2022年10月21日 公開
2023年02月08日 更新
イラスト:松尾達
人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。
本記事では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?
【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。
※本稿は、『THE21』2022年7月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~人の心には変化性がある」を一部編集したものです。
一流の人には共通する人間性がある。その1つに挙げられるのは人の心理に敏感であることではないだろうか。ただ、その鋭敏な感覚がどんな才能に発揮されるかはその人次第というしかない。
例えば、喜劇王チャーリー・チャップリンもその1人だ。著名な『自伝』にはこうある。幼年時、偶然、目の前を養豚場の豚が追い立てられるのを見た。大わらわの様子を笑い転げていたところが、豚は捕捉されるや精肉処理のために殴られ、無様に殺されていく。おかしさの末に知る人の残酷さ、豚の死の滑稽さ。
単なるドタバタ劇にとどまらず、彼の映画にあふれるペーソスは、不条理を受け入れつつ、交錯する人間の心を読んだゆえのものだろう。
松下幸之助もまた、その境遇から人間の心理に深い洞察力を持つに至った人物である。経営者は人間通でなければならないと訴えていた幸之助は、どのようにして人の心に通じていったのだろうか。
幸之助が晩年、90年に及ぶ人生で最も嬉しかったこととして、9歳のときにもらった五銭白銅の思い出を挙げている。
最初の奉公先宮田火鉢店で、朝早くから拭き掃除に、子守りの合間に火鉢を磨くという生活を始めた頃。すでに貧乏を経験して、仕事そのものはそれほどつらいとは思わなかったものの、夜、寝床に入ると、母親のことを思い出しては涙ぐみ、枕を濡らしていた。
ところが、半月あまりたったある日、主人に呼ばれ、「ごくろうさん、給料をあげよう」と五銭白銅を手渡してもらったのである。故郷では、母に一厘銭をもらうと駄菓子屋でアメ玉を2個買うのを楽しみにしていた幸之助にとって五銭は十分な大金であった。
「たいへんなお金をくれるものだ」と、初めて五銭白銅を手にした嬉しさに俄然元気が出て、泣きみそもすっかり治ってしまった。この一事が幸之助の記憶に刻まれたことの意味は大きい。
そもそも、和歌山を発つそのとき、紀ノ川駅での母との別れのエピソードに関しても幸之助は後年こう言っていた。
「子供心で母に別れるということは何となし辛うございましたけれども、汽車に乗るということが非常に嬉しいんですね。まああんまり汽車に乗ったこともないんですから、汽車に乗ってしまうともう次々に汽車の窓から辺りの風景が変わっていくという姿見まして、母と別れた辛さも忘れてしまいまして、非常に元気よく難波の駅に着きました」
幸之助にとって、「心に変化性がある」という確信を得たのはほかならぬ自分の心だったに違いない。強い心、弱い心、心にも色々あるが、自分の心は思いのほかタフで元気だと気づいたのではないだろうか。
五銭白銅を得てすぐ、こんな出来事もあった。親方の赤ちゃんの子守をしていた幸之助は、遊びに夢中になって赤ちゃんの頭をぶつけ、泣かせてしまう。
あやしても泣きやまず、困った幸之助は、とっさにそばの菓子屋に飛びこみ、饅頭を1つ買ってあてがってみた。すると幸いなことに赤ちゃんは泣きやんだのだ。赤ちゃんですら、一瞬で痛みを忘れる!
その饅頭の値段が一銭もしたことから、彼の過失は3日分の給金を一ぺんに消費する形で終わったわけである。
どんな人間のどの世代でも日常の中で心は移ろいゆく。しかし、実業の世界にいるからこそ、心がけと行動次第で結果が大いに変わっていくことを知ったのではないだろうか。特に人情というものを知れば知るほど。
幸之助の人材育成に関するアフォリズムは数多い。
「羊飼いが成功するためには羊の特性、性質を把握しなければならない」
「人間の心の動きには、千変万化の複雑さの中にもおおむね誰にも共通する一般的な原則がある」
「人間としての特性を把握すると同時に、一人ひとりの個性をよく知る必要性がある」
というように、普遍的な法則ばかりでなく、個の心にまで神経が行き届く。経営の現場で鍛えた心理学なのだ。
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更新:11月21日 00:05