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彼女と別れ、芸人人生も手放し..たむらけんじが“50歳でアメリカ移住”した理由

2023年11月05日 公開

たむらけんじ(お笑い芸人)

たむらけんじ

今年5月、日本でのすべての活動を休止してアメリカに移住した、たむらけんじ氏。50歳という年齢で、なぜそんな大胆な決断ができたのか、これまでのキャリアを捨てることに恐怖はなかったのか。現地ロサンゼルスの自宅から、オンラインで今の思いを聞いた。(取材・構成:林加愛)

※本稿は、『THE21』2023年12月号より、内容を一部抜粋・再編集したものです。

【たむらけんじ】
お笑い芸人。1973年、大阪府生まれ。高校卒業後にNSC大阪校に入学。92年にコンビ芸人としてデビュー。コンビ解散後はピン芸人となり、テレビ番組などで活躍。2006年からは「炭火焼肉たむら」をはじめ、飲食店の経営にも携わる。23年5月にアメリカ・ロサンゼルスに移住した。

 

天職だと思った仕事をなぜ手放したのか?

――今年の5月に、アメリカのロサンゼルスに移住されましたが、現在の暮らしはどうですか?

【たむら】いい意味で落ち着いてきました。移住直後の手続きや片づけがひと通りすんで、日常が始まった感じです。それでいて、すべてが新鮮でもあります。日常の何気ないことでも、日本とはまったく違って毎日ワクワクしています。

――ロサンゼルスでの生活にすっかりなじんでいますね。

【たむら】この街との相性がいいみたいです。「ニューヨークは東京、ロサンゼルスは大阪」なんて例えられるみたいですが、本当にそう思いますね。ロサンゼルスは「英語、話せへんの? OK、OK!」みたいなおおらかさがあって、すごく大阪っぽい。居心地がいいです。

――それにしても驚きました。50歳で、これまでの芸人としてのキャリアをなげうっての渡米です。いったい何が起こったのでしょう。

【たむら】そう思いますよね。僕も何から説明したらいいのか(笑)。まず「30年」のお話からしますね。

――30年......?

【たむら】僕は19歳で夢だった芸人になって、ありがたいことに30年間お仕事をやらせてもらって、今年50歳になりました。 もう1つ、僕には夢があって、「80歳までピンピン生きたい」という思いをずっと持っているんです。

40代半ばにさしかかった頃、ふと思いました。「そうか、これからもう1回、30年生きられるんや」と。次の30年をどう生きるか。このまま生きるのか、違う人生を始めるのか。どんどん葛藤がふくらんだんです。

――「このまま生きる」では、ダメだったのですか?

【たむら】そう、このままでもいいんです。芸人の仕事が大好きで、天職とさえ思ってきましたから。 でも、自分の中に生まれた葛藤はまったく消えず、仕事への姿勢が悪いほうに変わっていることにも気づくようになりました。昔より、ハングリー精神がなくなってきて......。

「お笑い第7世代」が台頭してきたときも、若い才能に対して闘争心がわいてこなかった。「戦わんでも仕事はあるし」なんて思ってしまう自分がいる。そういう「置きにいっている」感が気持ち悪くて、このままでは大好きな芸人の仕事を嫌いになってしまうかも、と思いました。

――悩んだのですね......。

【たむら】迷いと、自問の繰り返しでしたね。今のままでいい? 新しいことをやりたい? いや、どっちもやりたい。じゃあ、どっちがおもしろい? 楽しい? ......で「アメリカに行く」を選びました。一度決めたらスッと楽になりましたね。

 

「ここに戻ってこないと」理屈抜きの思いがあった

――新しい人生の場として、アメリカを選んだのはなぜですか?

【たむら】始まりは5年前、悩みの渦中にいた頃です。アメリカを旅行したときにふと思い立って、グランド・キャニオンに寄ったんです。 目の前のあまりにも壮大な景色に度肝を抜かれました。あとで調べてみると、たった1本のコロラド川が何千万年もかけて、あの景色を作りあげた、とありました。

「たかだか80年くらいの人生で、俺は何を悩んでいるんや」と思いましたね。 さらに翌年には、ロサンゼルスを旅しました。そのとき、本当に不思議なんですが、「ここに戻ってこないといけない」という思いがわいたんです。「また来たいな」ではなく。

――不思議です。なぜでしょう?

【たむら】わからないんですよ。ちなみに綾部(お笑い芸人の綾部祐二氏・ニューヨーク在住)も、「僕もニューヨークに初めて来たとき、同じことを思いました!」と。彼も理由はわからないそうです。きっと理屈を超えているんでしょうね。

――何かに引き寄せられているような感じですね......。

【たむら】本当に。決定打になったのは2020年のコロナ禍です。仕事に出られず、1人で家の中にいるしかなかった数カ月は、言わば突然のブレーキでした。 それまでの僕は、アクセルしかついていない車に乗っていたようなものでした。窓の外の風景はどんどん流れていき、周りを見る余裕なんて少しもなかった。

その車が、突然とまったわけですね。そのときあらためて、ここ数年の葛藤に向き合ったんです。グランド・キャニオンのことも、「戻ろう」と思ったロサンゼルスのことも。自分を見つめ直せた時間が、最終的な決意につながったのだと思います。

――その決意を周りの方々に話したときの反応はどうでしたか?

