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「どうせ変わらない」は錯覚? 『資本主義リアリズム』が暴く見えない壁【書評】

2026年05月12日 公開

大村壮太(作家)

資本主義リアリズム

日々、多忙なビジネスパーソン。限られた時間の中で、いかに効率良く知識や教養を身につけるかは、常に頭を悩ませる問題だろう。本連載では、そんな悩みを抱えるビジネスパーソンに、スキル向上に役立つ書籍を厳選してご紹介する。今回は、マーク・フィッシャー著 『資本主義リアリズム』(堀之内出版)を取り上げる。

 

『資本主義リアリズム』

資本主義リアリズム

「どうせ変わらない」「これが現実だ」――。日々の業務や社会の動きに対し、漠然とした閉塞感や諦めを抱くことはないだろうか。まるで、今の仕組み(資本主義)が唯一絶対の現実で、それ以外の可能性を考えることすら無意味に思えるような感覚。もし、そんな思いに少しでも心当たりがあるなら、マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』は、思考を揺さぶり、新たな視点を与える一冊となるだろう。

本書は、2017年に惜しくも世を去った英国の批評家マーク・フィッシャーの代表作である。彼が提唱する「資本主義リアリズム」とは、まさに冒頭で触れたような感覚、すなわち「資本主義が唯一存続可能な政治・経済システムであるだけでなく、今やそれに対する代替案を想像することすら不可能だ」という意識が、社会全体に蔓延している状態を指す。

フィッシャーはこの「リアリズム」が単なる経済体制の話ではなく、私たちの働き方、文化、教育、さらには精神状態にまで深く浸透し、思考や行動を縛る「見えざる結界」や「雰囲気」として作用していると鋭く指摘する。有名な「資本主義の終わりを想像するより、世界の終わりを想像する方がたやすい」という言葉は、この状況を象徴的に表している。

本書は、現代のビジネス環境や組織が抱える様々な問題の根源を理解する上で、多くの示唆を与える。特に注目すべきは、フィッシャーが「再帰的無能感(reflexiveimpotence)」と呼ぶ感覚だ。これは、問題の存在を認識していながらも、「どうせ何も変えられない」と感じてしまう無力感を指す。

日々の業務改善が進まないことへの苛立ち、社会が抱える大きな課題(例えば環境問題)に対する諦め。こうした感覚は、単なる個人の性格や能力の問題ではなく、資本主義リアリズムという「雰囲気」がもたらす構造的な病理ではないだろうか。

近年、メンタルヘルスの問題が社会的な関心を集めている。フィッシャーは、この「メンタルヘルス禍」と資本主義システムとの間に深い繋がりがあると喝破する。過剰な競争、不安定な雇用、絶え間ない自己変革への圧力は、人々の精神を蝕む。

しかし、資本主義リアリズムの下では、これらの問題は個人の弱さや脳内の化学的不均衡の問題として矮小化され、「自己責任」として処理されがちだ。フィッシャーは、こうした精神疾患の脱政治化に強く異議を唱える。

メンタルヘルスや、同様に深刻化する環境問題は、単なる外部コストや個人的な悲劇ではなく、利益追求と無限成長を前提とする資本主義システムそのものが内包する限界や矛盾の表れではないのか? 本書は、そうした根本的な問いを突きつける。

さらにフィッシャーは、新自由主義的な思考様式がもたらす弊害にも鋭く切り込む。あらゆる活動を計測可能な指標(KPI)に還元し、効率性やパフォーマンスを数値で管理しようとする現代の風潮。彼はこれを「市場スターリニズム」と呼び、その欺瞞性を暴く。

目標達成や監査のための書類作成に忙殺され、本来の目的が見失われる。見栄えの良い報告書やPR活動ばかりが重視され、実質的な価値がないがしろにされる。これは、単なる非効率の問題ではない。

あらゆる価値をビジネスの論理で捉えようとする「ビジネス・オントロジー」が蔓延し、数値化できない価値や人間的な営みが切り捨てられていく。この「すべてを計測可能にする」という思想は、一見合理的で客観的に見えるが、実は現実の複雑さや豊かさを削ぎ落とし、システム自体を脆弱にする、破綻した思想ではないだろうか。

本書は、現状を打破するための具体的な処方箋や、明確な代替案を提示するものではない。むしろ、その診断の鋭さゆえに、読後、ある種の暗さや無力感を感じる人もいるだろう。

しかし、本書を読む最大の意義は、私たちが無意識のうちに囚われている「資本主義リアリズム」という名の「思い込み」の存在に気づかせてくれる点にある。

現状を「変えられない現実(リアル)」として受け入れるのではなく、それが特定の歴史的・社会的な条件下で構築された「現実主義(リアリズム)」、つまり一種のイデオロギーであり、信仰に近いものであることを見抜くこと。それこそが、思考停止から脱却し、新たな可能性――たとえそれが今は「かすかな光」であっても――を探るための第一歩となるはずだ。

フィッシャー自身も、決して諦めていたわけではなかった。彼は、資本主義が生み出しつつも満たせない人々の欲望に着目し、そこからオルタナティブな社会(「ポスト資本主義」)を構想しようと試みた。

『資本主義リアリズム』は、決して楽観的な本ではない。しかし、私たちが生きる現代社会の「空気」を的確に言語化し、その構造を理解するための強力なツールを提供してくれる。日々の仕事の意味、組織のあり方、そして社会全体の未来について、深く考えさせられる一冊だ。現状に疑問を感じつつも、その正体を見極められずにいるビジネスパーソンにとって、必読の書と言えるだろう。

本書を手に取り、「他に道はないのか?」という問いを、改めて自身に投げかけてみてはどうだろうか。

 

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