2019年11月22日 公開
吉田氏は、住友銀行(現・三井住友銀行)で副頭取まで務めたのち、69歳の誕生日に蓄電用の大型リチウムイオン電池のベンチャー企業・エリーパワーを起業した。同社は335億円もの資金を調達し、累計4万3,000台以上(通信がついたもの)のシステムを出荷している。しかし、もともとは「日本で、しかも自分の勤めている銀行でしか生きられない」と思っていたという。
私は1989年に住友銀行の常務に就任しましたが、バブルに踊る当時の実需の伴わない融資には批判的でした。そのためなのか、翌年、東京の本社から大阪に異動になり、さらに、その半年後にロンドン駐在の辞令が出ました。52歳のときです。当時の巽外夫頭取から、突然、「奥さんにだけは相談して返事をくれ」と言われました。
私は49歳で人事部長になってようやくパスポートを取ったくらいで、海外勤務はしたくないと思っていました。しかし、妻の「仕事なら行けばいいじゃない」という言葉に後押しされ、赴任することを決心しました。ロンドンでの仕事はなく、語学研修です。
ロンドン支店の支店長は私の同期で、300人くらいのスタッフがいましたが、私についたのは英国人の秘書一人だけ。初めは「どうしてこうなったんだろう」と悩みました。しかし、マイナスに考えていても仕方がない。プラスに考えようと、思い切って英国人の家庭でホームステイを始めました。
英国人だけのコミュニティーに入ると、彼らは日本人のように他人の目を気にしていない独自の生き方をしていることに気づきました。他人に合わせるのではなく、他人と違うことをする。そして、違う人同士が集まって変化に富む豊かな社会を作っている。
「勤めている銀行でしか生きていけない」と思っていた私にとって、組織に頼るのではなく、自分の人生を自分で作る生き方に接したことは、人生観が大きく変わるターニング・ポイントになりました。
日本に帰るのは銀行を辞めるときだろうと思っていましたが、91年、イトマン事件など、バブルの収束を機に、即刻の帰国を命じられました。
その後、住友銀行の副頭取や住銀リースの社長、会長を務めたあと、慶應義塾大学大学院の教授として電気自動車の普及のプロジェクトの取りまとめをしたことから、電池の重要性を認識し、69歳で起業しました。ロンドン駐在を経て、他の人とは違う、誰もやっていないことで、社会の役に立とうと考えるようになっていたからです。
小型のリチウムイオン電池は普及していましたが、大型の蓄電用は量産されていませんでした。どのメーカーも危険だと言うのです。それなら安全な蓄電用リチウム電池を作れば勝機があると、2006年に、若者たちと4人でエリーパワーを立ち上げました。
銀行は装置産業のベンチャーに融資できないことはわかっていましたから、自己資金を作らなければなりません。電池がエネルギー産業になることを説明し、335億円もの出資金を集めました。このようなベンチャーは珍しく、他にないと思います。
起業は、本来、成功した経験が豊富な高齢者のほうが、経験のない若者よりも、成功しやすいはずです。しかし、歳を重ねると、失敗の経験も増えます。多くの人は、失敗の経験ばかりを思い出すから、行動できない。
失敗を忘れて、成功した経験だけを思い出せば、何歳でも起業にチャレンジできます。成功の方程式は自分で作るものだと思います。
《『THE21』2019年11月号より》
更新:11月25日 00:05