【たむら】みんな、もうとめる、とめる(笑)。「やめとけ」「無茶や」「英語はどうすんねん」と。あと「どうせ、すぐ飽きるで」は今でも言われます。まあ、そうは言っても、僕が一度言い出したら引かないタイプなのを周りは知っているので、最後は送り出してくれました。

――そんな方々と離れて、さびしくなったりはしませんか?

【たむら】昔の僕なら、なっていたでしょうね。もともと僕は、「1人でごはんを食べるくらいなら抜いたほうがマシ」と思うくらい、人と一緒じゃないと耐えられない性格なんです。後輩たちも「本当に1人で大丈夫ですか?」と心配してくれましたが、なんとかなっています。

――たむらさんの内面に、大きな変化が起こっていますね。

【たむら】そう思います。一番変わったのは、心にゆとりができたことです。実は、アメリカに来てから一度も怒ったことがないんです。そもそも腹が立たない。 日本にいた最後の頃から、怒らなくはなっていましたが、アメリカ人のおおらかさに接していると、ますますイライラするのがバカバカしいと感じるようになりました。

――昔のたむらさんは、よくイライラしていたのですか?

【たむら】30~40代の頃は、もうしょっちゅう! 仕事でもプライベートでも、スピード感を大切にしたい性分なんです。何においても「遅かったら意味ないやん!」と......。

いや、カッコいい言葉で正当化してはいけませんね。要は、ただの「イラチ」なんです。LINEの返事が遅いだけで腹が立つんですよ。僕はすぐ返信するタイプなんで、「俺ができることを、なんでみんなやらへんねん!」と思っていました。それがどれほど自分勝手な考えか、今ならわかるんですけどね......。

――日本での最後の頃には変わっていたんですよね。なぜですか?

【たむら】実は、コロナ禍になる直前に、6年半つきあっていた彼女と別れたんです。 当時、僕は彼女との結婚を意識していて、「結婚後に不満の種になりそうなことを今のうちに伝えて、直してもらわんと」と思って、気に入らないところをいちいち指摘していたんです。その末に「もう無理」と言われて出ていかれて......。

――そんなことが......。

【たむら】1人になった46歳のたむらけんじは、ボロボロになりながら考えたわけです。「どこで間違ったんや。何がアカンかったんや」と。 それで気づきました。「自分勝手な考えを押しつけていたんや」「変わらなあかんのは俺や」と。人に変わってほしければ、まず自分が変わるべきなんですよね。

――恋人や夫婦だけでなく、どんな人間関係にも通じるお話ですね。

【たむら】この手の話って、よく聞くと思うんですが、腹の底から理解できている人は、なかなかいない。 僕もこの経験がなければ気づかずじまいでした。イライラしなくなったのはそれからです。 言うまでもないですが、今の自分のほうが断然好きです。昔の自分には戻りたくないですね。

 

たとえ失敗しても失うのはお金だけ

――色々な意味で、これまでの自分を捨てていますね。

【たむら】そうですね。ただ、今お話ししたような考え方の部分はともかく、仕事に関しては、大好きなものを手放すことになるので、とても大きな決断でした。芸人の世界に飛びこんで30年、持って生まれた僕のお笑いの才能からすれば、もう本当にMAXの仕事をさせてもらいました。

でも、次の30年をより楽しくするために、大好きなものを手放しました。だからこそ、50歳からの30年は、これまでの芸人としての30年を超えるものにしていきたいんです。

――19歳と50歳、ゼロからの挑戦という意味では同じですが、状況は大きく違います。

【たむら】50歳と言えば、養う家族があり、今の仕事を抜けられない状況にいる方が多いでしょう。 僕はその点、家族と離れて住んでもサポートが可能で、経営している会社も社員に任せることができています。恵まれている環境です。

――となると、多くのビジネスパーソンにとっては、50歳からの挑戦は難しそうですね......。

【たむら】いえいえ! チャレンジは、僕のようにすべてを捨ててゼロにならなくてもできますよ。そのために、まずは自分が絶対に守らなくてはいけないことを明らかにすることが大切だと思います。 「絶対にこの人たちは守る」という人や「ここは責任を果たす」という物事を見定めたら、その外側で何ができるかが見えてきます。

――たむらさんは、これまでの芸人としての成功を手放されたわけですが、「失敗したら怖い」という思いはないですか?

【たむら】失敗したとしても「お金がなくなるだけやん!」と思っています。僕だって、「失敗したら死にますよ」と言われたら、渡米なんて絶対にしません。

でも、全財産を失うくらいなら平気です。もう1回、稼げばいいんですから。アルバイトでもなんでもして、やり直せばいい。生きてさえいれば、人生なんとでもなります。だから、僕のこれから30年の目標は「死なないこと」ですね(笑)。

――一文無しになっても、なんとかなる。日本のビジネスパーソンが忘れがちな視点です。

【たむら】この前、綾部が言っていたんです。「僕ら日本人って、すごく恵まれていますよ」って。 彼は、色々な国からアメリカに来た人とよく話すみたいで、国によっては、失敗したら母国に帰れない人もいるそうです。

一方、僕ら日本人は、たとえ一文無しになったとしても日本に帰れるし、しかもお金がない人を助ける制度もある。「そんな国、なかなかないですよ」という言葉に、そうだなと思いました。日本を出たからこそ気づけたありがたさですね。

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