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いまだに日産を苦しめる、ゴーン氏の「日本人社員軽視」とは?

2019年10月24日 公開
2020年12月10日 更新

法木秀雄(早稲田大学ビジネススクール元教授)

北米市場を荒らしてしまったゴーン氏の「イエスマン」

その弊害は確実に現れている。中でもよく聞くのが、過剰な販売施策によって、長年培われてきた日産ディーラーとの関係が悪化してしまった件だ。

その象徴とも言えるのが、ゴーン氏が米国事業のトップに据えたホセ・ムニョス氏だ。もともとメキシコ日産のトップであり、ゴーン氏の「イエスマン」であったムニョス氏は、販売店に対し極端なインセンティブプランを導入し、まさに「アメとムチ」で販売台数を高めようとした。新車モデル投入が少なかったにもかかわらず、多額の報奨金をかけて将来の売上を前倒しさせ、コミットメント必達を図ったのだ。

長年、日産車を取り扱ってきたディーラーの多くが、このやり方に憤慨を隠せなかったという。

結局、一時的に日産の台数は向上したが、その後は反動で大きく下落。利益率も大幅に低下した。日産は現在もこの施策による利益率低下に苦しんでいる。

こんな暴挙とも言える短期台数刈り取り策は、日本人出向者であれば絶対に採用しなかったであろう。もっとも、ゴーン体制下ではイエスマンしか地位を得られないので、そもそも日本人がこの地位に就くこと自体があり得なかっただろう。

ちなみにゴーン氏の信頼を得たムニョス氏はその後、中国事業の責任者に転任したが、ゴーン氏失脚後、即、ライバルである米国現代自動車のトップに就任している。

 

「自動車殿堂」入りした伝説の経営者がいた

日本人社員の海外出向者が少ないということは、グローバルにおけるマネジメント能力を磨く機会が失われているということでもある。これは将来、日産の競争力に大きな影響を与える可能性がある。

ダイバーシティは確かに重要だが、日産は横浜に本社がある日本の企業であり、これまで長年にわたって多くの日本人が海外へ行き、現地との関係を築いてきた。そんな企業に海外への日本人出向者がここまで少ないというのは異常である。

そもそも短期雇用者にその会社の「らしさ」を伝えることは不可能だ。ベストなのは、日本人出向者と現地社員とがタッグを組んで経営に当たることである。トヨタやホンダはまさにそうしたスタイルで経営を行い、現地のディーラーとも厚い信頼関係を築いている。

すっかりディーラーからの評価を下げてしまった日産だが、ゴーン氏以前はむしろ、数あるメーカーの中でもディーラーとの厚い信頼関係で知られていた。

そのベースを作ったのは、1965年に米国日産のトップに就任し、日産(当時はダットサン)ブランドを輸入車トップクラスにまで導き、全米の日産ディーラーから熱烈な支持を受けた名経営者・片山豊氏である。

米国には、自動車に関する偉人を表彰する「自動車殿堂」があり、ヘンリー・フォードやトーマス・エジソン、GMを全米最大の自動車企業へと成長させたアルフレッド・スローンなど錚々たるメンバーが選ばれているが、片山氏も彼らと肩を並べ殿堂入りを果たしている。日本人では他に、本田宗一郎、豊田英二などの名経営者が選ばれているが、片山氏は彼らと並ぶ米国自動車業界のスターなのだ。

片山氏とは私も親しくお付き合いさせていただいたが、105歳で永眠された際、葬儀に米国の日産ディーラーの代表など5人もの人がわざわざやってきたことに驚かされた。片山氏が米国日産会長を辞して40年近く経っているにもかかわらずである。

翌週の著名な業界紙「オートモーティブ・ニュース」の一面には、「日産のZカーの父逝去」と大々的に報じられ、同氏の功績が詳細に紹介されていた。

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