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シーン別・心に響く名経営者の言葉18

2016年04月23日 公開
2022年11月16日 更新

本郷陽二(作家/幸運社代表)

時代を作ったリーダーたちは、
何を語ったのか?

失敗したとき、挑戦したいとき、やる気を出したいとき、先行きが不安なとき、先人たちが残した言葉は、私たちに勇気とやる気を与えてくれる。時代を作った名経営者たちは何を語ったのだろう?

 

失敗したとき・心が折れそうなとき、
前向きにしてくれる言葉

愚痴をこぼすな、くよくよ後悔するな。

正力松太郎(日本テレビ放送網創業者)
1885年、富山県生まれ。読売新聞社中興の祖と言われ、1953年に日本テレビ放送網を開局。民放初のテレビ放送を開始した。

警視庁で出世街道を歩んでいた正力は、ある事件の責任を取らされて辞職。その後、読売新聞社の再生に成功したものの公職追放処分を受けてしまう。それでも腐ることなく、日本テレビ放送網を設立し、民放初のテレビ放送開始に成功した。これは、そんな正力の波乱の人生を象徴する言葉だ。一度の挫折で潰れてしまう人もいるが、終わってしまったことをいつまでも悔やみ、愚痴を言っていても何も始まらない大切なのは、次にチャレンジする強い気持ちを持ち続けることだ。

 

その失敗はキミの勉強代だ。

豊田英二(トヨタ自動車元社長)
1913 年、愛知県生まれ。豊田喜一郎の右腕として戦前より尽力。1967年に社長に就任し、その後14年以上同職を務めた。

トヨタについて、「石橋を叩いても渡らない」と称す経済評論家もいるが、それが間違いであることは、この言葉を見ればわかるはずだ。偉大な経営者の多くは、「失敗は人を育てる」という考えを持っているのである。こうした懐の深さを持っているからこそ、新しいことにチャレンジできる。今よりもさらに上を目指したいと願うなら、失敗したときにも、「これは将来への勉強代だ」と前向きに考えることだ。

 

下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。

小林一三(阪急電鉄創業者)
1873年、山梨県生まれ。関西で鉄道を中心にした住宅・都市開発を行ない、私鉄経営のビジネスモデルを確立した。

「新会社の幹部に」と請われて銀行を離職した小林だったが、大恐慌のあおりでその会社は設立されなかった。結局、彼が就くことができたのは、倒産寸前の鉄道会社の監査役であった。不本意の極みだったが、小林はそこでも最善を尽くし、同社を阪急阪神東宝グループの中核に育てあげた。どんな仕事を与えられても、誠意を持って最後までしっかりやり遂げる──そうした真摯な姿が新たなチャンスを作り出すことは、小林の生き方を見ればわかるはずだ。

 

人生はマラソンなんだから、
100
メートルで1等をもらったってしょうがない。

石坂泰三(東芝元社長)
1886年、東京都生まれ。逓信省から第一生命保険社長を経て、倒産の危機に直面していた東芝の社長に就任。再建に成功した。

石坂の人生は"非主流"を歩む日々であったといえる。中学受験に失敗し、当時はまったく人気のなかった逓信省(現・総務省など)へ入省。その後、弱小保険会社へ転身し、さらに倒産寸前の東芝へ。だが、最終的には財界総理といわれる経団連会長の座を得たのである。人生は長いのだ。一度や二度、主流から外れたからといって諦める必要はない。たとえライバルたちに先を越されたとしても、頑張れば追い抜くチャンスはまだまだあるはずだ。

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