2022年09月02日 公開
2023年02月08日 更新
イラスト:松尾達
人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。
本稿では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?
【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。
※本稿は、『THE21』2022年9月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~大衆との“見えざる契約”が結ばれている」を一部編集したものです。
松下幸之助が最も信頼を寄せた部下の一人に、髙橋荒太郎という人物がいる。
何しろ幸之助が唯一「さん」づけで呼んでいたという一方で、直接謦咳(けいがい)に接した幹部の中では「松下電器の大番頭」「ミスター経営理念」とか「AT(エーティー)さん」とか通称の多い人である。
その髙橋さんが1954年、幸之助とともに銀行に挨拶に行ったときの証言が残っている。
事業の説明も終わり、くつろいだ空気の中で、銀行のある重役が幸之助に、「松下電器はどこまで拡張されるのですか」という質問をした。この質問に対して、幸之助はゆっくりした口調でこう答えたという。
「それは私にも分かりません。松下電器を大きくするか、小さくするかということは、社長の私が決めるものでもなければ、松下電器が決めるものでもありません。すべて社会が決定してくれるものだと思います。
松下電器が立派な仕事をして消費者に喜んでいただくならば、もっとつくれという要望が集まってくる。その限りにおいてはどこまでも拡張しなければなりません。
しかし、逆にわれわれがいかに現状を維持したいと考えても、悪いものをつくっていたのではだんだん売れなくなって、現状維持どころか縮小せざるを得なくなる。だから、松下の今後の発展はすべて社会が決定してくれるのです」
髙橋氏は、幸之助の返答を聞いた重役は絶句していたと語っている。
確かに、融資を担う取引先に「分かりません」と率直に語る経営者はそうはいるまい。一方で、社会の要望に応えるしか成長はあり得ないと腹を括っている幸之助の志の高さもうかがえる。
これはこれでカッコいい話と思うのだが、別のエピソードと矛盾するのではと、筆者が幸之助に疑問を抱いたことを紹介したい。
1956年1月10日、恒例の年度方針発表会のときである。
当時、幸之助の講話の事前構成を担当していた錦茂男氏は、いつものように幸之助から、「こんな話をするから、項目を整理しておいてほしい」と指示を受け、準備をしたメモを渡していた。ただ、幸之助はその通りに話すことはめったになかったらしい。アドリブで話題を変えてしまうのだ。
いつものこととは言うものの、その年の幸之助の口から飛び出した話に、錦氏は驚嘆した。
「現在、年220億円の販売高を5年で年800億円に、従業員数1万1000人を1万8000人に、資本金を30億円から100億円にしよう」
という第一回五カ年計画を突然発表したからであった。
講演後、思わず「何であんなことをおっしゃったのですか!」と問い詰めると、幸之助は、「すまん。フッと思うてしもてん」と答え、「殺生な」という思いをしたと、錦氏は語っていた。
筆者が疑問を覚えたのは、冒頭の髙橋氏の証言「松下電器の発展は自分が決めるものではない」という幸之助の言葉と矛盾するからである。決められないと言いながら、こちらでは「5年かけて販売高については4倍近い成長を成し遂げる」と宣言しているではないか。
事の顛末はというと、実績は幸之助の予測を大きく上回った。販売高1054億円、従業員数2万8000人、資本金は150億円となった。見事な達成である。
更新:10月14日 00:05