2016年05月06日 公開
2023年01月05日 更新
明治末期から大正期にかけて、近代的な考え方を身につけ、社会的に活躍する女性たちが増えてきた。その中でもとくに有名な1人が相馬黒光だ。夫・愛蔵とともに中村屋を創業した起業家である。士族の娘として生まれ、明治女学校を卒業したエリートにもかかわらずゼロからの起業は異例中の異例だった。
中村屋は1901年、まだパン食が定着していなかった時代にパン屋として創業し、クリームパンを発明したり、ボルシチや純印度式カリーなどを日本でいち早く提供したりと、先進的なビジネスを行なった。ボルシチはロシア人のエロシェンコから、カリーはインド人のボースから学んだが、この2人はともに日本に亡命したものの日本政府からも国外退去命令を受けた人物。黒光と愛蔵は彼らを匿った。その結果、警察に踏み込まれることもあったが、彼らはひるまず、ボースには娘の俊子を結婚させさえした。侠気が感じられるエピソードだ。黒光のもとには芸術家たちも集まり、「中村屋サロン」と呼ばれた。黒光は、日本の芸術史においても重要な役割を果たしたのだ。
《参考文献》相馬黒光『黙移』日本図書センター/宇佐美 承『新宿中村屋 相馬黒光』集英社
埼玉県を地盤とする東証1部上場の食品スーパー・ヤオコーは、昨年5月に発表された最新の2015年3月期決算まで、26期連続増収増益(単体)を達成している優良企業だ。創業したのは現会長・川野幸夫氏の母であるトモである。
トモが社員のことをいかに考えていたかを示す逸話がある。1963年、トモは幸夫氏の成人式のお祝いにオーバーコートを買おうと、幸夫氏とともに東京の日本橋三越を訪れた。ところが、呉服売り場の前で振り袖を目にしたトモは、「あの着物、マキちゃんに似合うと思わない?」と足を止めてしまった。マキちゃんとは、幸夫氏と同じく成人式を迎える、豊田マキ子という女性社員だ。「マキちゃんと文子ちゃんに、あの振り袖を買ってあげたいのだけれど」と、マキ子と仲の良い社員の名前まで挙げる。振り袖を2組も買えば、オーバーコートを買うお金はなくなる。「幸夫、悪いけど……」と言う母を、幸夫氏は「いかにも母らしいな」と感じたそうだ。ヤオコーの強さの要因の1つはパート従業員にまで大胆に権限移譲をしていることにあるというが、その原点が窺える話だ。
《参考文献》小川孔輔『しまむらとヤオコー』小学館
《『THE21』2016年4月号より》
更新:11月23日 00:05