアが浮かんできています。地元の人たちに運動会の会場として利用してもらったり、地域密着にも貢献したいですね。こんなことを考えるようになったのも、実際に球場をつくってみたからだと思います。
――先日、斎藤さん率いる早稲田実業OBと駒大苫小牧OBが、この球場で「あの夏の再戦」を行ない、話題になりましたね。
【斎藤】あの試合も、本来であれば企画が持ち上がったところで、「でも、どこで試合するの?」となるはずです。「はらっぱスタジアム」があるからこそ、実現した試合だったと思います。
――7回制の試合で、斎藤さんは110球完投。まだまだ、現役でもいけそうですね。
【斎藤】いやいや、とんでもないです。僕だけじゃなく、皆37歳ですからね。だから何とか抑えられました(笑)。
――野球場のサイズが、少年野球用だから、ちょうど良かったかもしれませんね?
【斎藤】試合では、内野だけ大人用のサイズにアレンジしました。外野はちょうど良かったですね。実際、ホームランは4本出ました。外野が大人用のサイズだと、ホームランも出なかったと思いますし、外野手は走らなければならないので、大変だったでしょうね。
――でも、こうして見ると、決して狭いとは感じませんね。
【斎藤】そうですね。外野の後ろの景色が抜けているので、広く感じるんだと思います。実際は、外野手が守備に付くと、子ども用のサイズだとわかります。

――球場をこれから運営していくにあたって、採算をとらなければならないわけですから、ビジネス的な観点も必要ですよね。
【斎藤】そうですね。今後、そこをどう運用していこうかという問題があります。
この球場の本来のコンセプトが、「子どもでもホームランを打てる球場」なので、子どもたちに使ってもらうのが主目的ですが、子どもからはお金を取りたくありません。となると、ここの維持管理をどうやっていこうか、という現実的な問題があります。そのあたりを今、一生懸命、練り上げているところです。
――その他の課題としては、どういったことがありますか?
【斎藤】この場所をどう盛り上げ、PRしていくかは重要な課題です。野球場運営ということで、日々どうやって、それを活発に行なっていくか、大いに課題感を持っています。
あとはこの野球場全体のデザインですね。一個一個のパーツのトーン&マナーが崩れてしまうと、統一感がなくなってしまう。「はらっぱスタジアム」という名前を決めた以上、このはらっぱという世界観に色んなものをつなげていきたいと考えています。ただ、オシャレというだけでなく、人の導線などを考えながら、コミュニティが生まれやすい場所にしたいと思います。
――名作映画『フィールド・オブ・ドリームス』に通じる世界観を感じました。
【斎藤】そうですね。本当なら、外野の向こうに、映画さながらのとうもろこし畑をつくりたかったんです。だけど、そうすると外野裏の導線が難しくなるので、畑は別のスペースにつくりました。
――デザインやレイアウトについてはプロの知見も必要になってきますね。
【斎藤】そう、おっしゃる通りです。
――斎藤さんの中で、「はらっぱスタジアムをこういう場所にしたい」という最終的な目標はありますか?
【斎藤】この球場がある、長沼町の皆さんにとっての誇りとなるような球場にしたいですね。
先日、エスコンフィールドHOKKAIDOの生みの親である前沢賢さん((株)ファイターズスポーツ&エンターテイメント常務取締役開発本部長)とお話しさせていただく機会がありました。23年に北海道北広島市に開場したエスコンフィールドですが、今では地元の人たちが、道外のお客さんに「俺たちの地元にはこんなにすごいエスコンフィールドという野球場があるんだぜ」って自慢をしているんだそうです。その話をしているときの前沢さんがすごく嬉しそうでした。
それを聞いて、「こういうことだな!」と思ったんです。「はらっぱスタジアム」も僕だけでつくっていると思われがちですけど、参画いただいた企業の方々や、近所の方たち、本当に多くの人の協力でなりたっているものです。そんなスタジアム建設にかかわってくださった方々を含め、地元の皆さんが「長沼にこんな野球場ができたんだぜ。ちょっと遊びに来いよ」って、道外の人に自慢してくれたら最高ですね。
――斎藤さんの野球場ではなく、長沼町の人たちが、「僕たちのはらっぱスタジアム!」と言ってくれることですね。
【斎藤】本当にそう思います。
更新:12月06日 00:05