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休まない人は怠惰である 佐藤優が説く、人生の成果を最大化する2つの「養」

佐藤優(作家)

佐藤優氏は、人間にとって余暇は休息以上の意味を持つ「重要な時間」だと説く

「休むのは時間がもったいない」「仕事をしていないと落ち着かない」ーー休むことに対して罪悪感を抱いたり、「怠けている」とネガティブなイメージを持つ人も少なくないのではないだろうか。しかし、古代ギリシャや神学の思想をひも解けば、余暇こそが真理に近づき、人間にとって本質的で重要な時間なのだという。
なぜ、一流の仕事ほど「区切り」が必要なのか。知の巨人・佐藤優氏が、人生を豊かにする「休養」の価値を解き明かす。

※本稿は、佐藤優著『残された時間の使い方』(クロスメディア・パブリッシング)より一部抜粋・編集したものです。

 

振り返りがあってこそ、働いた時間に意味づけできる

本稿では、人生の残りの時間を有意義に使うためのポイントをお話ししていきましょう。結論から言うと、「休養」と「教養」の2つの「養」がカギを握るという話になります。

とはいえ、いきなり2つの「養」と言われてもピンとこないかもしれません。時間を有効に使うといいながら「休養」していては本末転倒ではないか。さらに、「教養」を身につけるには時間がかかるし、それが果たして有意義な時間の使い方と言えるのか...。

この忙しい時代に、どちらもかえって時間をムダにするだけだ。そう考える人も多いのではないでしょうか。
とくに「休養」については、休みをたくさん取るのは怠惰だと考える人が少なからずいます。何もしないで休んでいると落ち着かない、いわゆるワーカーホリックのような人もいるでしょう。

実を言うと、私自身その兆候があります。休みは重要だと考えますが、実際はほとんど休んだことがありません。

ただ、私の仕事は日々刻々と変化する世界情勢に対応しなければならず、物書きとして1日でも筆を取らないと、明らかに次の日にはその感覚が鈍ってしまうという特殊な事情があります。
いずれにしても、私は「休養」と「教養」の2つが、時間をうまく活用し、成果を上げる上でポイントになると考えます。

では、「休養」の意味と大切さから説明していきましょう。

ユダヤ教とキリスト教の経典である旧約聖書(あくまでもキリスト教からの呼称であり、ユダヤ教自体は「聖書」と称する)の「創成記」では、神が7日間でこの世界を作ったと記されています。

正確に言うと、初日に光を生み出して昼夜を分け、2日目に天を創り、3日目に地上と海を創り、植物を茂らせた。
4日目に太陽と月とその他の天体を創り、5日目に海や空の生物である魚や鳥を創り、6日目に地上の生物である動物や人間を創造したとされます。
そして最後の7日目に自分の仕事に満足し、休息したと記されています。

このことから7日目を「安息日」として、ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日は働いてはいけない日ということになっています。
この最後の休息こそが、大きな意味を持っているのです。

ちなみに旧約聖書を読むと、神は1日ごとに自分の仕事の成果に対して、「良しと言われた」とされています。
1日ごとに自分の仕事を振り返り、満足しているわけです。

その上で、最後の7日目にはしっかりと休んでいます。聖書にはとくに書かれていませんが、おそらく神は休むことで自らの仕事全体を振り返り、天地創造という仕事に大きな満足を感じ、納得したに違いありません。
振り返りの時間があってこそ、初めて働いた時間を意味づけし、価値づけすることができるといえるのではないでしょうか。

休みとは、単に体を休めたり、レジャーを楽しむためのものではありません。
1週間の仕事を振り返り、納得し、満足するためにある時間だということです。

 

働くことが「逃げ」になっていないか

ドイツの哲学者、カトリック思想家のヨゼフ・ピーパーという人が、第二次大戦直後、『余暇と祝祭』という本を書いています。戦後復興で休みなく働くドイツの人たちに向けて、休むことの意義と重要性を説きました。

休むことによってリフレッシュができ、新たにエネルギーを蓄えるという意味もありますが、ピーパー曰く、要するに時間に切れ目がないと見直しをしなくなるというのです。
天地創造で、神が7日目に休んだ話と同じです。

区切りがあるからこそ、私たちは様々なことを振り返り、整理することができます。反省点や改善点が浮かび上がり、新たな課題が見えてくる。それが次の仕事のヒントやエネルギーになるのです。

今でも私たちは1年の終わりの大みそかに、1年を振り返り、年が明けると初詣や書初めなどをして新年への新たな心構えや目標などを意識します。それによって新たなスタートの力の源にするのです。

ピーパーが言うのは、無目的に仕事に没入してしまうことの弊害です 。問題意識もなく、目標や課題もなく、ただ与えられた仕事をこなすことで終わってしまう。ピーパーに言わせると、そういう人こそある意味「怠惰」なのだと指摘します。

本来は自分自身の人生の目的を明確にし、自分にとっての仕事の意義を明らかにすべきでしょう。
ところがそれをしないまま、ただ仕事を続けている。つまり、働くことが一種の逃げとなっており、その意味で怠惰であるというわけです。

ピーパーは同書の中で、観想(contemplatio:コンテンプラチオ)の大切さを説いています。
観想とは、日常の雑多な事柄から離れ、あるがままにこの世界を眺め、創造主の存在や創造されたものの美しさや価値を知り、それらを味わうことです。

もともとは古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱した概念で、人間の幸福は知性と理性を働かせて物事の本質をつかつかむこと=観想であり、それが他の動物とは違う人間だけが持つ力だと言います。

アリストテレスはそれによって真理に近づくことが、「最高善」であるとしました。
そのためには、日常の雑然とした時間とは異なった、一定の特別な「時間」が必要になるわけです。

最高善を感じる時間は、ひたすら内面的な時間です。
目の前の仕事に追われ、日々の生活に追い立てられる日常の時間では、それを自覚することはできません 。自分の好きなことや熱中していることを計画的に実行する時間や、目的や目標を達成するための準備や研鑽を積む時間、自主的で主体的な時間こそ「究極の自分時間」ではないでしょうか。

このような内面的な時間を持たず、ただひたすら目の前の仕事に追われる生き方というのは、アリストテレスやピーパーから見たら、本来の人間の生き方ではないということです。
生存のためにただ時間を費やすのであれば、それは動物と変わらないということなのです。

近代以降、とくに資本主義の世の中は、働くことが善であり、必要不可欠なものだと考えます。
余暇はあくまでもその字のごとく、余った時間とか暇な時間であり、副次的なものにすぎません。
しかし、はるか昔の古代ギリシャ、および中世の神学の世界においては、余暇こそが真理に近づく時間であり、人間にとって本質的で重要な時間なのです。

このように考えると、私たちが普段何気なく使っている「余暇」という言葉が、全く違った価値を持つものとして認識できるのではないでしょうか。

プロフィール

佐藤優(さとう・まさる)

作家

1960年、東京都生まれ、同志社大学神学部卒、同志社大学大学院神学研究科修了(神学修士)。1985年に外務省入省。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、その後、モスクワの日本国大使館、東京の外務省国際情報局に勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、無罪主張をし、争うも2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。

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